もう8月もあと3日を残すのみになりました。今日の天気は概ね晴れのようで、朝夕は随分凌ぎやすくなりましたね。最高気温は相変わらず30度を超す予報ですが、昨日などは最低気温が21度ですって。やっぱり季節というものはところどころ脱線しながらも基本的にはちゃんと巡っているんですね。アリガタイ!
写真は、一昨日の朝と昨日の夕方の空…やはりもう秋!
先日25日の朝からラジオ体操は以前の8時20分に戻りました。なぜかというと、子どもたちの夏休みが24日で終ったからなんですが、昔は一部の地域を除いて9月1日が2学期の始まりと決まっていましたよね。今ではコロナのせいもあってかしら、地域によっていろいろと異なっています。概ね北海道や東北など、雪の多い所は以前から夏休みを短めにして、冬休みを長くしていたのは知っていましたが。
この度の新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年は、臨時休校やオンライン学習などが行われるなど異例のことが続いたので、夏休みの期間を短縮する自治体が増え、20日~30日前後と例年よりもかなり短めの学校が多くあったよう。しかし、2021年や今年など、まだコロナの感染は収まっていないものの、例年の夏休みの期間に戻っているみたいです。
調べてみると、夏休みの期間が札幌市が27日間、長野市が28日間と一番短い。札幌は分りますが、長野がこんなに短いなんて今まで全く知りませんでした。やっぱり雪が多いからなんでしょうか。長いところは43日間で、南に行くほどその傾向が強い!…あら、当り前かな。(*^ー゜)
ちなみに宇部市は来年度から1週間程度の短縮を決めたと報道されていましたが、私の住んでいる上宇部小学校は今年8月25日から2学期という。これはその決定を先取りしたのでしょうか。調べるとどうもそうではなく、宇部市の公立小・中学校のどこでもが25日の始業式でした。
現役の時はこの夏休みの期間が一番気になっていましたが…。今現場がどうなっているのか、さっぱり分りませんし、また知りたいとも思わなくなってしまいました。人というものは興味の無いことや自分に必要の無いことなどはすぐにどうでも良くなるもんですね。悲しいけど、今のことで精一杯…でなけりゃやってられない!…もんね。
ところで、上述の上宇部小学校は、明治5年8月の学制発布を受け、同年12月宗隣寺内に宇部小学校として創立されました。その後、明治25年1月に宇部村宇部尋常高等小学校と改名、大正10年11月の宇部市制施行に伴い、宇部市立宇部尋常高等小学校と改名され、上宇部国民学校を経て、昭和22年4月から現在の上宇部小学校となりました。宇部市では、最も古い歴史ある学校なんですよ。
【小中一貫学校教育目標】ふるさとを愛し、ふるさとの未来を創る子どもの育成
【学校教育目標】問いや憧れをもち、進んで学び、考え、行動するたくましい子どもの育成
【校訓】清々しく やさしく たくましく
校区は、宇部発祥の地であり、昔から住んでいる人も多いのですが、近年は住宅団地の急増に伴い、他の地域から転入してきた住民も増えていて、教育に対しては熱心で協力的なところ。私が宇部に住むようになってからは、宇部市で一番生徒数の多いのは上宇部小・中学校というのが当り前でしたが、今ではどうなんでしょう。校外に新興住宅地が増え、例に漏れず宇部市も市中が空洞化していますからね。
その「祝150周年・上宇部小学校・2022」という大きな垂れ幕がふれあいセンターに掛かっていますので、それを眺めながら毎朝ラジオ体操をしています。
去年は「宇部市制施行100周年」という節目でしたが、何事においても長く継続するためにはこの節目というものが大事ですよね。例えばもし竹に節目がなかったらと考えてみれば、その大切さがよく分るでしょう。
考えてみれば、私も俳句を始めてからもう35年以上に、ブログも今年の2月で5年が過ぎて、今日はブログ開設から2020日なんです。我ながらよく頑張りました!
その地域地域によって異なりますね。
わがふるさとは農家が大部分であったため、春に「農繁休業→7日間」休みがあり、夏休みから差し引いていた。
宇部市・「祝150周年・上宇部小学校・2022」という大きな垂れ
おめでとうございます。
宇部と言えば「宇部セメント」があった場所でしょうか?
