昨日は二十四節気の一つ、「処暑」でした。「処」は〝収まる〟という意味で、この頃から暑さが一段落するとされています。
目薬の処暑の一滴頬伝ふ 長村雄作
確かに目薬を差したとき必ず一滴や二滴は頬を伝って流れます。私なんかなぜかしら、目薬を差すのが下手で一発で入ったことがなく、殆ど薬を頬に流すことも…。(笑)その時のちょっとした温度差…顔というとどこでも、特に目などは敏感で、そのヒヤッとした感じは誰もが経験することでしょう。季語の中でも「処暑」のような目に見えない時候の季語は、その季節感を言い止めるというのはとても難しいんです。でもこの句はそれがよく分って実感のある佳句ですね。
しかし、東北や北海道を除いて、日本全国がまだまだ日中は最高気温30度を超すような状態ですもの。これで〝暑が収まった〟とはとても言いがたい!〝秋暑し〟でしょう。
さて、今日は20日の土曜日の〝きらら俳句教室〟第5回目の報告でも…
いつも通り9時30分開始。今回は水原秋櫻子の「自然の真と文芸上の真」について、少し話をしました。要するに真実であれば〝あり得べき嘘〟を詠んでもいいということ。〝事実〟だけを詠むのでは単なる報告になってしまいます。もしそこに咲いていなくても、その花を咲かせることによって詩情や芸術性が高まるというのならば、またそれが〝真実〟ならば想像の花を咲かせてもいいんだよと。〈俳諧師(講釈師をもじって)見てきたような嘘を言う〉と昔から言われてきていますもの。とにかく想像力を身につけ現実だけに囚われないで自由に翼を大きく拡げて詠んで下さいね。
10時になってから吟行へ。この日は朝からヘンな天気でとても蒸し暑く、しばらく歩いただけで汗が噴き出すような。下の写真は、湖側は青空だったのに、海側には不穏な雲が…ヘンな天気でしょう。でも雨は降りませんでした。
今回は初めて海の方を案内してもらいました。ちょうど夏と秋の端境期で見る物といっても花などはなく、鳥も…渡り鳥がもうそろそろ動き始めていて、その先陣をきって渡ってくるのが〝鴫(しぎ)〟類らしいのですが、潮の満ちている頃だったせいか、全く見つけられませんでした。また、花も殆ど終って今は実りに向っている時期のよう……。潮風に強いからか、茱萸(ぐみ)の木がやたら目に付きましたが、その実はまだ爪楊枝の頭ほどにもなっていませんでした。
下の写真は、やっと見つけた〝ハマボウ〟の蕾と〝カクレミノ〟の実、熟れると黒くなると。ハマボウはオクラの花に似た黄色の美しい花ですが、カクレミノともども季語にはなっていません。
余りに何もないので、SさんがレンジャーのTさんに〝その草むらを踏んでバッタでも跳ばせてみせて!〟などと言ったので、〈草を踏みあちこちばつた跳ばしたり〉という句も出ていました。実際は一匹も跳ばなかったんですけど…俳句はそれでいいんです。他の季語では〝狗尾草〟〝露草〟〝葛(くず)〟〝蟷螂(かまきり)〟〝蟬〟〝残暑〟ぐらいでしたね。
参加者も夏の疲れが出たのか、3人欠席の計10人でした。まあ一年中やっていればこういう時期もあります。でも〝継続は力なり〟ですから皆さん頑張りましょうね。
定刻12時過ぎには無事終了。私はそれから急いで帰宅し、猫ちゃん達に餌をあげ、またすぐに午後の句会へ。さすがに余りの蒸し暑さに今回はとても疲れました。オシマイ!
五木寛之は「大河の一滴」を描いたが、小説なら虚構になるが、この虚構が難しいんだろうな。虚構とは嘘なんだが、本当らしくないと読者はついてこないな。
司馬遼太郎も小説は疲れると随筆の方が思ったことを描けば良いから楽だと。嘘から真とも言うが、虚構の方が迫真をつくんだろうな
>要するに真実であれば〝あり得べき嘘〟
ある者が事実と真実は異なると
小生には分かるような分からんな
>目薬の処暑の一滴頬伝ふ
これも分からんな
現象では分かるんだが、何故処暑なのかが分からないな
処暑よ目薬の因果関係が今一つピンとこない
返信を入れて置いた
目薬の句…〈現象では分かるんだが、何故処暑なのかが分からないな
処暑よ目薬の因果関係が今一つピンとこない〉と…
そうでしょうね。これは理屈ではなくて感性でしょうか。とにかく目薬を差したときのヒヤッとした感じが処暑以前のとは違っていた。初秋の風などもそうでしょう。
特にこの2、3日の朝の風は間違いなく秋をかんじさせてくれますもの。その感覚だけが分れば…共有出来ればいいんですよ。
もし因果関係がピンとくるようならその句は駄句ということにもなりますから。
事実は今目の前にあるそのままのもの・こと、真実は永久不変の本質的なもの・こと…だと私は考えています。
ああ、返信もありがとうございました。
とにかく読むのも書くのも…お疲れ様でした!