日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

バンコクのチャイナ・タウンの雑踏の中

2022年01月27日 | Weblog

貧乏人の国ほど人々はエネルギッシュに生きている。

三十五度を越す中50-60キロもあろうかと思われるドンゴロス袋入りの穀物を担いでトラックに積み降ろししている。

夏の盛りに肉体労働をすることのつらさは僕は10代に十分経験済みである。

頭を使うか肉体をを使うかだけど、まあよくやるなあと眺める

。極限に近い生活状態の中からは、見事なエネルギーが湧出するものだ。
その湧出したエネルギーによって人はこんなに過酷な労働も厭はないのだろう、

バンコクのチャイナ・タウンの雑踏の中でフット思った。

お釈迦様は中道を説いた。

2022年01月26日 | Weblog
人は美しいものにあこがれる。と同時に汚いものにもあこがれる。
尊いものにもあこがれるし卑しいものにもあこがれる。

人は正反対の両極端にあこがれる。

ということは両極端まで受け入れる許容範囲の動物。それが人間なのである。

ただし人間らしく安穏に暮らそうと思うと一定のルールを守る必要がある。

そのルールを教えるのが仏教ではないだろうか、

人の命は地球より重い

2022年01月26日 | Weblog
人の命は地球より重い
)という言葉をよく耳にする。ところが近頃これは単なる標語にすぎないと言うことがわかった。現実に人類の生活を見ていると何が「人の命は地球より重い」といえようか。

ソマリアを見よ。飢餓で毎日何人の人が死んでいるのか。ボスニアやユーゴスラビアを見よ。ホロコーストの思想を地で行っているではないか。

「人の命は地球より重い」と真実思うならばなぜ人為的に作られている生命の危機に即応できないのか。問答は無用である。問答する前に今生きる命を脅かすものを取り除くことが大切である。

それをやって死をくい止め、それから議論をすればよい。「人の命は地球より重い」ほど大切に守られなければならないスローガンや,あらまほしきことに終わらせてはいけない。


何事もせっかちで、おっちょこちょいの性格

2022年01月26日 | Weblog
      

 何事もせっかちで、おっちょこちょいの性格は生まれながらのもので、今更どうなる物でもない。
良し悪しは別にして、地でいくよりほかに方法がない。これは欠点も多いが、時には長所にもなる。
早い話が、もし愛染祭りに対して慎重な態度をとっていたら、あの祭りのプロヂュサーをすることなんて及びもしなかったことだ。

一丁やったろうと張り切ったばかりに、1000人の大部隊を動かす事になったのだ。

宝恵籠に愛染娘を乗せて谷町筋を練り歩くなんて、またのまた夢だ。だけどおちょっこちょいが幸いして、此の祭りは全国に放映された。

xラブストーリー 神様動員x

2022年01月26日 | Weblog
見も知らない人に気安く声を掛けるなんて抵抗があって当たり前。
だが声を掛けたお陰で、路傍の石になることは免れた。ひょっとしたらこれは僕の長所かも知れない。一人で悦に入る。この辺もおめでたい証拠である。
ところが急に行く手に暗雲が立ちこめてきた。僕が彼女に熱を上げるのはいい。だがもし彼女に熱烈な恋愛中の彼氏がいたらどうなるか、外から進入したおじゃまむし以外の何物でもない。
それこそ彼女は僕を言葉巧みにつまみ出すに違いない。やれやれいやなところに気が回ってしまった。彼と勝負する以前に彼女に捨てられるか。ああ、いやなことだ。
なるほど。そんな可能性だって無いとは言えない。

そこで苦しいときの神頼みで神様にお出まし願う。
「神様、世の中とはこんなに厳しい物ですか。これは僕が心配性のせいでしょうか、教えてください。」
神様。「そんな事は直接彼女に聞け」。
「神様、なんとつれない事をおっしゃる。もし聞いて、実は、今空き家ではない、なんて話になると僕がひっくり返るじゃないですか。此の苦しい胸の内を察してください。神様だったら彼女の事はよくご存じでしょうに。何?人の心は神でも分からないと。それはないでしょう。それじゃ人間と同じじゃないですか。毎晩暑いさなか彼女も胸をはだけて寝ているでしょうが、そのはだけた胸に耳をあてて彼女の胸の内を探ることぐらいは朝飯前の筈です。こんな事僕がやったら痴漢として110番されるのは必定。そこは神様は姿形が見えないと言う特権があるじゃないですか。それをちょっとだけ利用すれば済む話じゃないですか。その代わり年末年始には欠かさずお参りいたします。なにとぞよろしくお願い申し上げます」

とうとう僕は彼女のことについて神様まで動員することになった。


これ ナンパですか

2022年01月26日 | Weblog
まあ、なんて美しい人だろう。僕は彼女の横顔を盗み見しながら、そう心の中でつぶ
やいた。美しいといってもいろいろ種類がある

