日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ご同輩9-1

2022年06月04日 | Weblog
俳優の柳生博氏は僕と同い年である。近ごろ彼が新聞紙上で、ある眼鏡会社の宣伝をしているのを見つけた。腰の辺りまで水につかり、魚を釣っている彼の写真が大きく載っていた。よく見ると彼も白髪交じりである。我々みな同じなんだなーと僕は一人で苦笑した。
恐らく彼も仕事上の、あるいは家庭上の責任の重圧にあえぎながら毎日頑張っているのに違いないと思うと、遠い存在であった彼に、急に親しみを覚えるようになった。
新聞紙上の彼は我々同年配の世代に向かって“御同輩"と呼びかけているが、この御同輩と言う言葉の響きがいやに耳に付いて頭から離れなかった。
御同輩か。眼鏡も、白髪もか。

 フトンの上に寝っ転がって、この新聞の中の彼を見ていたら、ある詞が思い浮かんで来た。それは彼を反射鏡にして映した僕の心境でもあった。
もともと僕の心情を詞にしたものだから、これに曲をつけることはたやすいことである。我々世代に向けての応援歌を作るつもりで作曲してみた。

詞の内容からすると、当然我々男性、40代の世代に共感を得ると思いきや、この作品はもっと若い世代にも共感を呼ぶらしい。特に三十代後半のミセスに受けたのには驚いた。きっとそろそろ倦怠期を迎えつつある奥さんがたの、ハートをゆさぶるような甘い声の歌い手がこれを歌っているから、うけているのであって、作品の内容からすると詞も、曲も若奥さんに受ける要素は何もないように思う。
 
 作曲するに当たってはいくつか注意したことはあった。
四十男の人生の悲哀を前半で歌い上げ、ご同輩、という行(くだり)から短調を長調に転調して、曲想を明るくして希望の感じを出してみた。

ごく最近の事であるが、ある長寿者に
「あなたは自分の人生のなかで、何歳くらいの時が、最も充実して楽しかったか」 というアンケートの集計をしたら、四十代から五十代も最もすばらしい、という答えが圧倒的に多かったと新聞は報じている。

 人生の甘いも酸っぱいも、解りかけてくるのは、やはり四、五十年生きてみて、というところなんだろう。実態としては存在しても、表面に浮かんで来ない、人生の本質的な部分まで見えてくるのは、人の親になって少なくとも、20年はかかるというのであろうか。
苦も多いが、今まで見えなかったものが見え出すということでは、確かに人生においては一番すばらしい時であり、かつ一番潤いのある時節なんだ。
 
 見果てない夢を追い求め、幾春秋を当てなくさまよい、いつの日が大空を駆け巡ろう。
悩みは果てなく尽きぬとも、ご同輩よ、地上には花が、そして天上には星があるではないか。
酒酌み交わし人生を語れる友もいるし、家では女房と子供があなたをの帰りを待っているではないか。

 さあ、元気を出して、声高らかに、明日に向かって突っ走ろう。
きっとお主の人生が琥珀色に輝くときがくることを信じて。
また明日も頑張ろうじゃないか。 御同輩。

           ご同輩
          
            (一)

長い時の流れの中にいて、いつの間にか白髪まじり

果てない夢を追い続け 幾春秋を 当てなくさまよう

だけど、ご同輩 今こそ人生の 一番華やかな 潤いの時

地上に 花あり 天上に星あり
          
            (二)

いつの日か 大空を駆け巡る わずかな望みを 追い求め

昨日の憂いを 心に残し 今日も見果てぬ 夢を追う

だけどご同輩 今こそ人生の一番すばらしい、潤いの時

あせるな、あわてるな、道は まだはるか
    
           (三)

流れ去り行く 無言の時 静かに響く 鐘の音

短い年月、果てない悩み 昨日も 今日も また明日も

だけど ご同輩 今こそ人生の 一番楽しい 潤いの時

外には 友あり 内には 女房あり。

 

最新の画像もっと見る