一昨日22日の金曜日に打ったコロナワクチン…やっぱり4度目でも副反応が出ました。熱が38度2分と…それ以上は解熱剤を飲みましたので???
前回も武田/モデルナワクチンでしたので、その時に書いたような気がしますが、とにかく全身の節々の痛みがハンパでない。よく〝身の置き所がない〟と言うじゃないですか、全くあれですよ!解熱剤を飲んでも37度ちょっとには下がりますけど頭痛までして我慢できず、結局5、6時間空けては3回も飲んでしまいました。
だから土曜日は食欲も全くなくて家でゴロゴロ…それに体がだるくって何もする気にもなりません。そういえば思い出しました。この全身のだるさは今まで味わったことのない倦怠感だとか何とか書いたような…今回も全くそう。
それが、急に夕方になって熱も下がりウソのように体が軽くなったんです。それで、やっと義母の所へ行って、土用の丑の日だからと〝鰻〟を…以前贅沢をして鰻重を食べに行きましたが、今回は買ってきて半身ずつを鰻丼にして食べました。だからか味がイマイチ…いや、いや、とっても美味しかったはずなんですが、私の舌が病み上がりでよくなかったからなんでしょう。ゴチソウサマでした!
ところで、昨夜のカープとヤクルト戦、何とナンと、今までやられた分のお返しを一遍にしているみたい!6人が猛打賞で、他も殆どヒットの22安打、15-3の快勝でした。愉快なのを通りこして気の毒になるほどで…やっぱりコロナの影響が出ているのでしょうか。でもそれはカープでも同じことだし。とにかく今までに無く気分爽快!で家に帰りましたよ。
おまけに昨夜は待望の宇部の花火大会もあったようす。3年ぶりかしら?いろんなことが元通りになりつつあるという…それなのにコロナの数はどこもうなぎのぼりですよね。山口県も20日に1000人を越え、それから毎日1000人以上で、最高は21日に1424人が出ましたし…皆余りコワくなくなったのでしょうか?
でも、ほんのちょっぴりのワクチンを打っただけで、あんな辛い状態になるのだったら本物のコロナに罹ったらどうなるのでしょう。私だったら何もかもがお手上げになって、それも何日続くかも分らないということになると恐ろしくってたまりません。無反応の人がウラヤマシイ!やっぱり〝触らぬ神に祟りなし〟で、感染の恐れのある所には近づかないようにしましょう。マスクも手洗いも消毒もしてね。クワバラ、クワバラですよ。
今日の写真は、とろろ・こんぶの肉球です。こんぶは黒いから分りにくいでしょうが、とろろは毛が白いからまさに猫の足跡…可愛いでしょう。触るとポヨポヨして気持がいい!いつも二人に癒やされています。
私は野球を見ないので、どこが、どうなのかさっぱり(;^_^A
応援しているチームが、調子上がってくると、そりゃ嬉しいですね(^^♪
でも、大谷君の試合は見てますよ。
(=^・^=)ちゃん、肉球かわいいものね~
ううちにも、過去に何匹もいたので、わかりますよ。
あら、プロ野球は見ないんですか?それじゃあ応援する球団も選手もいないのは当たり前ね。
でも、大リーグの大谷選手は応援しているとか…それはきっと東北出身だからでしょう。高校野球の甲子園は?
もし地元の高校が出場すれば応援するわよね。プロ野球もそれと同じようなものかな。
やはり地元を…我家は広島を…ということなんです。
ミルクさんのお庭や畑にはたくさんのキレイな花が咲いて…これらを見ていればこの夏も元気に乗り越えられますね。でも草取りで無理しないで!
毎日拝見しています
さて広島ファンのちわきさん
先日の日曜日の事、娘婿(広島出身)にむかって孫娘が「なんで私が広島の野球見なければいけないの?」これが5歳の子の宝のようなお言葉でした
5歳の女の子に選択権が芽ばえました
因みに東京生まれの人間はそれほど郷土愛が無いのかもしれません
東京生まれのアンチジャイアンツです
いつも見て下さってアクションもして下さり、励みになります…何て言って、更新がボッチボッチで申し訳ありませんね。
でも、ウレシイですね!ころころさんは東京生まれの東京育ち…なれどどうしてかアンチジャイアンツなんて…
娘婿さんは広島出身なら当然カープ贔屓でしょう。孫娘さんはその婿さんの子どもさんなのでしょう。
絶対カープ女子に育ててあげて下さいね。
ナンでも金に物を言わせて…という権力者が私は大嫌いなんです。
丸を引き抜いて長野を追い出し…その長野が巨人戦で大活躍!