知性美あふれる美しさもあれば、妖艶な美しさもあるが、彼女の場合は、健康美あ
り、かわいくて、思わず抱きしめてチュがしたくなるほど愛くるしい。そんな美人で
ある。
胸のどきどきを隠すわけでもないが、その時僕はフオームのベンチに腰掛けてアイス
クリームをなめていた。

僕が アイスクリーム をなめたといったら、僕のことをよく知っている周りの人は笑
うだろう。というのはこういうたぐいの物はほとんど食べた経験がないし、いつもこ
の種の食べ物はノーサンキュで断っている。どういう訳か、こういう物と、乳製品は
体質的に受け付けないのだ。

だのに、今日は人目もはばからずに大人の僕が幼稚園児みたいにアイスクリームをな
めている 。人間の好みや行動は恒常的にどうのこうのいえる 物はなにもなくて、た
だ お天気みたいに、感情の赴くままに、日により、時間によって移り変わっている
のかもしれない。僕がアイスクリームをなめるなんて、子供の時以来で、おそらく何
十年ぶりの話である。

彼女は大きなサムソナイトを持っている。たぶん今から海外旅行に出かけるか、それ
とも帰国したかいずれかであるが、大阪方面の列車を待っていることから推察すれば
きっと今から出かけるようである。

海外旅行といえば、僕は今これが唯一の生き甲斐であり、唯一の道楽である。
関西空港を飛び立つときの、あの傾いた座席の感触がたまらないのだ。未知の世界に
むかって飛び立つあの不安と興奮の入り交じった気分がたまらないのだ。

他人の旅行に自分をだぶらせて、イメージしているわけではないが、とにかく、
よく見かける海外旅行スタイル・サムソナイトを押して、というスタイルには吸い付け
られる。
 
 見目麗しい女性に声をかけることは、かなり勇気のいることである。心の中に何の意識もない普通の娘に話しかけることはさほど抵抗を感じないが、彼女の存在を意識し始めると、もう足止めを食らったように、大きな抵抗感がでてくる。今回もそうだった。職業柄この年代の若者とは接触する機会は多く、なれているはずだが、女性を意識するともうだめだ。
緊張するし、心が硬直する。ムカデが己の足を意識してあのように器用に歩けるだろうか、そんな感じである。しかし何が何であれ、僕は海外旅行の話しがしたくて、思わず声をかけてしまった。
「あのー、今からいかれるのですか。それとも、帰ってこられたのですか」。
僕は胸の騒ぎを押さえながら、口ごもるような口調で、突然彼女に尋ねた。。
「これから研修旅行があり、中国へ行くのです。」
「中国はどちらですか 」
「まず西安で降りて、乗り継いで、ウルムチやトルフアンの方にいきます。」
「ああ、僕もいきたい。西安へいくのはずっと前から計画しているが、まだいってな
いのです。あそこはお大師さんが勉強されたところで、当時の長安は世界一の大都会
だったでしょう。
貿易、商業、文化、芸術、宗教などすべてが集まって発展していた都市だから、
遺物や遺跡があると思うのです。それをみたいと思っていましてね。
中国といえば昨年雲南省の昆明や大里、麗江などへ行って来ました。マイルドな気候で過ごしやすかった。北京の方は9月が最高で冬は寒いらしい。さらに奥に入るのですね。どこの会社
がそんなところに研修にでかけるのですか。」
「就職先は小さいのですが、旅行会社なんですよ。」
「おお、それはそれは。旅行会社ですか。よかったですね。趣味と実益がかねられる
じゃないですか」
「そうですね。企業となると果たして趣味を許してくれますかどうか。」
「うーん、そうだよね。それでも普通よりはチャンスが多いのと違いますか。」
旅の話から始まって話はあっちへ飛び、こっちへ飛びして、止まるところを知らな
かった。

岡山から、途中姫路で乗り換えたが、3時間はゆうに乗っているのに退屈せ
ず、あっという間に大阪に着いた 。僕は心の中でこの列車か遅れてつく事を望ん
だ。大阪駅で乗り換えて彼女とは京橋で別れたが、後ろ髪を引かれる思いと言うより
は、一緒についていきたい気分だった。どうしょうもないもどかしさは、ずっと家ま
で続いた。
 僕はずっと彼女のことを思い続けた。それは楽しい楽しい夢だった。夢中になっていたんだろう駅を一つ乗り越してしまった。

彼女がどうして美人なのか。僕の好みにぴったりだから。
何よりも感覚的に似たものを持っていてその部分が心で共鳴しあうのだろう。これは
人間の相性というやつで、これがないと美人であろうがなかろうが、全くエトランゼに
なってしまう。つまりお互いに単なる通りすがりの人に成ってしまうのだ。
そこにはほのぼのとした感情の交流なんてものはみじんも感じられない。

