柏からイタリアニュース

イタリアの今をイタリアメディアの記事からお届けします。

ヴェネツィアの環境悪化が止まらない。

2017-08-12 23:39:47 | 社会
Il Corriere della sera 2017/08/04

Il degrado di Venezia non è complotto. La città perde tono e la colpa è nostra
ベネツィアがこんなに美しさを失ったのは誰かの陰謀なんかでなく、ただ市当局がやる気がないこと、そしてそれはわれわれの責任でもある。
まったく非常識な旅行者が大量に押し寄せているにもかかわらず、市当局はこの旅行者の問題にまったく対策をとっておらず、もともとのベネツィア住民は減る一方だ。いまや具体的な対策を考えることが急務だ。
Travolta da orde di turisti sempre più maleducati, scarsamente attrezzata a gestire invasioni di massa, sempre meno popolata da cittadini reali: è urgente voltare pagina

救助を頼む!ベネツィアが世界的謀略に晒されている!ニューヨークタイムズはいささか過激な表現で深刻なベネツィアの街の事態を伝えている。ベネツィアの街は確かに美しい、だが、窒息するくらいのツーリズムの波と憂鬱になるほどの退廃は驚くばかりだ。幸運なことに、当地の全国紙や地方紙ではまだ指摘も写真も警戒の声もかかれていないかのようだ。しかしそれは自らの自殺行為ゆえではない。ベネツィアを救うためだ。いまに始まったことではない。ベネツィアの政治家たちは何年も数々のうんざりするようなパフォーマンスをやってきた。”よそ者の”Indro Montanelliの指摘の前に、じゅうたんの下の塵を掃除するようなどうでもいい小さなことに没頭していたのだ。一方、そのMontanelli自身は問題を声高に主張したことで告訴されたのだ。
消え行くベネツィア人
それを彼女が書いたのは1996年のこと。彼女はベネツィアが嫌いだった?それとも反対に絶望的な思いで愛していたのか?ナショナルジオグラフィックのLisa Gerard-Sharpは、一年前に、<私のようにベネツィアを愛するものが他の人にはベネツィアに来るなという権利があるのだろうか>と自問する記事を書いていた。<ベネツィアを愛してやまないわれわれ旅行者は、むしろ、崩壊の危機にあるベネツィアを修復するためにその儲けを寄付している”Piazza Express”のピッツアを家で夕食に食べる方がいいのではないだろうか> ベネツィアを攻撃していたのか、ベネツィアを救おうと頑張っていたのか。旅行が悪いと言っているのではない。しかし、ベネツィアを崩壊に向かわせているのは旅行者の群集だということだ。San Bartolomeo広場にある古い薬局、Andrea Morelliの前の電光掲示板には毎日統計の数字が表示されている。市民グループが設置したものだ。昨日、ベネツィアの人口は54,579人に減少と表示している。しかし、その多くは架空の住人だ。B&Bの規則に従わねばならないからだ。何百万という旅行者が狭い中に押し込められているのだ。こうした旅行者が使える公衆トイレはなんと12箇所しかない。旅行者が年に28百万人だというのに。今年2017年には増えるのだろうか?
旅行者のマナーが悪化する一方だ。毎日のようにベネツィアの新聞が、写真やビデオや記事で、ベネツィアの退廃を伝えている。馬鹿な若者たちが、17世紀のスラブの貴族の格好をして、運河に向かって排尿をする姿を、旅行者に向かって、<見て見て。写真を撮って。>と悪ふざけだ。Made in Veniceと書かれた中国製のガラクタの販売業者、我慢できなくなって排尿や排便を運河や、時にはエノテカの塀にする夫人もいる。おなかを突き出して旅行者の群れの中を突き進む太ったご婦人、水上タクシ、ゴンドラ、水上バスでいっぱいの運河、30立方メートルはある日常のごみ収集でこぼれ落ちたごみの山、、、、
