今夜は冷えそう!最低気温5度ですってよ。昼間はずうっと曇りでしたし、風も殆どありませんでしたので、まあまあの日でしたが。
今日はちょっと大変なことに気がついたんです。それを知ったときはウワッ!と一人で叫んでいましたもの。
実は、今日昼過ぎに帰ってみると、私のブログに初めての方からのコメントが入っていたのです。
・コメントが届いた記事
〝負喧〟という季語知っていますか?
・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/kanekuti3515/e/17a5b83a6040a426b5713c97d0839938
・コメントを書いた人…晴陽
・コメント
初めまして。大阪で俳句を作っている者です。
『喧』は『うるさい』という意味ですので、「負喧閉目坐」の訳は「賑やかな声を背に目を閉じて座る」になるかと。
『喧』に『日差しの暖かさ』の意味はないと思いますよ。
これを拝見して、私は次のように返信を…
晴陽さん、はじめまして!
コメントありがとうございます。
あなたの仰るとおり、「喧」という漢字そのものの意味には、漢和辞典のどこを調べても〝日差しの暖かさ〟という意味はありませんでした。
だからそれがなぜ〝日向ぼこり〟の傍題として使われ、その例句が歳時記に採用されているのかという疑問を持ったんですよ。
私の調べた範囲でのことを書いておきましたが、すっきりとは解決しないままで…。
白楽天の漢詩…「負冬日」(五言律詩)に用いられています。
杲杲(こうこう)冬日出 照我屋南隅 負喧閉目坐 和氣生肌膚 初似飲醇醪(じゅんろう) 又如蟄者蘇 外融百骸暢 中適一念無
この中の〝負喧閉目坐〟が、「背中に日差しの暖かさを受けて、目を閉じて座っていると」と解釈されていました。恐らくそのものの意味ではなく、前文から燦々と差す盛大な冬日を背に…という意味にとったのかなとも思いました…「喧」には盛大な様という意味がありますから。
また現在この言葉が日向ぼこの傍題として認定されているのは確かで、句集名にもなっていますし…。
と書きましたら、また、コメントが来ました。
返信ありがとうございます。私も同様に歳時記で見慣れない季語『負喧』が気になりまして、ネットで検索したところ、こちらのブログに辿り着きました。
この漢詩は白楽天が失脚して地方に左遷された数年後に詠まれたもののようで、彼の心情を慮ると『負喧閉目坐』は「政治の世界のやかましさに背を向けて目を閉じて座る」ぐらいに解するのが妥当ではないかと考える次第です。この件について何か新しい事が分かりましたらまた寄らせてもらいます。お騒がせしました。
ここからですよ!私が大変なことに気がついたのは…。本当に何気なくなんですが、漢和辞典で〝ケン〟という漢字を見ていましたら…ワアッ!と驚いたのです。それは、〝喧〟の他に〝暄〟という字があったんです…字義は「あたたかい、とくに気候があたたかいこと」だと。更に『精選版 日本国語大辞典』を見ますとそこには慣用句として、「暄を負う」とあり、「日なたに出て、日光にあたる。また、その楽しみをいい、特に、貧しい者が貧しさのうちに楽しみを持つことにたとえる」と。そうだとすると今までの疑問の全てが解けます。
しかし、私の使っている『角川俳句大歳時記』にはどうみても「喧」なんですね。ネットで調べてもみましたが、相生垣瓜人の句集も『負喧』と書いてあるんです。口ヘンと日ヘンでは意味が違ってくるのは当然のことでしょうに。
私が思うに、この語を初めて俳句に使ったのは瓜人さんらしいから、恐らく句集や句では「負暄」と書かれていたのではないかと。それがいつの間にか「負喧」と書き間違えられて、世間に広がったのではないかと…違うでしょうか?
ならば、これは正さねばならないと思いますが、さて、どこにどう訴えたらいいのでしょう。このようなことに通じていらっしゃる方、どうぞ教えて下さいませ。お願いします。
もしこれが正しいと認めて貰えれば、そのきっかけを作って下さった晴陽さんには、心から感謝致します。
写真は、ブロ友のころころさんが私の俳句を紹介して下さるという…〈枯れてなほ蟷螂の眼に夢の色〉の〈枯蟷螂〉です。今にもはみ出しそうな大きなお腹をして網戸に捕まっていました。卵を産めずにもう死んじゃったのかな?と指を近づけると、触角がピクッと動きましたから…まだ大丈夫!私をジッと見て…というよりどこを見ていたのでしょう。産卵するときの(いや、ホントはきっと終ったときなのかも)恍惚とした眼…ほら〝夢の色〟でしょ!でも後は死ぬしかないんですから…カワイソウ…ねッ。