今日の肌寒さは何でしょう。突然気温が下がって…そんなに天気が悪いわけではないのに、朝からゾクッとしてもう一枚羽織らないといけないほどでした。それでも昼間は20度はあったんですからね。25、26度から急に下がったのでそう感じたのでしょうか。テレビでは3月下旬頃の気温だとか…
他にすることがないので、このところ真面目に毎日リハビリへ通っています。今日も午後から行きました。先日行った耳鼻科は、何時行っても待合室がいっぱいで1時間以上待たされるのは覚悟の上でしたのに、あの日は何とガラガラ。整形外科も同様で、以前はこんなに少ないことはなかったんですよ。これでは病院の経営が成り立たなくなるのも無理はありません。もしこれが長引くようならどうなることでしょう。他人事ではありません。行きつけの病院がなくなることも、また、大きな病院だって閉鎖されるかもしれませんもの。
コロナが外出自粛の成果があがって何となく落ち着いてきたようですが、もし今度第二波が来るとすれば、また同じ状態が起こるでしょう。病院だけに限らず何度もダメージを受ければ、資金が底をついてしまうところもたくさん出てくるかも知れませんからね。
ところで、今まで気がつかなかったのですが、病院へ行く途中に茅花の穂が風に靡いてとても美しいところがあったんです。それで先日から写真を撮ろう撮ろうと思いながら、なかなかできずにいたのを、今日はやっと写してきました。
「茅花(つばな)」というのは春の季語で、イネ科の多年草、茅萱(ちがや)の花穂のことです。3、4月頃、野原や路傍に銀白色の柔らかい穂が揺れているのをよく見かけます。その若い穂を抜いて噛むと甘いんですよ。主人といるとすぐにその話になりますが、みなさんも子供の頃一度ぐらいは噛んでみたことがありませんか。
昔はおやつといっても何もありませんでしたから、子どもたちは野に出ると、茅花やすかんぽなど、食べられるものなら何でも口にしていましたよね。
次の虚子の句もその子供の頃の想い出でしょう。〝もうすぐ夕飯だから…〟と呼んでいる母の姿、夕日に照らされてキラキラと光っている茅花の穂、この子はもしかしたらお母さんにもあげようかと思って摘んでいるのかも。かつての田舎ならどこででもみられた日本の原風景ですか。
母いでて我よぶ見ゆる茅花つむ 高浜虚子
その花穂がやがてほうけて白い絮となり、それが一斉に風に吹かれて靡く光景はとても美しいです。その頃に吹く南風のことを「茅花流し」といって、これは初夏の季語になっています。そもそも「流し」というのは、梅雨の頃に吹く湿った南風のことですので、この「茅花流し」も梅雨の先触れともいわれています。これと同じようなのに筍の生える頃に吹き始める南風の「筍流し」というのもあります。
茅花流し水満々と吉野川 松崎鉄之介
遅れゆくひとりに茅花ながしかな 片山由美子
前句の〈吉野川〉は、〝四国二郎〟と呼ばれる日本三大河の一つの吉野川でしょうか。それとも奈良県の〝紀ノ川〟かも。どちらにしろその川の水が〈満々と〉ですから、景が大きいですね。その川辺一帯の茅花の穂が風に吹かれて靡くさまはさぞや美しいことでしょう。
後句は、〈遅れゆくひとり〉が絶妙です。何の会なのでしょうか、もしかしたら句会か何か、遅れてゆくという申し訳なさ、それもひとりだけ…なんとも気が重いこと。その気持ちに「茅花流し」のちょっと湿り気のある風が余計に気重にさせるというわけ。
両句ともにそれぞれの景色がしっかりと見えてくるとても良い句ですね。私もこういう句を詠まなくっちゃ。さあガンバロウ!
お早うございます。
”茅花”ハイ、野原の一面にそよぐ風に揺れる姿、お見事ですね。
茅花とはイネ科の多年草で、その花穂は初夏に見られる。「流し」は雨の気配を含んだ南風とのこと・・・・季語・検索。
茅花+流し=茅花流し。
最初見た時①人工的なものか、茅花の穂を摘みとって川に流した。
②茅花の穂が呆けて風に舞って河川に飛んで行き流れた
ものかと二者択一を想像しました。
故意か、自然か?後者でした。
私もこの茅花の群落に出会い激写し一句詠みました。
茅花の穂野原一面なびきおり (縄)
余談
≫茅花の穂、子供の頃一度ぐらいは噛んでみたことがありませんか。
yes i do,ハイあります。
♬
いつも隣の美代ちゃんと
ランドセル背負って元気よく
お歌を唄って通う道
ハイ、学校帰り、田んぼのあぜ道に茅花の穂が沢山ありました。
食べられる、口にすることできる・・・・・は、以心伝心上級生や兄や姉から、バッチリし込まれました。
、
いつもコメントありがとうございます。
俳句を詠む人はこの〝茅花流し〟にはあこがれますよね。
以前俳句を始めたばかりの人に、この季語を教えてあげると、次からはこれでもか、これでもかといって詠んできていました。アハハッ
もちろん茅花はよく知っていて、子供の頃に食べていたんですと…でも、その頃に吹く風を〝茅花流し〟ということを始めて知って感動したらしいのです。
これだけでも俳句をやってよかった~と喜んでいましたから。そういう意味では季語は日本の宝庫ですよね。
縄文人さんも童心に返って、いつまでもお元気でいてくださいね。
大好きな季語です。梅雨の時期は嫌いですがその前の、ちょっと蒸し暑い晴れた日は寒がりの私には好きな季節です。
でもこちらはこの数日雨模様の寒いような日々です。
茅花も躑躅の蜜も貴重な「スィーツ」でした。
吟行の途中で茅花を噛んでいたら、50代の句友に
「猫みたいですね」と言われました。
今日もこちらは雨は降らなかったけど、ちょっと気温は低い…車の中でも日が照って20度ですからね。
茅花流しがこんなにキレイに見られる所があったなんて、今まで気がつかなかったのか、または今年がこんなにキレイに揃って生えたのか、不明なんですが…?
きっと来年からは気をつけて見るようになるでしょう。
やっぱりもののない時代に育ってない人には分からないのかしら。猫みたいなんて!
でも自然のものを懐かしいと思える経験…俳句人は大切にしたいですね。
これからも不安定な気候でしょうから、お互いに気をつけましょう。
ああ、東京はまだ解除されてないんでしたね。コロナにも気をつけて下さい。
皮を向いてよく食べましたよ。
「いたどり」ってゆうんですね、「虎杖」って、本当は。
茅花は食べた記憶はないですが、子供の頃には野山に一杯ありました。
爪で渋を剥ぎ取って食べた”山栗”や”木通”や”木苺”や。舌でその頃を思い出します。
だんだん言葉でしか残らなくなってゆきますね。
すかんぽは歌がありますので、それを歌ってはよく食べていました。というより面白くて囓っていたのかも。
今でも吟行に行くと、いいおばさん連がみんな懐かしがって囓ってみるんですよ。
〝いったんどり〟って面白いですね。奈良の方ですか?
山に行ったら通草も木苺も…冬苺も…まあ、甘いものなら何でも食べていました。
今でも私たちは山に行って食べていますから…そして俳句に詠んでいますから大丈夫ですよ。短歌や詩もそうでしょう。
ガンバリマっしょ!