広島県福山市にある鞆の浦・・・
わたし的には、歴史あふれる街、というイメージですが、
近頃はすっかりポニョの街?
そして、今回(8月12日)の福山駅発・鞆の浦行きのバスは、夏休みということで、観光客に混ざって、海水浴客みたいな若者グループも多かったです。
雑多!(良い意味で)
今回は、終点のひとつ前のパス停「鞆の浦」で下車して、山中鹿之助首塚に一番近いコースをとることにしました。
表のバス通りから、手前に戻り、味のあるスーパーのところから路地に入って、沼名前神社にまっすぐ向かうコース・・・
道は基本的に真っ直ぐなのですが、
中間地点あたりで・・・
教習所であるようなS字クランク。
なんで真っ直ぐでないのでしょう。
軽自動車でも、結構曲がりにくそうでした。
神社の参道と思われますが、基本的には住宅街。
でも、ずっと石畳が敷かれていますから、すごい!(すぐにソロバンはじいてしまう悪い癖)
やはり名の通った名勝地だなと思います。
で、沼名前神社→首塚、と向かう前に、昼食。
暑い季節、子供のストライキを予測した保険のようなものです。
かなりこじんまりした食堂でしたが、アットホームな雰囲気で良かった。
ご飯も丁寧で美味しかったです。
そして、神社に向かいます。
どういう由緒のある神社か知りませんでしたが、ガイドブックには必ず出ているし、とても有名な神社らしいです。
すごく広いです。
登った先には・・・
良い景色
階段下にある、こちらの鳥居は少し変わっています。
さて、神社の門前から港側(メインの観光地)に向かう道は寺町のようになっていました。
そこここに古そうなお寺が建っています。
ここも、クランク。
クランクの先に、お目当ての山中鹿之助首塚がありました。
山中鹿之助さん、すごい人です。
戦国時代、毛利に滅ぼされた尼子氏の家臣でしたが、再興を願って、挙兵しました。
捕まっても、すさまじい手段で脱走し、また兵を募りました。このへんの話はすごいです。
(亡くなるまで、3回のお家再興を図りました)
赤痢を装い、トイレに百回以上通って、敵を油断させたところで、肥溜めから脱走したそうです。
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈った人、といえば、ご存じの方もいるでしょうか?
最後は、毛利攻めをする織田信長の先方となって戦かっていましたが、ついには落城の憂き目に・・・
捕えられ、鞆の浦の毛利輝元の陣中まで護送される途中、だまし討ちの目にあい、殺されました。
(通常、位の高い大将の命は保障されていましたが。)
山中鹿之助の子孫は、鴻池財閥だそうです。
息子か孫が、偶然どぶろくから清酒を発明し、財を成したとか、小説に書いてあったけど、実話ですかね。
歴史って面白い。
そうそう、↑ 上の看板見て、思い出しました
織田信長から疎まれ、京都から追い出された形の足利義昭は、毛利氏をたよって、ここ鞆の浦に滞在していたのでした。
なにげに鞆の浦って本当にすごい!
陸路をとらない、時間短縮をねらった移動手段をとった人は、ほぼ鞆の浦を経由していたと思われますから、
ここに来たら、そういう意味で、いろんな歴史的著名人に出会えます。
(太平洋経由だと、ジョン万次郎のように嵐に遭って漂流の危険も多分にありました)
ちなみに、鹿之助さんはかなりのイケメンだったそうです
ウイキペディアを調べたら、こんなことも分かりました
直系の子孫の方には、広島市出身の女性で、昭和初期に、アメリカから日本にパーマを伝えた美容師さんがいらっしゃるそうです。
そのようなご縁もあって、鞆の浦の他にも、広島にはあと2か所、山中鹿之助の供養所があります。
ここは地味なスポットでしたが、力が入りました。
ここも、総石畳
石垣も素晴らしかったです。
この辺は、観光地的には地味ですけど、ゆっくり散策するには良いですね。
写真・絵画の題材には事欠かないと思います。
ひとつ難を言えば?電線がむき出しなので、どうやっても写真に入り込んでしまいますが、
それもご愛嬌でないかなと思います。
昭和的風景には欠かせませんものね。
さて、とにかく暑い中、地図を見い見い、次のお目当て、平賀源内生祠を探してましたが、見つかりません。
行きすぎて、戻ると、ようやく入り口の路地を発見しました。
↑ これが道しるべ
道しるべがなかったら、入るのを躊躇しますね
でも、わくわくする道。
ここを50~100メートルほど上がったところに、ありました。
向かって、上の部分が入口で、手前が生祠の敷地です。
民家の畑の横にあります。
なんと地味なスポット
平賀源内が鞆の浦滞在中に、源内焼という陶器の製法を伝えた、
その業績をたたえて作られた祠のようです。
生きながらにして、神としてまつられました。
良い景色のご褒美付き
この辺は、昔ながらの港町情緒がそのまんま残っていました。
あちこちに、小魚をさばくお店があります。
小さい道なのに、結構交通量多いし。
私が見た限りでは一番旧式の設備のパン屋さんとか、
道から海に向かって、通り抜けの出来る(軒下利用というのか)昔ながらの商店があって、感動しました
生祠の辺の集落から、海辺に沿って進むと、次第に賑やかになってきます。
鞆の浦名物保命酒の建物。
このへんから、観光地スポットです。
ここがメインストリートの常夜灯からの景色です。
前回行った、龍馬のいろは丸記念館の横。
先ほどまでとは、うって変わって人が多いです
幕末の八・一八の政変後の七卿落ち
京都から追放され、九州方面に向かった、尊王攘夷派の公卿たち・・・
三条実美らの滞在した商家です。
大田家住宅、行きたかったけど、お盆のため、休館してました。残念。
鞆の浦も、時代の変わり目には、様々な論議・謀略でひしめき合っていたことでしょう。
瀬戸内海の真ん中に位置して、潮待ちの港として知られた鞆の浦。
まだまだ掘り出し物がありそうです。
次回にも期待(いつ行くのだろう)