今日の東京は35度を超すという真夏日でしたね。こちら宇部では最高気温31度。気温の割には凌ぎやすかったかな…それはきっと風があったし、湿度もそんなに高くなかったからでしょう。
先ほど外に出てみると気持の良い風が吹いていて涼しい!今夜もキレイな月が出ていましたが、雲の流れが速くて出たり隠れたり。昨日の満月はとってもキレイだったのに…写真撮り忘れました。残念!
昨日の午後は俳句教室。兼題は〝日除(ひよけ)〟でした。これは、夏の日盛りの直射日光を避けるための布や簀(す)、ビニール製などの覆い、また、それを店頭や窓などに掛け渡すことです。〝日覆〟ともいって、「ひおい」や「ひおおい」と読みます。
月空に在りて日覆(ひおい)を外しけり 高浜虚子
三日月にたたむ日除のほてりかな 渡辺水巴
どちらの句も、日が沈んだ後の空に早々と月が出ているときの景ですが、虚子の句は、もしかしたらかなり夜が更けてから日覆を外したのかも知れませんね。水巴のは〈日除のほてり〉とありますから結構早い時間だったのでしょう。昔の人は物を大切にしました…だから日が照って暑くなると日除を出し、太陽が沈めば仕舞うというような暮し。きっと今どきの人だったら、毎日出し入れするのが面倒だからといって、夏の間そのまま出しっ放しにしておくかも知れませんが…。(笑)
今のようなカフェテラスなどの洒落た布の日除とか商店街の上に掛けたカーテンのようなサンシェードもありますが、ここは、〈外す〉とか〈たたむ〉とありますから、自分の家の西日の入る窓などに立て掛けた葦簀(よしず)のような日除が目に浮かびます。きっと戦前の平穏な生活をしていた頃の句ではないでしょうか。
ところで、この日の句会に出たものに、季語の本意を取り違えている句がいくつかありました。例えば、〈蔓(つる)茂り日除となりし店子前〉とか〈神木の影で日除の神事かな〉など。これらの句にはどちらにも実際の日除はないのです。前句は蔓が茂ってそれが日除の代わりになっている、後句も木の影を日除代わりに…、というように。要するに日陰が出来たということがこの季語の意味だと勘違いしてしまったのです。ちなみに前句は「茂り」が季語になりますが、後句は実際に天幕などを張って神事をしているのでないのなら季語性はあるが、季語はないということになります。そこで作者に聞いてみますと、やはり木陰で神事をしていたのだと…。
こういうことは、初心者にはよくあることなんですよ。また、面白いことに自分がそう思っていますので、選句にもそれと同じような内容の句を選ぶんですね。おかしいと思っていませんので。
もし夏の暑い日差しを遮るものを、何でも「日除」だと思うのなら、「日傘」も「夏帽子」もみんな「日除」でしょうか。じゃあハンカチやタオルを被っても同じなの?と聞くと、やっと解ったようでした。
この「日除」という季語は、日差しを避けるという行為ではなくて、そうするための〝物〟なんです。そして、それが私たちの生活に必要なものとして昔から存在していますので、「生活」に類別された季語となっているのですよ。
これでご理解していただけましたか。俳句を作るときは常に季語の本意を考えて詠んでほしいものです。
さて、今日のコロナはどうだったんでしょうか。先ほどニュースでは東京都の感染者263人、全国では843人だと。まだまだ一進一退の状態ですね。
実は私、もうすぐ大分の義姉の初盆なんですが、今の状況では…と悩んでいました。しかし、四十九日の法要にも行きませんでしたので、今回は行くことに決めました。義姉の娘は大阪に、孫は福岡にいるのですが、どちらも帰らないそうです。やっぱりお盆ぐらいは帰省したいでしょうに…カワイソウ!でも、どちらもかなりの感染者が出ていますので、もし陽性だったとすれば…私たちは濃厚接触者ということになるんですものね。そうなったら困るし…。若い人は罹っても重症化しないからいいでしょうが、私は持病もあるし高齢者の部類だし…。さあ、どうしましょう。ウウ~ン、コマッタ、コマッタ!
写真は、「紫蘇」、夏の季語です。毎年植えもしないのに、こぼれ種から生えてきて、こんなミニ紫蘇畑のようになっています。たくさん要るものではないのですが、素麺の薬味などには何かと重宝しています。もう少ししたら淡紅色の花が咲いて、小粒の実を結びますが、それは秋の季語になっているんですよ。