ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝歳時記〟の話

2020年02月01日 | 俳句

 今日からいよいよ2月です。宇部の天気予報では、一日中曇りで夕方からやっとお日様マーク…。ところが、9時過ぎには窓からサンサンと日が差してきて、それで急遽洗濯をして干しに出ると、なんと外は春の陽気でしたよ。ああ、もうカンが狂いますね~!

 ところで、〈ニン月や天神様の梅の花〉と〈硝子戸の磨き抜かれし梅二月〉の句は、どちらも「二月」と「梅」の季重なりの句です。前句は小林一茶、後句は、かつての「馬酔木」を代表する女性俳人・馬場移公子。この句のどちらもメイン季語は「二月」です。だとすれば、一茶は旧暦の二月、移公子は新暦の二月を詠んだことになりますね。梅の花も、一茶のときは満開の梅、移公子は今から咲き始める梅ということになるのでしょうか。即ち、片や馥郁と梅の花が香っているうららかな天満宮の境内、一方はまだ寒くてやっと綻び始めた梅の花を、よく磨かれた窓から眺めているという景ですね。

 角川俳句大歳時記をみると、「二月」には〝月の初めに寒が明け、ニュースはいっせいに暦の上で春を迎えたことを報じる。陰暦二月は仲春だが、陽暦の二月はまだ寒さも厳しく、春の来た実感は乏しい〟と、解説されています。ややこしいですね。これだから初心の方が迷って季語は難しいと思ってしまうのでしょうが、基本的には季語を四季順に整理、分類して解説した〝歳時記〟に従って、句を詠むのが一般的でしょう。

 そもそも「季語」や「季題」という語は、いずれも近代以降に成立した言い方で、古くは「季の詞(きのことば)」「季の題」「四季の詞」あるいは単に「季(き)」「季節」などと呼ばれていました。いろいろと言い方が違っても、四季というものは万葉集の時代から意識して詠まれ、それぞれの季節による部立てなどもなされていたようですよ。はっきりと季を定めたことばが分類されるのは平安時代の後期のこと。鎌倉時代には連歌が成立し、江戸時代の俳諧に至っては季節を表す語が必須のものとなり、その必要性からも数が増大していき、『俳諧歳時記栞草』(曲亭馬琴著・藍亭青藍増訂、1851年)では約3300の季語が集められていたそうです。現代では4000~5000以上の季語に膨れあがっています。

 近代俳句の革新を行った正岡子規は、季語の実感を重んじ、季語のもつ連想内容の豊富さが俳句にとっては有益であると唱えましたが、一方では、とある俳人からの質問に〝歳時記よりも実情を優先せよ〟という旨の返答をしたそうです。子規の生きていた明治の頃でさえそのように言ったとすれば、現代のとてつもなく大きな変貌を遂げたこの世の中を見て、さて、さて子規は何と言うでしょうか。

 こう考えれば、歳時記は一応の目安として非常に重要ですが、ただそれだけが全てではないという柔軟的な考え方も必要でしょう。簡単に言えば〝時と場合によりけり〟ということかも。だから、俳句を詠むときは自由に、翼を大きく広げて思うがままに詠んでみてください。その後で、この句を世に出して羽ばたかせようと思えば何が必要か?と考えて。 そうです。みんなに分かって貰わなくては、結局〝ひとりよがり〟の句になって、それで終わってしまうからなんです。俳句をしている人、いやしていない人にでも、自分の思いが伝わるようにと考えれば、そこでは絶対に〝歳時記〟が必要になってくるのです。また、何につけ歳時記を調べていると、今さらながらヘエッと思うような発見があったりしておもしろいんですよ。

 ああ、今朝は土曜日なのでラジオ体操はありませんでした。1月は雨が降った日を除くと、一日も休まずに続けて行ったんですよ…エヘン!(笑)

 写真は、「黄水仙」、花の形や咲く時期が〝水仙〟と似ていますが、水仙は冬、黄水仙は春の季語になります。確かにこちらでは白い水仙は12月から1月がピークで、黄色の水仙は今やっと咲き始めたばかりですから…。


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