拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

正義と誇り

2008-06-13 | 旅人のひとりごと

旅をしていると、ほんの数年前、十数年前ここが戦火に包まれていたという場所を訪れることがあります。


今はすっかり落ち着きを取り戻した町並み。
自分が歌っていると、笑顔を返してくれる町の人達。

しかし同じ場所、同じ人達がその時、銃や爆弾を手に取り、殺し合いをしていたのだという事実に酷い違和感を感じます。


そんな時「正義と誇り」というものについてよく考えさせられます。



愛する人や家族の為、民族の誇りと自由の為、信じる神の為、、、人が武器を手に取り戦うとき、その胸にはいつも「正義と誇り」があります。

実際は金や利権、権力を手に入れる為に、盤上の駒を動かす指導者達によって、その「エゴ」が美化された言葉にすりかえられているだけだと自分は考えますが、戦地で血を流すのはそんなエゴとは無縁の人々です。


しかし例えエゴではないのだとしても、「正義と誇り」の為に人を殺し、自らも命を失うことは、本当に正しいことでしょうか。

しかし人を殺してまで守らなくてはいけない、「正義や誇り」は本当にあるのでしょうか。

「自分達は正しい」、「自分達は間違っていない」
、、、しかし正しいとか間違いってそもそも何なのでしょうか。


殺らなくては殺られるのが戦争という言葉を聞いたことがありますが、正義や誇りはとりあえず横に置いておいて、そこから逃げ出しちゃえばいいじゃないか?と思ったりするのはイケナイことなんでしょうか、、、。



戦争ではありませんが、自分の胸の中にもいつもちっぽけな正義と誇りがあります。

自分の中では決して譲れない正義であったり、自分自身を支えている誇りであったりして、そのような正義を他人に侵されたり、誇りを傷つけられると、ものすごくムキになる自分がいます。


自分の視点から見るとそれは至極当然のこと。
でも相手には相手の正義や誇りがあり、互いに正義と誇りを主張しあえば、そこで有形無形の争いが生じます。


しかしすべての人間は同じではありません。


容姿や性格、生まれ育った環境や文化、価値観は皆違います。
身近なところでは、好きな食べ物や洋服、音楽の好み1つとっても意見は分かれます。

それなのに自分が一番良いと思うものを、異なる意見、価値観を持った別の人間に「自分が1番正しくて君は間違っている」と主張することにどんな意味があるのでしょうか。



もちろんこちらがそのつもりが無くても、相手が一方的に自分の領域に踏み込んでくることはあります。

そんな時自分も「俺は悪くない」と、いつも激しく憤っています。(苦笑)


でもだったらそこから1度身を引く、という選択肢だってあるのではないか、、、そんなことを感じ始めています。


自分の主義、主張は変えない。
でも争うことは無意味なのではないかと。


以前、このひとりごとでもとりあげたことがありますが、チベットのダライラマはこの考えを実践している一人です。

中国に武力で自国を侵略され、先祖代々の土地を離れインドへ亡命。
しかし自分達の誇りも主張も捨てず、戦争とは違う選択肢を選んだ人です。
それはかつてガンジーがといた非暴力、非服従の考えと同じものだと思います。


でもダライラマやガンジーは決してその正義も誇りを失った訳ではないと思います。

ただその正義や誇りを、力ずくで正面からぶつけ合う方法を選択しなかっただけなのだと自分は思います。


ダライラマがチベットの地に再び足を踏み入れたとき、これまで語られてきた「戦争」という名の殺し合いを正当化する「正義と誇り」というものが、もう1度見直されるのではないかと、淡い期待を抱いています。


こんなことを考えながら、いつもこの胸の中のちっぽけな正義と誇りのおかげで、必要以上に苦しんでいる自分自身の日々の行いを反省している今日この頃です。(苦笑)


写真:NATO軍の空爆によって破壊されたベオグラード市内の建物。(セルビア08年夏)

西側諸国では「悪者」のイメージがある旧ユーゴスラビア体制側のセルビアですが、人々は穏やかで町も古きよきヨーロッパという感じでした。

東西冷戦が終わりを迎えようとした80年代後半~90年代、共産主義体制側であった現在のセルビアは、西側諸国にとって「邪魔な存在」だったのかな?と想像しています。

西側の仲間入りを目指し独立を主張した当時のクロアチア、スロベニア、ボスニア等の人々。西側の人々にとって彼達は「自由と正義」の為に戦うヒーローだったのかもしれません。

しかし一方で当時のセルビアにとって彼達は、いきなり武器を手にとって、自分達がこれまで築き上げてきた「法律」と「秩序」を乱す犯罪者だったのでしょう。

それは私達日本人が、「北の方面の国」で民主化を叫んで、独裁政権から独立しようとするグループが「正義」に感じたり、「宗教を盾にとった過激な人達」が、欧米諸国(今後は日本もその場になりうる)で、銃器や爆弾を使って政治的主張をすることを「犯罪」、「テロ」と感じるという構造等も、実は本質的には同じなのかもしれないと思ったりします。


ただ自分的には、「武器を手にとって人殺しする人達」は、たとえ理由はどうであれ、
「全部バカタレ」だと思います。

カレメグダン公園に残る遺跡(ベオグラード/セルビア)

2008-06-13 | 旅フォト(北欧・中欧・東欧)
殆どは18世紀以降のものと言われているカレメグダンの要塞ですが、ボランティア?なのか、修復作業を進めるグループがせっせと作業をしていました。

のどかなドナウ川の風景とうまく調和した遺跡だと思います。

カレメグダン公園(ベオグラード/セルビア)

2008-06-13 | 旅フォト(北欧・中欧・東欧)
サヴァ川とドナウ川の合流する丘の上に立つカレメグダン公園です。

紀元前4世紀には要塞が立っていたそうですが、現存しているものは殆どが18世紀以降のものだとか。

今ではベオグラード市民の憩いの場となっています。