旅行者の群集に押しつぶされたベネツィア
“私たちに残されたもの”。わずか20年前のフランス映画のタイトルが警告していたものだ。”私たちに残された”、この言葉の意味は、実際にそうなる前に想像できたり、現実に起こったりするということを知っている者によって叫ばれていた公共サービスのようなものだ。私たち自身のことだということを理解できるだろう。2015年にバルセロナAda Colau市長の過剰な旅行者の流入に対する警告を発していたのだ。”われわれはベネツィアのようにはなりたくない。”と。バルセロナの町にはベネツィアと同程度の旅行者が訪れていたが、その広さははベネツィアに比しはるかに広く、もとの住民数も29倍もあるという時点ですでに警告していたわけだ。にもかかわらず、当時のベネツィア Luigi Brugnaro市長ときたら、”ぜひAda Colau市長をここベネツィアにご招待したいねぇ。彼の考えも変わるよ。ここベネツィアは元気だし、これからもそうありたい。世界の国々からたくさんの人々に来てくれる町としてね。” ベネツィアは美しい。でも問題はあまりに旅行者が多いこと、そして違法なものも含め、ホテル、ペンション、B&Bがあまりに多すぎるってことだ!Dario Franceschini は、ベネツィアが過剰な旅行者の問題があることは認めつつ、一方で、”バルセロナの人々はベネツィアのようになれるとすっかり満足しているに違いない。”と思いあがっていると怒る。確かにそうかもしれない。しかし、それでもバルセロナではこんな旅行者の群れで町が押しつぶされることにはならないだろう。
外国の新聞はどう見ているのだろう。
ガーディアン紙は”この夏ベネツィアに行くなら、スモッグ用マスクを忘れないように”とのルポを掲載。エコノミスト紙も大運河の汚れを報道。より大衆向けのニューヨークタイムズ紙もベネツィアの行政や観光業者をいらだたせている。はっきり言えば、すべて改善は可能だ。確かにいくつかの問題は残るだろうがそれは記者たちに言わせておけばよい。グッゲンハイム基金の理事であるPhilip Rylands氏は、”ベネツィアは大変危機的状況ではあるが、改善は難しいことではなく、時間もそんなに掛からないのではないか”と話す。また、ベネツィアに対する批判を謀略とみなす者もいる。観光評議委員Paola Mar氏は,
Gazzettino紙に対し、”世界中の新聞からベネツィアが批判されている背景には意図がある”と語っている。謀略だというわけだ。まったく馬鹿げている。確かに誰かが記事を書き(当紙も含め)、その情報が海外の新聞に届き、拡がっているのだろう。ベネツィアがしていることを何とか止めようとしている者もいるだろう。
転換点
忘れられないのはベネツィア宿泊業者団体の代表Vittorio Bonacini氏のコメントだ。”これはベネツィアをネタに部数を伸ばすためのたちの悪い販売戦略だ。”なんてことだ。ニューヨークタイムズが、トランプの選挙で25万部のあらたな定期購読者をえた後で、今度はベネツィアをネタにまた部数を増やそうってか?ありえない。本当に真剣な転換点を示しているかもしれない。そしてベネツィアの人々が再認識することだろう。トランペットの音が響き渡る。そのときまで、ベネツィアの人々は世界のことではなくあくまでも一地域の問題だと主張するように、Guido Ceronettiが雑誌Un viaggio in Italia(イタリアの旅)で書いている言葉が重く響く。”美しいものを失うことや、もはや世界の輝きであることが出来ない精神的な堕落がどれほど卑しいものであるかを知る者を支持する愛国心ゆえに、苦しみたくはないという当たり前の気持ちとは正反対の不道徳な何かがあるのだ。”

(原文)
http://www.corriere.it/cronache/17_agosto_05/degrado-venezia-non-complotto-a3926426-7955-11e7-9267-909ddec0f3dc.shtml

