今日の朝目が覚めると窓に青空が見えました。起きていくと外にはお日様も差しているじゃあありませんか。何日ぶりでしょう…なんていうのはちょっと大袈裟なんですが…でも実感でした。
昨日の〝この秋雨前線は15日に一旦太平洋側に南下し、雨は小康状態になる地域もあるようです…〟という言葉通り!最近の天気予報はよく当たるんですね。
今日は「8月15日」。そう…〝終戦の日〟とか〝敗戦の日〟といって、秋の季語です。午前中子どもたちも一緒に義母の家へ仏様のお参りへ行きました。普通は義母が元気なら広島へお墓参りに必ず行っていたんですけどね。せめてお仏壇だけでもと、蝋燭とお線香を上げてきました。帰りにふれあいセンターの前を通ると…エエッ、国旗?…よく見ると「半旗」。でも、久し振りに見ました。
半旗とは、弔意を表すために、国旗などを旗竿の頭から竿の長さの3分の1ほど、または、旗の丈の半分ほど下げて掲げること。息子などはよく知らなかったようで…、こういうこともきちんと教えておかないといけませんね。一事が万事ですもの。子どもたちに日本のよき風習は伝えておかないとと常々思っています。このお盆のしきたりなども。また、なぜそのようなことをするのかということも。
ところで、先日の吟行会で行った教会での話…。
教会には鐘が付きもの。その鐘の音が朝夕に響くと、私はキリスト教徒ではありませんが、敬虔な気持になり祈りを捧げたくなります。また、我家の傍にお寺がありますが、その鐘にしても朝夕聞けば心が穏やかになり、決してイヤなものではないと思うのですが…
実はこの教会の鐘が紐で鳴らないように縛ってあったんです。それで、どうしてかを聞きましたら、以前は朝夕鳴らしていたんだそうですが、住民からうるさいと苦情が来て、クリスマスや結婚式の時だけ…それも控え目に鳴らすんですって。
そういえば都会では風鈴なんかも窓には提げられないとか。ラジオ体操もうるさいからと取り止めになったり、実施してもほんの1週間だけとかだったり…と聞いたことがあります。赤ちゃんの泣き声もうるさいと言われて肩身が狭いとかも…どうして日本はこんな世知辛い国になってしまったんでしょうか。これでは子どもたちがすくすくと育っていく環境がどんどん少なくなってしまうのは当たり前。こんな田舎でもそうなんだとしたら、東京などの大都会での暮しはとても息苦しいものなのではないんでしょうか。
これではストレスが溜まって、子どもが泣く度に折檻したり、虐待するということも起り得るような気がします。まっこと〝どげんきゃせんと〟ですよね。
この写真は、今日の夕方4時半頃の空。もう黒い雨雲が一面に覆ってきています…
ご存知のやうに、大分は、そちらに比べるとずいぶん田舎ですが家庭でのバーベキュー禁止の団地もあるのですよ。
度を越した大騒ぎじゃなかったらよさそうなのにね。匂いが漂うのが悪いらしい。
夏はつとめてラジオ体操を楽しむ、いわんや寺院の鐘をや
教会は近くにないので、わかりません。
自分は不調法な隣人の木枯らしの頃まで吊るしっぱなしの風鈴はいやです。
なぜかわびしい気持ちになるのです。
あとバイクの空ぶかしです。
古語は英作文と同じで、真似して慣れるほうが早いですね。
ただ詩の心はなかなか大変です。
いつもちわき師匠に一番気になっているところ(脆弱性)を指摘されております。
確かに雨が強くなるたびに気なって本を閉じたのでございます。
夕方晴れ間がでましたのでもう一度ドライブがてら子供の運転で墓に行ってきました。
待たれたる青空のあり墓詣 信州人
「待たれたる」は自分は語彙が少なく未熟なので、虚子の句から引用いたしました。
お許しください。
藤田師の本を読み進めましたら、中七を「や」で切る、それは堅苦しいので次は「や」意外で切れと。
梯子をはずされたー(笑)
うちの家紋は「抱き茗荷」であります。
桔梗のほうが格好いいし、山で出会うとあの色にははっとさせられます。
いつもお母様とのやりとりなど…楽しく拝見しています。未だお元気だから羨ましいですよ。
こちら宇部は…というより山口県そのものが田舎ですよ。
大分市の方が都会…でもちょっと奥へ入ればやっぱり田舎かな?
