今日も宇部は快晴で、最高気温は21度。当分はこのような状態が続くそうですが、このまま行けば真夏にはどうなるのでしょう。コロナのこともニュースでは見ていますが、もう慣れっこになって、感染者数は決して減っているわけではないのに、みんな少しも気にならなくなったようす…ちょっと心配です。要するに慣れたということでしょうか。
でも、この〝慣れる〟ということの怖ろしさはいろんなところで実感します。先日もつい慣れた道なので…と油断して、あわや事故になりかかりましたし、習慣になってしまったことは深く考えもせずについ行動して、大失敗することも。まさに一種の〝麻痺〟状態になるんでしょうかね。
ところで、〝慣れる〟という漢字には、他に〝馴れる〟〝狎れる〟〝熟れる〟というのがあるということ、ご存じですか?
〝慣れる〟には、〝長くその状態にあるうちに当たり前のこととして受け止めるようになる〟とか〝親しくなる〟などという意味があり、〝馴れる〟も似たような意味なんですが、特にこちらは〝野生の動物が人間に対し、またペットが新しい飼い主に親しみを表すようになる〟ときに使うことが多いですね。また、〝熟れる〟は、〝作って、また使い始めてから、時間が経って、状態が変わる〟ことで、〝すしがなれた〟などと用います。更に〝狎れる〟は〝親しみのあまり、守るべき礼儀をつい忘れた態度を取る〟ことで、〝なれなれしい〟などと用いたりしています。
コロナ禍でマスクや消毒や検温、更に三密を避けるなどということが今では〝当たり前〟になって気にしなくなったのは、やはり〝慣れた〟んですよね。ということはこの状態がこれからもズ~ウッと続くということにもなる…本当かしら?
以前のようにマスクなしで集まって、好きなように食べたり、飲んだり、お喋りしたりはもうできないの?ああ、ナンと悲しいこと!
ところで、これを書いていてもう一つ〝なれる〟という漢字を思い出しました。〝褻れる〟という字なんですが、ご存じですか?音読みはセツです。
〈唐衣きつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ〉という古今和歌集にある在原業平の和歌。この歌は『伊勢物語』の九段「東下り」にも出て来ますので、それを教えていたときに初めて出会った漢字でした。
ちなみに、この歌は〝着つづけて衣が身になじむように、長年なれ親しんだ妻が都にいるので、遠くはるばるとやって来た旅を、しみじみと思うことよ〟という意味。(旺文社古語辞典)。これは、「枕詞」「序詞」「掛詞」「縁語」という和歌の修辞法が駆使された技巧的な歌で、更に「かきつばた」の五文字を五・七・五・七・七の頭に置いた「折句(おりく)」という技法をも使っています。
高校時代の古文では、この『伊勢物語』の「東下り」の段は必ず教えますので、きっと習われたことでしょう。ほら、思い出されましたか?懐かしいでしょう。その和歌の中の〈なれにし〉という掛詞を、確か〈馴れ〉と〈褻れ〉で教えたと思うんですね。でも、今の辞書を見てみるとどれも〈馴れ〉と〈萎れ〉として説明してあります。これは恐らく〈褻〉という漢字が難しいから?…使われなくなって、同じ意味の〈萎〉になったのではないでしょうか。しかし、〈萎〉には、〝なれ(る)〟という読みはないんですよ。意味としては〝着なれて柔らかくなっている〟というのがありますから、〈褻〉の〝ふだんぎのようないつも着なれた衣〟という意味とは通じますので、そうなったのかも。そこのところはちょっと???
さて、その時はこのような未知の漢字に出会ったのが嬉しくて、それでしっかりと記憶していたのでしょう。さらに、それに関連して〝槌で布を打って柔らかくしたり、つやを出す道具〟としての「砧(きぬた)」などという語にも出会ったような気が…。
そうなんですね。昔は国語といっても、現代文の他に古文、漢文とありましたから、そのあたりで言葉や漢字などの面白さに目覚めたのかも?(*^ー゜)
今にして思えば、この「砧」という語が秋の季語だということなど全く気が付かず…。こんなことならもっと早く俳句に目覚めていたらどんなに良かったでしょう。きっと愉しく教えられたでしょうに…なんて!もう手遅れですね!いや、いや、まだ大丈夫…今でも新しい言葉に出会っていますもの。
こんな毎日だと充実していて愉しいですよ。みなさんもいかがですか?さあ、〝生涯現役〟ということでいきましょうよ!
写真は、〝芝桜〟、晩春の季語です。今が一番とあちらこちらに咲いています。先日の吟行会で…まさに〝好天あますところなし〟でした。
芝桜好天あますところなし 石原舟月
下の写真は、桜色の花びらのようなマスクと桜もちチョコ。 チョコは頂いてすぐに食べてしまいました。(笑) マスクは…余りにも綺麗で使うのが勿体なくって!だって不織布は何度も使えませんものね。