イタリアでは激しい暑さが続いていますが、北部では豪雨も。

2017-08-05 16:24:10 | 社会
Il Corriere della sera 2017/08/04

イタリアでは各地で暑さが続いているが、豪雨の被害も。
以下、2題を簡単にお伝えします。

1) コルティナから

Maltempo: a Cortina donna muore travolta in auto da colata di detriti
まず、ドロミテのコルティナから。金曜夜から土曜に降った豪雨で流された流木などで大破した車で女性が亡くなって発見された。2年前にも突発的な川の水の流れで橋が倒壊、3名が亡くなっている。
La vittima si trovava nella sua vettura che è stata travolta dai detriti in seguito alle forti precipitazioni che si sono abbattute sulla località delle Dolomiti. Due anni fa tre persone erano morte nel crollo di un ponte causato da una bomba d’acqua


(原文)
http://www.corriere.it/cronache/17_agosto_05/maltempo-cortina-morto-travolto-colata-detriti-5767012e-79a0-11e7-9488-fb4c3ebc9cd4.shtml

2)ローマから

Caldo record, per Roma la settimana più torrida di sempre
一方、ローマを含むイタリア中部は酷暑が続いている。
実際、気温だけでなく、熱量そのものも増え続けている。2003年8月の歴史的な暑さだった4日から10日の1週間も超えた。サハラ砂漠からの熱風はイタリア中部にもっとも影響を与えているようだ。
Non solo per le temperature registrate ma per la persistenza dell’ondata di calore. Superata, abbondantemente, la settimana più calda dell’agosto del 2003, quella compresa tra il 4 ed il 10 agosto. E Frosinone è la città con le temperature più alte

(原文)
http://roma.corriere.it/notizie/cronaca/17_agosto_04/caldo-record-roma-settimana-piu-torrida-sempre-c03a09b8-792c-11e7-9267-909ddec0f3dc.shtml



イタリアでは猛烈な暑さが続いている。そしてミラノでは?

2017-08-03 16:36:09 | 社会
Il Corriere della sera 2017/08/02

A Milano il caldo è da record,
raffica di chiamate e scatta l’allarme ozono
ミラノでは記録的な暑さ。暑さへの注意呼びかけが続く中、オゾン警報が発令されている。

木曜日の気温はさらに高く37度が予想されている。オゾンレベルはミラノで警報レベルを超えており、ロンバルディア州全体でも限界に近づいている。ミラノの行政府内部ではミラノをカイロと呼ぶのがブームだ。Luciferoと命名されたアフリカからの熱波は弱まりそうにない。気象予報士のA.ジュリアッチ氏は「今日は気温は37度になり、湿度は25-30%と予想されている。そしてこの状態は日曜日まで続くと予想される。」と語る。「来週はじめにようやく少しは気温が下がるだろう。」この暑さはオゾン量を急上昇させており、ロンバルディア州では警報レベルから警告レベルに達している。
ミラノ市がSan Marco通りのCam Gabelleに置いている対策センターではこんな呼び方が1つのブームになっている。「3日間続く火災、今週初めから1500件の問い合わせを受け、老人や生活困窮者に400件の食事を運んできた。」と、8月いっぱい、土日もなく、1日11時間体制で、交代々々で働く30名のサポーターのコーディネーターであるC.バルバリア氏は語る。
水曜日の17時。同時に電話が鳴っている。40歳のオペレータの女性が電話を受け取る。相手は83歳の女性だ。「お願い、誰かリミニの海に水浴びに連れてって。」まぁ、これは冗談だったが。しかし、深刻な場合もある。「暑さで体調が悪いの。大急ぎで扇風機が欲しいの。」こんな場合は早速手配が始まる。家族がいない場合には、水、Bagni Mistriosi入場クーポン、8月一月間の食料品などが準備される。
ミラノ市は通常のサービス以外に、各種の支援を提供している。7月末以来、450枚のプール入場券、95枚の映画やコンサート入場券、165枚のダンス入場券、215枚のアイスクリーム、牛乳、チョコレート券などが発行された。これは結構大きな数だ。「ミラノ市の機動性のおかげで、イタリア国内でそれぞれの地域ごとの暑さ対策が出来るのだ。」市の社会政治評議員のP.Majorino氏は語る。「Numero Verde(緊急連絡電話番号)の電話通報が増えているが、今のところ対応は出来ているし、今後とも支援を続ける自信はある。この点についてはミラノは強い意思と柔軟性があると思う。」
数千にのぼる公的、私的な支援者のネットワークは不可欠なボランティアに支えられている。個人々々が集まって大きな力になっているのだ。
水曜日、共同住宅の集会所や社会再生センターは人であふれた。そして交通機関も暑さにあえぐ人々であふれた。「バスはすべて冷房付き、赤ラインの地下鉄も100%冷房化だが、緑ラインは85%、黄ラインとトラムの冷房化率は60-65%だ。
Guido氏に聞いてみよう。「私は80代」と自己紹介し始めた。Slferino通りで働いていた。「Comasinaからナビリオを通ってGabelle橋まで自転車で通っていたもんだ。もしも誰かが私を連れてってくれるなら、君たちに会いに行くことも出来るんだが。」R.Gravottaの電話がすぐ後で鳴った。電話の相手はマリアさん、92歳。買い物に行くのに付き合って欲しいと。「年金生活者なんだから、私に必要なものは買えるはずよね。」