胸がスーッとしましたよ。
今年の合い言葉は〝やっちゃろうや!〟なんですからね。
ちなみに、我が馬酔木の現主宰も嘗ての春郎先生も東京生まれのカープ贔屓ですからね。
これからもよろしく!婿さんにも…
その代わりかな効き目がゆっくりだと
西洋薬はすぐ効くようだな
小生などは鈍いが鈍い様かな
コロナワクチン接種は腫れるが、4回目ともなると慣れかな、段々と副作用は小さくなってくる
カ-プか
前のコメントで書いたが
最近の球団は買収や譲渡が多いな
この前近所のおっさんがスワロ-ズの野球帽をかぶっていた
国鉄マンか聞いたが、キョトンとしていた
国鉄スワロ-ズの金田正一
なぜ読売ジャイアンツへ行ったのかな
今じゃ、読売とは言わないのかな
その点カープは昔から広島だな
確か、戦後だろうな、戦後の復興の一環で職業野球を持ったのかな
運動とは賭博と同じで熱くなるか。しかし賭博は集団でなく一人でだな
昔は西鉄ライオンズ?…あれ、これで正しいんですかね。今のソフトバンクですが…どの球団も次々に名前が変わって…ということはオーナーが変わったということなんでしょうが、それが余りにもころころと変わるものだから覚えきれません。風の盆さんの言われる通り、広島は市民球団ですからズーッと広島です。それがいいのかも。
とにかく稲尾和久選手がいた頃です。彼が大分県別府市の出身でしたから一生懸命応援していましたよ。でもそんなにテレビを見るようなことはなかったと思いますけどね。
こんなに野球を観るようになったのは退職して暇になったからでしょう。(@^▽^@)
ワクチンは何回やっても私は慣れませんでした。それにファイザーとモデルナでは副反応が全く違っていましたし…薬も人を見るんですかね。(笑)
娯楽と言うかスポ-ツだな
野球は六大学野球かプロ野球だったな
高校野球は夏だけだから余り聞かなかった
夏だけというより、高校野球は3年間でその時だけ。負ければ終わり
スタ-性が無かったな
その点プロ野球とか六大学はスタ-がいた
芸事は贔屓筋がいると、贔屓が出来るのがその芸事を好きになる近道なんだな
プロ野球に関して言えば、大洋ホエ-ルズが好きだったな。三原侑、名将だったな。それと秋山、土井のバッテリ-、桑田などがいて万年最下位が優勝したな
広島東洋カ-プについて、前に書いたがやはり、原爆からの復興があったんだな。都市対抗もあるが、プロ野球では市町村が球団を持っているのは珍しいな
まあ、広島市の誇りもあるんだろうな
広陵高校は最近は聞かないがどうかな
三原侑と言えば、西鉄ライオンズだな
中西太を擁して、神様、仏さま、稲尾さまだったな
確か日本シリ-ズで三連敗から四連勝したんだな
それと下関商業に池永がいた
才能はあったな。逃げた東野なんかより優れていた
黒い霧事件、八百屋の長さんだな
池永は永久追放、東尾は逃げ切れた
池永は確か中州で飲み屋をやっているとか
プロだから八百長はあるだろうが、後味が悪かったな
まあ、プロ野球で思い出した
昔はプロ野球を愉しんでおられたんですね。
私は今でこそ広島に縁があって応援してますが、主人と結婚しなければ恐らく何も知らないままでしょう。
だから、風の盆さんが書かれている選手の名前ぐらいは知っていますが、黒い霧事件なんかは全然記憶に?
また球場に行ったこともなかったし…
しかし、球場に行くとあの雰囲気に呑まれて、ついつい大声で声援したり、一緒にウエーブを作ったり、グッズを揃えたりと…いつの間にかフアンになってしまいますね。
六大学野球には昔も今も全く興味が無いんですよ。やっぱり東京に住んでいるとかでないと、または我が子が行ってるとかでないと殆ど見ませんもの。
箱根駅伝なんかもどこが優勝しても同じ…ただ駅伝として面白いので見ますが、応援はしてません。
宇部の選手が出てれば少し違うかな…。だから高校駅伝とか県対抗などは見てますが、山口は弱いから…
高校野球もそうでしょう。
今年は下関国際を心から応援しましたよ。
返信ありがとうございました。
コメント、注釈も色々打ったが一つには色んな事を、茶々を入れて見ると分かる場合もあるな
しかし、ちわきの俳句の教室だけあって こと俳句に関しては素直に分かるんだな、解説やら注釈で季語を用いた俳句に関しては人が変わったようだな、映画など見ていると役者の表情が変わっていく時もあるな
目薬にしても忌日にしても分かってくるんだな。なるほどと、不思議なものだわ
サラダ記念日とは何故サラダと命名したか、多分サラダについて読んだんだろうな。それが現代離れ、いや古典と違った感覚でびっくりしたのだろうな
俵万智は短歌の新星だったかな
寺山修司が青森の田舎から三沢から早稲田に来て、俳句研究会に入ったと、大橋巨泉は逃げたと
8月もボチボチ終わりだな
達者でな
俺は何気なく達者でなと発するがな
またまた書いてしまいましたが、最後に〝達者でな〟と書かれると、〝ああ、またどこかに旅へ行かれるのかな…今度の風の便りはいつ頃かしら?〟なんて思ってしまいますよ。
サラダ記念日はきっとご存じだと思うのですが、〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉という歌からの歌集の題名です。
ベストセラーになったので、私もこの歌集を読んでビックリ!でした。
短歌がこんなんでいい(失礼かな?)のなら私もこっちをやればヨカッタなんて!
俳句を始めたばかりの時でしたから…
当時としては口語短歌が珍しいのもあったんでしょうが、短い31文字でもドラマが描けると…それも古語を用いずに…
じゃあ俳句でも…と試みたことはあったんですが、ことごとく失敗。余程のことがない限り受入れてもらえませんでした。
これは〝なかなか面白いね〟と個人的には言われても、それを認めるだけの場は俳句にはありませんでしたね。
また要らぬ事を喋ってしまいました。
ではこれで…最後としますが、私だったら…〝じゃ、またね!〟と…