小学校 150周年ですか。すごいですね。
子供たちの通った中学校は、今年度をもって閉校になります。
また、小学校もあと数年で閉校が決まっています。
子供の減少で、維持できなくなったからです。
何とも、悲しい・・・
地域から学校が無くなると どんどん廃れてしまいますね。
県は、人口減 1位か、2位だったかと(;^_^A
コメント頂きながら…失礼しました。
そうなんですね。昔の田舎には農繁期というのがあって…その時期には家族中が手伝いをするため学校も休みに…懐かしいことを思い出させて下さってありがとうございます。
私は田舎には住んだことがないので、田舎の子の話を聞いて羨ましく思ったことでした。
大学へ行って〝秋休み〟なるものがあってこれも嬉しかった!
確か試験休みと言って、前期の試験が終ったからでしたが。
だから秋合宿といって山にも登ったし…。
小・中・高ともに二学期制になると休暇制度も変わるでしょうが…夏がこんなに暑くなるとすれば、これもムリかな?
「宇部」は炭坑の街で、村から一躍市へ格上げされたので有名ですよ。
もちろん「宇部セメント」も「宇部興産」なども〝宇部市〟です。お見知り置き下さいませね!(*^ー゜)
わあ、中学校が今年で閉校。小学校も時間の問題とは…淋しい限りですね。
全国的に出生率がこんなに下がっては、どこも同じような目に合うのは必然のことかも。
早いか遅いかの違いだけで…こうやって自然界も人間界も淘汰されていくんでしょうが、その節目に合うというのも哀しいことですね。
秋田は人口が元々少ないのでしょうから、それが更に人口減…その減り方も1位か2位とは…
きっと住み続けたい都道府県ランキングで秋田県が最下位なのが原因では?
これはなぜなのかしら…私の友人は転勤族で、東北の中では一番秋田が住みやすいと言っていたのに…
雪だけなら他にもいっぱいあるし…ミルクさん、思い当ることはない?
でも、あなたはガンバッテね。もう人口を増やすことには貢献できなくても…失礼!(@^▽^@)
それに、都会の大学に入ると、そのままそちらで
就職しますから、若い人がどんどん減少します。
悲しいことですが。
仕事場がないというのは山口も同じ…昔は宇部興産(宇部市)も出光興産(周南市)も羽振りの良いときがあったらしいんですけど…今は廃れて…というより東京の方へみな移動したからなんでしょうが。
企業も地方ではやっていけないから仕方がないんでしょう…
しかし、今回のコロナのせいで働き方が変わって、出社しなくても、また遠隔でも働けるような、そんなシステムが出来つつあるとか…よくは分りませんが、そうなれば故郷へ帰ってくる人も増えるのでは。
どんな所であれ自分の故郷というものは捨てがたいものなんですからね。
残ってるな、校歌も変わってないかな
節目か
竹の節目も長い所も短い所があるか
宇部市に炭鉱があったか
石炭だろうが、長州の炭鉱は余り聞いたことがない
石炭を移入しての産業は、瀬戸内は重工業の発祥地だな
出光興産が周南市の出か
産業を考えれば、北日本と南とは段違いだな
やはり暖かい場所もあろうか
南は重工業が発達し、効率を重視したため、いわゆる公害も多いな
幕末の雄藩も南だな、大陸から近いし、大陸からの文化の伝来も多いな
まあ、北には北の良さがあろうな
創立150年ですから、昔の木造校舎が今は鉄筋コンクリートに変わりました。でも校歌は同じなんですね。
もし校歌がたんびに変わったら歌える人がいなくなるのでは?(*^ー゜)
宇部市の炭坑は有名ですよ。昔全く縁の無い私でも知っていましたから…ただ、長州と言われると?
この宇部に炭坑を栄えさせたのはここを嘗て治めていた萩藩の家老筋の福原芳山公だそうで、…
ということは明治以後ですから、長州とは言わなかったんでしょう。
また近くにある美祢市の炭坑では良質の無煙炭が取れる所としてこれも日本では有名ですけどね。
でも石油の時代になってからはどんどん廃れていきました。
石炭と言えば三池などの福岡県が有名ですけど…あれは五木寛之の『青春の門』などで映画になったりということで知れ渡ったのではないですか。
宇部にはそんなドラマや小説がないですからね。炭坑の話はどこも似たり寄ったりでしょうから…ザンネン!