(原文)
http://milano.corriere.it/notizie/cronaca/17_agosto_02/a-milano-caldo-record-raffica-chiamate-scatta-l-allarme-ozono-f6c3dec6-77b7-11e7-84f5-f24a994b0580.shtml

(番外)ベネズエラの現状について

2017-08-02 14:06:13 | 国外記事
ベネズエラは2015年の国民議会選挙で野党が勝利してから、社会の混乱が広がり、政情が大変不安定な状況になっているようです。7月30日の制憲議会選挙を前にして、世界中でその選挙の行方が批判的に注目されていますが、30日付けのコリエレは一般の国民の一例としてインタビュー記事を載せていましたので、ベネズエラの人々の生活や意見の一端を見てみようと思い、翻訳してみました。

La Corriere della sera 2017/07/30

la crisi economica

Venezuela, Pedro e Carmen:
«La classe media ha perso tutto»

La storia di una coppia che si occupa di medicina naturale e terapia del dolore: «Cinque anni fa eravamo una famiglia normale, ora non possiamo bere una bottiglia di vino»

経済危機
ベネズエラの夫婦、ペドロとカルメンの場合
「中流クラスはすべてを失ったよ。」
二人は自然薬の処方と痛みのセラピーの仕事をしている。「5年前には普通の家庭だった。しかし、いまは一本のワインさえも飲めないんだ。」

「5年前までは普通の家庭だった。仕事で食っていけたし、友人たちと夕方集まっての食事買いも出来たし、1年に一回は旅行も出来た。それが今では、最後にいつワインのボトルの栓を抜いたかも覚えていないよ。」ペドロは54歳、カルメンと一緒に住んで10年。カキと呼ばれる、カラカスの丘の街に住んでいる。家は2階建て、トロピカルな植物に囲まれている。気温は年間を通じ、昼夜を通じ、25-28度と快適だ。家の中は香がかおり、猫たちがそこかしことに。二人は互いに愛し合い、好きな仕事を持ち、すばらしい場所に住んでいる。すべては神様のおかげ。2つのことさえなければ。1つは私たちが彼らの住まいにたどり着くまでに潜り抜けなければならない装甲付きの柵扉、そしてカルメンとペドロが話してくれた非常識な話だ。

「ベネズエラの悲劇とは私たちそのもの。世界の人々にとっては信じがたいことかも知れないけど。普通の生活から惨めな生活になるのにあっという間の数年だった。私たちは自然薬の処方と痛みのセラピーの仕事をしている。1日に15人のお客さんが来るまでになったが、それが今では4人だけ。一時間で1万5千ボリバルが料金なんだけど、お客さんは老人が多いから、40%割引にしている。その結果1日1.5ドルの売り上げ。これで米を買う。ただし、売っていればの話だが。」