まあ似たり寄ったりでしょうが、団地の家庭でのバーベキュウが禁止ですか?じゃあ秋刀魚を焼いたり、焼肉なども家では出来ない…ということになりますよね。
もし匂いなら…羨ましいからでは…なんて。要するに個人主義の弊害ですよね。
秋の風鈴…〈くろがねの秋の風鈴鳴りにけり〉飯田蛇笏の名句です。
でも木枯しの風鈴じゃあね~風情ではなく無精をさらけだして…これはいただけない!
枕草子〝すさまじきもの〟に、昼ほゆる犬がありましたが、そうすると夜ほゆる犬ならよかったのかしら?などど思いますね。バイクは夜の暴走族…あれはイヤでしたね。でも最近は余り聞かないけど…
要するに感性でしょう、清少納言の感性には現代に通じるものが多多ありますが、今の世の中を見たら何て言うでしょうね。
〈待たれたる青空のあり墓詣〉…
気持はよく解ります。でもこういうのを〝報告〟というんですよ。(^_^)
〈待ちゐたる甲斐ある空や墓詣〉とかすると報告臭さが抜けますが、ちょっと動詞が多いのがイマイチ…
青がなくてもいいでしょう。ついでに空も削りたい…というのが本音。
型というのは覚えてしまえば次はくずしてみる…しかし根底には残りますからね。柔道の受け身と一緒。身についてしまえば大丈夫。今度は攻撃の手を考えてみましょう。
家紋の「抱き茗荷」…ヘエッ、それは知りませんでした。今見てみましたら…スゴイ!何だか刀の鍔みたい…武士っぽいですね。きっとお武家さんだったんでしょうね。
ハンキでは意味が分からない
半旗になって、初めてどうして上まで揚げないか、高く揚げないかと疑問が湧いてくる。教育の問題かな。国旗とは国家とも言える。上まで揚げないのは失礼とも言えるかな
現状、実物を見れば、はてなと感じてくるな
柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺
子規は柿が好きだったと。鐘の音は、あの響きがいいんだな。
鐘の音がうるさいか
そういうこともあるかな
>今日は「8月15日」。そう…〝終戦の日〟とか〝敗戦の日〟といって、秋の季語です。
そうか立秋を過ぎているからかな
季語とは、旧暦で考えるからかな
じゃ、八月は季語かな、季語なら春夏秋冬のいつですかな・・・・・質問です
返信を入れて置いた
ましてや教科書の一番最後に印刷してあった「君が代」は、白紙を貼りつけるよう言われて、幼い子供は、何の疑問も持たず「ノリで貼っていた」んだとか。
とんでも無い事ですが、そういう半日分子が学校の先生であった時代があったのですねえ・・・・君が代もよく分からないのに、国旗、それも半旗なんて知る由もないです。
山口市のザビエル公園という教会があり、朝夕鐘が鳴ってました。五月蠅いとか思わなかったですけどね、もし、今住んでいたら、五月蠅いって言うのかしら。
ザビエルも焼失して新築されて以来、教会じゃなくて「ただのオブジェ」みたいで、興ざめです。
いずれは山口に帰りたいなあと思いつつ、未だに実現できずにいます。
〈くろがねの秋の風鈴鳴りにけり〉
秋の風鈴としたことで、くろがねの色、金属音がまた秋の涼しさを引き立てますねえ。
きっと風速は2です。大切な句です、
枕草子と徒然草は高校の古典の副読本、長期休みに明けに毎回そこからテストがありました。
うーん、どの段が出るか山をかけておりました。
もっとまじめにやっていれば。。。
英作文はありますが、古文作はなく文法解釈のみ。
古文法を学んで,歌や句を作ってみようという授業展開なら古文の授業最高!
