さて今週もスカパーで、香川選手の応援です。
プレミアリーグ第三節、サウサウプトンvsマンチェスター・ユナイテッド戦。
チームは3-2での逆転勝利。しかし香川選手は後半開始早々の60分に、ナニと交代。
地元紙は香川選手を酷評し、それに準じたニュースが流れています。
しかしちょっと待って下さい。
自分の率直な感想としては、この試合も香川選手のプレイは決して悪くなかった、いやむしろこれまでの二戦に比べて、少しずつではあるものの、一部のアホタレを除き、周りとの連携もできはじめてきたところでした。
この試合を壊していたのは、むしろチームプレイを無視して、俺が俺がと本来の与えられた持ち場を離れて、ポジションチェンジの枠を超え、異常な程中央でプレイしたがったウェルベックの方。
(しかもライバルである香川選手に対して、意図的にボールをパスしないシーンが幾度もありました)
60分で交代させられるべきだったのは、ウェルベックであり、明らかにあの交代はファーガソン監督のミスでした。
(その後は、むしろ香川選手がいたときよりも流れが悪くなり、実際にウェルベックもすぐ後に交代させられました)
何とかチームを踏ん張らせたのは、クレバリーと交代したスコールズ。
それでも試合の流れは終始悪く、同点になった後半42分も、半ばセットプレイぎみのファーディナンドのシュートを、Vペルシが押し込んだ、所謂ごっつぁんゴール。
そして逆転となる試合終了間際のロスタイム、Vペルシの3点目となる後半47分の劇的ゴールは、コーナーキックからの完全なセットプレイで、どちらも流れの中で相手を崩した得点ではありませんでした。
ファーガソンという絶対的な存在に従う、権威主義のイギリスの地元紙。
そしてそれを鵜呑みにして追随する日本のマスコミに、激しい憤りを感じます。
中には、Vペルシの「この試合のMOMはスコールズ」という言葉に反応して、「香川と交代したスコールズの活躍で勝利」なんて見出しもありました。
試合を見ていれば、スコールズと交代したのはクレバリーで、これまで縦横無尽に動いてボールを受け、流れを作っていた香川が抜けて、チームの連動はさらに悪くなったことは明白だというのに。。。
1つ言えるのは、モダンなフットボールをしていたドルトムントとブンデスリーガよりも、今のマンチェスター・ユナイテッド、そしてプレミアリーグ全体のサッカーの質は、明らかに落ちるということです。
(ヴェンゲルのように、よりモダンなフットボールを試みてきた、一部の“外国人監督”もいますが)
権威主義者の言うことは置いておいて、ストライカーへロングボールを蹴りこむ前世紀のスタイルが幅を利かせ、パワープレイに終始する現状は、昨年12月にトヨタカップで世界の頂点に輝いた、バルセロナのサッカーとは対極にあります。(奇しくも香川選手が真に憧れるチームはバルサだそうです)
チャンピオンズリーグ決勝で、ドン引きのサッカーに終始し世界一になったチェルシーですが、あんなものが世界一なのかと、多くのサッカーファンは心から嘆いていました。
(シーズン日程の組み方を間違えなければ、2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ決勝は、エル・クラシコ(バルサvsレアル)だったと自分は思っています)
ファーガソンはモダンなサッカーへシフトしたくて香川選手を起用しているという記事を目にし、今年はマンUを応援しようと、大きな期待を寄せているのですが、この日の同監督は、有名な「いじりたがり」という評判そのままでした。
ドルトムントでは、優れた戦術眼や情熱を持った青年監督と、規律を重んじ自身を生かそうとしてくれたチームメイト達がいました。
しかしルールは守るものという、日本でもドイツでも当たり前のその考え方は、世界では非常に稀な考え方であり、少なくとも現在のチームメイトであるウェルベックやバレンシアは、この考えを持ち合わせていないようにみえます。
このような状況において、香川選手は腹をくくって、数少ない“感性を持った選手”、この日でいうところのVペルシやスコールズとの連携を強め、この日みせたウェルベックへの気遣いのようなプレイは捨てることだと思います。
香川選手は英語がまだうまく話せないという記事を目にしましたが、簡単な専門用語でも事足りる、感性を持った選手と徹底的にコミュニケーションをとり、ウェルベックやバレンシアのような規律を持たない選手にへは、怒鳴りつける位が、このチームではちょうど良いのではないでしょうか。
ちゃんとサッカーをみている人達は、この日も香川選手のプレイが輝いていたことを、わかっていると思います。
我々は香川選手の成功を信じて疑いません。
恥知らずなプレスの記事など笑い飛ばして、前を向いて引き続き頑張って欲しいと思います。