ペドロが言う。「今日のベネズエラの旧中流階級になにが起きているのかを説明するのは難しい。私の父は一階に住んでいるのだが、彼はいま84歳、かって通信省で高い地位にいたので月30ドルの年金をもらっている。が、近所のInes婦人は誰にも見られないように、夜明けすぐの早朝に木からマンゴを取って、生活の糧にしている。彼女はそのことを恥ずかしがっている。私たちといえば、3ケ月に一度米国から送られてくる包み頼り。キューバの連中はドルでもらうが、われわれは食べ物でということだ。

カーキ(カルメン)が言う。「私の姉は私たちに生活費を送ってくれているの。生鮮品を手に入れるために、友人たちと協力して、いつも使っている市場に交代で行ってるの。しばしば長蛇の列で順番待ちの交代もするの。月曜日は私たちの番でスーパーに公定価格の品物を買う係りってわけ。仕事はヨガ講師、首飾りつくり、化粧、エステシャン。ペドロはコンピュータ修理で数ドルを稼ぐってとこ。この3年間は私たちの食糧供給は、いわばとても健康的、まるでベジタリアンのよう。そのため私は23キロ、ペドロは25キロ痩せたわ。腫瘍患者のようだわ。私たちの社会生活も出費を減らさざるを得ない。だから政府に対するデモでだって、知った顔に出会う機会は少ないわ。」

ペドロが言う。「そんなこんなでここにはもう誰も残っていないよ。友達も親族も。二人の兄弟は米国に、一人の妹もコスタリカに行っちまった。最近に出ていったのは、私のおじだ。おじは麻酔専門医で、ベネズエラでは時給3ドルしか稼げなかった。私の前の奥さんとの間の息子が3人いるんだが、彼らはもう国を出て行く準備をしているよ。私にとっては友人たちとの食事が懐かしいよ。サケとえびの手料理でカルメンと一緒に住むようになったんだからね。まったく笑うしかないが、30年前銀行勤めのころは給与は月2千ドルだったんだよ。これがベネズエラの現実さ。私たちなんてまだましな方。ゴミ箱をあさって食べ物を探している連中だっているんだから。

カルメンが言う。「私たちの生活にインターネットは欠かせない、必須よ。検閲のない情報を手に入れる手段として、TwitterやWhatsAppを使って、国中で起こっていることを知るの。寝るのも少なくとも4時間ごとにペドロと交代で、情報漏れをしないようにしているわけ。デモにいったら家には帰ってこれない。殺されるかもしれないから。住む場所と安全だけは譲れない出費。この建物の柵の向こう側は地獄よ。Ines婦人にはもう無理。だから私たち、ご近所仲間で彼女の費用を面倒見るしかないのよ。」

ペドロが言う。「政府の権力者や、金持ちや、腐った野郎どもはみんな知ってるのさ。中流階級の現状も、食料事情も、抗議が出来ない人、スーパーで並んでいる人、抗議デモに行く人のことも。政府が政府シンパの人々に配布している食料包みは私たちはもらう資格さえない。政府はその包みが1ケ月分の食料が入っているというがとんでもない。だけど少なくとも中には、米、小麦、パスタ、オイル、ツナ、額にして2万ボリバル分だという。だけど、この金額は外の自由市場ではコーヒー豆1袋の値段だ。こんな状態が続くわけがないだろう。世界の人々が私たちに援助のために動いてくれるだろう。そしてベネズエラの港は支援物資でいっぱいになるかもしれない。でもそれはいつなんだ?」


(原文)

http://www.corriere.it/esteri/17_luglio_30/venezuela-pedro-carmen-la-classe-media-ha-perso-tutto-cf4e69d4-7568-11e7-8292-d167b01e26c8.shtml