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マリーサ・ディ・ルッソ教授が3月31日に亡くなった。ご冥福を祈る。

2022-04-03 11:04:36 | 文化
Il Pescara 01 aprile 2022 13:29

Morta Marisa Di Russo, lutto per la scomparsa della professoressa nata a Torre de' Passeri
La Di Russo è venuta a mancare a Pescara, il cordoglio dell'associazione Giappone Abruzzo

マリーサ・ディ・ルッソ教授がペスカーラの町から去った。日本・アブルッツォ州協会から哀悼の意が捧げられた。長い闘病生活を続けていたが、昨日3/31亡くなった。Torre de' Passeriの出身。ナポリ東洋大学で学んだ。

70年代に来日。東京外国語大学でイタリア語教授として着任。日本におけるイタリア語教授法の歴史の基礎を作った。大学では何世代にもわたる学生たちを指導すると同時に90年代に始まったNHK TVのイタリア語会話講座のアドバイザーでもあった。言語能力の優れた習得のための多文化間でのダイレクトなコンタクトの重要性を主唱したひとりで、日伊大学間の交換留学プログラムの立上げメンバーの一人だった。ディ・ルッソ教授の研究と発表で重要なものは、下居春吉に関するもので、まだインテリ層の一種の「damnatio memoriae(名声の破壊)」が残っていた時代の人物だ(これは、マリーサさんが研究テーマにした時代はまだ日本ではこの下居なる人物は、”過去のいかがわしい人物”として考えられ、学術的には研究対象に値しないと考えられていた中で、マリーサさんが研究に取り組んだという意味らしい)。また、アブルッツォ出身のRaffaele Ulisse Barbolaniについても書いた。彼は1800年代の在日イタリア大使だった。彼がTommaso di Savoia-Genova王子の明治天皇面会を実現するのに大きな役割を果たした事を明らかにした。彼女はまたここアブルッツォでBarbolaniが注文した珍しい写真集も発見した。この19世紀の日本の重要写真は2001年に平凡社から出版された。
イタリアに戻ったあとは、欧州と日本の初期の交流の研究に専念することに戻った。特に、イエズス会のアレッサンドロ・バリニャーノの功績の研究だった。イタリアやましてやキエテ(彼女の生まれ故郷)ではバリニャーノの重要性が充分認識されているとは彼女は考えていなかった。カリキエテ基金から援助を受け、2006年、このイエズス会修道士の死の400年の記念の折には一連の重要な役割を果たした。それの企画の中には、イタリア、スペイン、中国、日本からの参加した会議、2つの展示会、市庁舎前にバリニャーノの像を建立などがある。また、キエティ・イエズス会修道士に関する研究センターの創設にも関わり(現在のアレッサンドロ・バリアーニ国際センター)、センターの科学委員は各地のイタリアや外国の大学の研究者たちが担っている。そして最近は日本・アブルッツォ州協会を立上げ、日本の言葉や文化の紹介に尽くしていた。また2016年にはバリニャーノの業績が発行され、その中でヨーロッパで最初に日本の大使になったことが報告されている。この疲れ知らずの研究者は最後までバリニャーノに関する普及版の本作りにも取り組んでいた、その本は九州の南島原市のイタリア研究者や研究家から求められたものだ。同市とキエティ市は2016年友好都市協定を結んだが、これにも彼女と日本・アブルッツォ協会が重要な役割を果たした。代表をはじめ同協会全員が彼女の死を悼んでいるが、彼女が始めたアブルッツォ州と日本のますますの関係強化を進めて行く事でしょう。最後のお別れとなる葬式は4月1日(金)の午後、ペスカーラ市アルクイォーネ広場のNostro Signore Gesù Cristo Crocifisso教会でとり行われる。


(本文)
https://www.ilpescara.it/cronaca/marisa-di-russo-morta-professoressa-torre-passeri.html?fbclid=IwAR3825gN3M0HJvVfd9vqMXHuX27bHDMuEoZumjEOw7i6SpC73oc3sjK3FDc