毎日コロナのニュースばかり…日ごとにエスカレートしていく様子を日がなテレビで見ていますと、体中が締め付けられていくようななんとも言えない息苦しさを感じます。
先日のイギリスの女性患者の言葉、〝苦しい…〟〝息が出来ない…〟〝肺にガラスのとげ(破片?)が刺さっているような…痛い、痛い…〟そんな声と映像が焼き付いて離れないのです。
実は今日もコロナのことを書き出して…先ほど書き終わったあと全部削除しました。なぜかって?それは読み返してみると、何ともしょうもないことを書いて!と自分ながらイヤになりましたから。何を書いてもみんな空々しくって…。もし本当に感染してしまったらどうなるんでしょうとかなんとか…。だから、すっぱりと書くのをやめました。ニュースを見れば全て分かること。そんなことよりもっと役に立つことを、でなければせめて楽しいことでも書いた方がましだと思ったんです。
では、何を書きましょうか。ああ、ちょっと時期が過ぎてしまいましたが、4月1日のことでも。俳句では〝四月馬鹿〟や〝万愚節(ばんぐせつ)〟という季語になっています。西洋では〝エープリルフール〟と。
以前にも書いたことがありますので、詳しいことはやめますが、次の句について少し…
四月馬鹿母より愚かなるはなし 岡本圭岳
作者の岡本 圭岳(おかもと けいがく)は、1884年~1970年の、大阪府出身の俳人。本名鹿太郎。1899年、新聞『日本』や「ホトトギス」で正岡子規選を受け、上京して子規の句会「根岸草蘆句会」などに参加。「ふた葉」「車百合」などで活躍し、中止を挟んで1921年に青木月斗の「同人」に参加。「同人」を辞したのち1936年に「火星」を創刊・主宰。1938年、上海などの大陸の部隊を訪問し、従軍句集『大江』(1940年)に結実した。1946年、戦時に休刊していた「火星」を復刊。その後の句集に『太白星』(1953年)、死後に『定本岡本圭岳句集』(1977年)。戦前の「火星」には一時下村槐太、堀葦男、赤尾兜子、林田紀音夫など後に関西俳壇で活躍する俳人たちが集まった。圭岳の死後は妻の佐知子、ついで娘の山尾玉藻が主宰を継いでいると。(ウィキペディアより)
ちなみに、圭岳の誕生日は4月1日なんですよ。嘘のようなホントの話です。
この句を見るとすぐに私の母を思ってしまいます。というより昔の〝母〟とはそういうものではなかったのかしら。「女は三界に家なし」と言われたように、女は、幼少の時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないものであるから、この広い世界で、どこにも安住できるところがないのだと。しかし、今ではどうでしょうか。
〝子供の時は親に逆らい、嫁に行ったら夫を尻に敷き、老いては一人暮しを楽しんで…〟という感じではないですか?(笑) まあ、昔の封建的な男尊女卑からやがて戦後の男女同権へ。そして今や女尊男卑とまではいきませんが、女性が強くなったと言われて久しいことですもの。しかし、これも〝かかあ天下〟の方が家庭円満でとかおだてられて、うまく男性に操られているだけなのかもしれませんがね。だって家庭崩壊よりはお互いにいいでしょうから。そうなると、今どき〈母より愚かなるはなし〉なんていう感慨は決して生まれてはこないかも。
しかし、私の母は大正生まれ、身を粉にして父や私たちのために働き、食べるものも着るものも自分のものは全て後回し…。きっと作者もそういう母の犠牲的精神を〝愚か〟だと言いながらも、心から感謝していたんですよ。〝四月馬鹿〟だからこそ本音を吐いているのかも知れませんし、自分が生まれた日でもあるからでしょう。概して昔の男は素直に〝ありがとう〟なんて、言いたくっても言わないでしょうからね。
ところで、この日にはいつも私の誕生祝の花が届くんです。うれしい!えっ、私の誕生日も1日かって?いや、いや、以前書いたでしょう。私は2月だって。ではなぜ?と思いましたか。だから四月馬鹿なんですよ。
でも、この花がプレゼントの花。誰からかって?それはヒ・ミ・ツ……うふふっ…
今年の花は、〝ラベンダー〟で、夏の季語です。欧州ではローマ時代に入浴用の香水として使われ、ラテン語の「洗う」がこの名の語源ですって。人々から香り(ハーブ)の女王と親しまれ、暮らしに役立ってきた花なんです。花言葉は「沈黙」、私にぴったりでしょ!アハッ…