京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

鈴鹿に行く。

2012-09-27 16:30:04 | 妻!日記

夏のことでした

かねてから行きたかった大黒屋光太夫記念館に行きました。

 6月21日

なんと伊勢湾沿いに台風が通過しようかという日

鈴鹿市に向かって行ったのでした。

新名神高速道路です。

関西から伊勢湾方面がダントツ便利になりました

 

昨年講義を聴きに行った、粟田建設さんが、

こちらの穴太積み施工をされたのだそう・・・  HP

でも、どれのことかよく分からんかった

 

で、大雨の中、鈴鹿山脈を通過 

鈴鹿インターを出てからは、相当迷った挙句、到着しました。

伊勢湾沿い、伊勢若松の集落の中です。

 こじんまりした建物ですが、駐車場が広く、もてなし感を感じます。

 若松小学校の門前です。

大黒屋光太夫は、伊勢若松生まれ・・・

江戸後期に伊勢白子の廻船問屋の船頭として活躍していました。

 大黒屋光太夫記念館

1782年、光太夫の乗った回船が、伊勢の白子を出港し、江戸に向かいましたが、嵐のために漂流。

7か月もの漂流を経て、アリューシャン列島のアムチトカ島へ到着しました。

 

・・・ アムチトカ島は、現在はアメリカ合衆国アラスカ州

   つまり、北海道の千島列島の延長上にあります。

   東日本大震災の漂着物がアラスカ州に到着しているニュースを見ると、

   そういう流れの海流があるのだなと納得します。(黒潮だっけ?)

   どんどん話はそれますが、ロマンあふれるアムチトカに行ってみたいと思い、調べると、

   現況は、核兵器用の地下核実験場になってるんだそうで、なんだかね~ 

   寂しいです

 

アムチトカ島でロシア商人に出会った光太夫たちは、九死に一生を得た思いでしたが、

本当の苦難は、ここから始まるのでした

長くなるので割愛 ウィキペディア参照

 

サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見した後、

光太夫はようやく帰国することが出来ました。

漂流後10年が経っていました。

帰国後も、「外国を見てしまった日本人」として、幕府の監視下に置かれ、

生涯江戸で過ごしました。

 

記念館は、入場無料

展示されている資料もたくさんではありませんでしたが、

一商人であった光太夫の資料が残っている、ということ自体、有難いことだと思いました。

 

確か、生涯「伊勢へ里帰りできなかった」と思われていた光太夫が、

実は、里帰りしていた、と、最近になって、分かったのだそうです。

*マンガ「風雲児たち」でも、里帰りできなかった説をとられています。

里帰りの通行許可?や、お伊勢参りに出かける際の古文書が展示されていました。

 

そういうレアな情報に接することができ、満足しました。

地元では、「大黒屋光太夫だより」という機関誌を出されており、

とても良い資料として、頂いて帰りました。

 

「鎖国の犠牲者」として語られることの多い光太夫ですが、

記念館では、江戸の幽閉生活について、悲劇的にとらえるべきでない、というような意見がなされていました。

つまり、「危険人物としての監視下」というよりも・・・

海外情勢に長けた光太夫の博識を、江戸の知識人たちが手放そうとしなかった、のでないか、と言われていました。

 

彼の歩んだ道は、日本の近代化の原動力と結びつき、明治維新を起こすテコのひとつとなりました。

 

漂流した人の誰もが、帰国できたわけではありません。

物理的・地理的な距離以上に、鎖国体制という壁が、帰国を阻む障害となっていました。

光太夫は、ロシア語を体得し、持ち前の判断能力や交渉技術を駆使しつつ、

忍耐強く、仲間を励まし、苦難に耐えてきたのでした。

 

どんな方だったのだろう。

タイムマシンがあれば会ってみたいです。

会うのは無理だから、彼の故郷を歩いて、彼を偲ぶことにします。

 若松小学校横の小川神社。

気のせいかしれないが、

海辺のまちだけあって、自然への畏れというのか、強い信仰心を感じます。

なんだか丁寧な施工だなあと思います。

  

磯吉、一緒に漂流した仲間。若くて体力があり、豊富な好奇心で、気力を奮い立たせていたようです。

出港した17名のうち、江戸まで帰国できたのは、光太夫と磯吉だけでした。

磯吉と、大黒屋家(生家ではないと思う)の菩提寺

静かで良い街並みでした

 

 

こういうのも気になります

若!にしては、珍しくズシズシ先を行きました。

宝祥寺 ・・・ 光太夫とロシア行をともにした小市の供養碑があります。

お寺の本堂と延命地蔵堂(左)

 

むかしむかし、海底から不思議に光る地蔵菩薩が引き上げられた・・・

人々は、無病息災を願って、深く信仰してきました。

この付近で生まれた光太夫や小市も、幼少のころよりこの境内で遊び、お参りをしてきたそうです。

光太夫・磯吉とともに、ロシア船で帰国・根室上陸を果たしたが、

幕府による拘留期間のうちに亡くなりました。

 字が読めなくて、すみません

彼らのロシア行は、

漫画「風雲児たち」みなもと太郎著

小説「おろしや国酔夢譚」井上靖著

などで紹介されました。

 

映画版「おろしや国酔夢譚」・・・この間、やっとBSで見ることが出来、うれしかったのですが、

物語の後半部分が、かなりはしょってあったので、すこし残念でした。

(全部やったら何時間の映画になるかな大河ドラマにしてほしいな)

 

若!の散策はまだまだ続き、伊勢湾へ・・・(これが目当てだったらしい)

 素直に言うこと聞きなさい

ここからロシア一周の旅になるなんて、思いもしなかったでしょうね~(つっこまないで!)

 ← これは美容院跡

帰りは、大黒屋光太夫モチーフのお菓子を買いに行きました。

それは次回投稿

伊勢若松、最高

 

帰りは、鈴鹿峠でウナギを食べました。

ここに来たときは、いつもこれ

ひつまぶし

うなぎ初音です。

昔は茶店風で、トラックの運ちゃん行きつけ、って感じでした。

 

それにしても、すごい雨。

帰りは、妻!が運転して帰りました。

若!曰く「ハンドル握ると性格変わる」って

危険運転はしないつもりだけど、気を付けますね~

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大黒屋光太夫 (ワニ)
2012-09-30 10:35:29
こんにちは。

大黒屋光太夫ですね。直接触れたことはありませんが司馬遼太郎の
『菜の花の沖』第5巻に登場します。ご存知かもしれませんが
主人公高田屋嘉兵衛がロシアに囚われる過程で出てきます。
返信する
コメントありがとうございます! (ワニ様)
2012-10-04 15:57:16
「菜の花の沖」記念館で、紹介してありました。
たぶん、愛読まんが「風雲児たち」の著者みなもと太郎さんは、司馬遼太郎の影響を強く受けていらっしゃいます。

まんがの中でも、一瞬高田屋嘉兵衛が出てきています。
読んでみたいけど、「菜の花の沖」も長いから、なかなか手が出ませんね。

とうとう「龍馬が行く」を図書館で借りました。
3巻まとめて。
高校の担任の先生の愛読書。
すごく念のこもった紹介をされた覚えがあるので、
楽しみですが、ちょっと読むのが怖い?

星新一の時代小説も二冊借りて、読み終わりました。
物語というより、観察日記的で、穏やかですが、
短編を読み重ねていくうちに、星さん独特のオチに、深く感じ入ってしまいました。

あさって、家族で映画「天地明察」を見に行こうと思ってます。
時代ものバンザイ!
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