カリキュラムを変えるように短詩の諸協会等で言っていただければ。。。
待たれたる、みつけた言葉に酔って言葉にうかれておりました。
下手な時事句、川柳で寝ます。
けふだけのコスモポリタン終戦日 信州人
おやすみなさいませ。
鐘は昔から私たちの暮しになくてはならないものだったでしょう。
世界の東西を問わず古代から〝カネ〟というものはあったようで、多少形が違っても、音を鳴らして時鐘や警鐘に、また神事、仏事にも欠かせません。
耳の傍で日がな鳴らされたらとかの話ではないのですから、これはやはり心の問題でしょうか。悲しいことですが、きっと心で〝聴く〟ゆとりがないのでしょう。
いつぞや書いていらっしゃいました句…〈八月や六日九日十五日〉
この句の作者は勿論いるようですが、余りにも類想が多くて…
先ず「や」が「の」や「は」となって殆ど同じと言っていいもの。その他言わんとすることが同じもの…これはもう五万とありますから。
日本にとっての八月の意味はここに集約されますものね。即ち「八月」がなければ、ただそれだけの日にちになりますからね。
八月は勿論季語で、秋の季語になっています。一般の方は「夏休み」があるから夏と思われているようですが、立秋が8月8日ごろですから初秋として扱われます。
しかし、6日はまだ立秋を過ぎていないのですが、「広島忌」も「原爆忌」と一緒に秋の季語なんです。
今はまだこの日にちだけで特別なものとして忘れられない人々が生き残っていますが、これが100年、いや何百年も先になれば…、歴史では学ぶでしょうがピンとこないという時代が来るでしょう。私たちが戦国時代の何かの日を言われてもピンと来ないのと同じように。
俳句は〝今〟を詠み、それに過去を重ねるという手法を取ります。また理屈だけでも575になれば、季語があれば確かに俳句〝らしく〟見えますが、こういう話になるときりがありませんので、またに…
でも、先日だんだん俳句に興味が…と書いておられましたが、ワタシの影響?ならウレシイ!…です。
国旗掲揚も国歌斉唱もしなくなって…あれは日教組が強くなって、いろいろ問題が起り、それが現状にも繋がったままなんでしょうね。
私は私学でしたので、当然式では国旗・国歌ともに大切にされていましたが。思想的な問題ですから単純に一言では云えないでしょうが、…
国を大切に思う心は、親を大切に思う心に通じます。
戦争の責任を国旗や国歌に負わせるのは…ちょっと違うのでは。
もっと真実を見る目や人や生きものの命への尊厳の心を養うような教育を、特に無垢な子どもたちにはして欲しいと思いますね。
サビエル聖堂は、断然昔のが良かったですが、でももう慣れてきて…
初めて見る人はもうあれがあの有名な…となっているようですよ。
でも、鐘は昔の聖堂のを付けていて、あの美しい鐘が時間毎に鳴り響きます。
私たちはわざわざそれを聴くために時間の合わせたりして、聴くんですけどね。鐘は一つではありませんので、それが響き合って清らかないい音色ですよ。
コロナが収まったら一度いらっしゃいませね。
お盆休暇も済んで、また忙しい日に戻られたことでしょうね。
休日の有り難みは働いていればこそ…です。毎日がサンディーとなれば、曜日も分からなくなって…メリハリのない暮しに。でもそれもまたよしですが…。
しかし、人間の脳には弛緩と緊張がなければ、いずれ認知症へ進むかも。
このバランスが崩れるとこれもストレスが強すぎて精神に異常を来すことにも。
そのバランスを保つのに俳句はとてもいい効能がありますよ。
現役の頃は古文の名文章の暗唱を必ずさせていましたが…古作文までは?
でも学級日誌など…感想に…いとをかしとか…いとにくし…とか書いたりしていて楽しかったですね。
もっと早く気がつけば…きっと俳句をしていなかったからでしょう。
今時の入試には古文も要らないから…殆ど本気で勉強しないのでは?
ましてや漢文などは英語などの外国語より遠い存在になっているのではと思います。
だから日本語を学んでいる外国の人の方が日本語には通達していて、正しい言葉遣いで美しく話せる人がいますもの。
もう五年以上になると思いますが、指導要領の改訂があり、小学校の低学年から短歌や俳句を取り入れて創作させ情操を高める教育をすると盛り込まれました。
その年の俳句大会への子どもたちの応募数がそれまでの数倍に跳ね上がったにはビックリしましたが…。
残念ですがその年だけでまた以前に戻りました。
〈けふだけのコスモポリタン終戦日〉…
面白い!自嘲的ですね。でも本当に敗戦を味わった人の句ではない…〈けふだけの〉が微妙?
世界では今日も戦いが…明日も…