彼女を知って、僕は体の芯から暖まるような思いがした。これは一体なんなのだろう。これが愛という ものの実態なのだろうか。心の中がほのぼのと、ほんのりして、何か夢見るような気 分になって、体の芯が暖まる。もしこれが恋愛感情でないなら、僕は生まれてからこの方今まで持ち続けた恋愛感情というものが分からなくなる。
「ううーん。それが何であっても僕は自分の気持ちに忠実になって、彼女を愛すれば
いいのだ。自分がそう思うのだから、こればかりは留めようがない。ただ愛する人の 幸せの為に僕が何が出来るか、その点だけはしっかり考えて置こうと思った。

あらまほしきこと

2022年01月26日 | Weblog

臨終のハンセン氏病の子供の患者を思わず腕に抱きかかえ、人間の体温の暖かさの中から黄泉の国へ旅だったせたかかった
壷阪寺 常盤勝憲 大和尚

ガン研の病院に入ってくる人は気も動転せんばかりに、死の恐怖におびえている人たちばかりである。そんな心理状態にある人に冷たい手で触った患者はどう思うか。。僕は温かい手で患者に触れるようにいつも心がけてカイロで手を暖めておくのです  
黒川ガン研付属病院長

僕が発明するのではない。神が作った多ものを一番最初に発見するのです  
東北大学総長 西沢潤一博士 

老人にとっては求める努力必要x

2022年01月26日 | Weblog
命がめらめら燃え立っているいるところに身を置くと、その影響を受けて自分の命も燃え立つのわかり、生きていることが実感できる。

そういうところに身を置いて生きていることの実感を、息吹を吹き込むようにする。

命の躍動がもっとも感じられる所を求めるべきである                                           

青年にとってそれは自然であるが,老人にとっては求める努力必要である

xよりよく生きるテクニックを教えるところがない

2022年01月26日 | Weblog
学校
小、中、高、大学と、学校は学問を教えるところで必ずしも、よりよく生きることを教えるとは限らない。

家庭
家庭ではまれに教えるところもあるが<よりよく生きる>テクニックは教えない

社会
生きるという現場であって、各自がテクニックを学ぶことがあっても,
社会から個人に向かっての働きかけはない。

人々が求めているのは(よりよい生き方)のテクニックや考え方であって、必ずしも学問的知識ばかりではない。  

立場。肩書きx

2022年01月26日 | Weblog
人間に色をつけるのは、その人がいる立場である。立場にはすでに色つきがなされており、その色の人間として人は判断を下す。
たとえば、僧一は人に説教する立場の人だから,不道徳なことはしないと決めてかかっているが、
現実はどうか。
お布施で生活ができない僧が窃盗罪で捕まったじゃないか。

警官が泥棒したり、万引きしたりしているではないか。それは僧や警察官は不道徳、反社会的行動をしないと、勝手にこちら側で決めてかかっているだけで、つまり信頼しているだけのことで、実際肩書きをはずせば、神と悪魔が同居する人間のことだから、本来あって当たり前の話である。

別に驚くには当たらない。表に出ている色を見て中身まで同一の色だと判断する方が完全に錯覚しているのである。 

チェさん・ ハーさん

2022年01月25日 | Weblog


釜山駅からバスに乗って太宗台までは30分そこいらかかる。案内所ではそう説明してくれた。
地下道をくぐって駅と反対側からバスに乗った。
太宗台はウイークディのためか、がら空きでバスを降りたのは私を含めてたった3人だった。

1人で歩いてもよかったんだが、旅は道連れのほうが楽しいので、思い切って2人の娘さんに声をかけた。
韓国語はまるで分からないから開き直って、日本語で話かけたら日本語が帰って来た。

僕は急に嬉しくなり、話しても聞いてもわからない中で、言葉を通して心を通い合わせることができて、胸のつかえが一辺におりた感じがして生き返ったのだ。

彼女達は今、ソウル近郊の日本企業で働いていて日本にはしたしみを感じるらしい。仕事の話はさておいて話題は旅の話になって佳境に入った。
3、40分も歩いただろうか、パンフレットで宣伝されている人魚の像のある島の突端についた。そこはほんの小さなスペースで下は崖をなした海である。高台にあるから眺望はすばらしい。
よく晴れていたら対馬が見えるとか。それは実感としてわかる。
島を1周する形で道を進んで行くと、下に降りる道があり、遊覧船があった。

彼女たちは乗るつもりらしい。2人で話す言葉は韓国語だからさっぱり分からないが、チェさんは乗リませんかと声をかけてくれた。僕は1瞬ためらった。
と言うのは今回の旅行は誰にも言わないでおしのびできているからだ。実は太宗台公園には伝説がありそれをしらべて作詞作曲をする取材が目的なのだ。日本の題名は夫恋石(韓国語でプヨンソック)これはここに伝わる伝説を土台にして何時の時代も変わらない美しいが悲しい夫婦愛の物語を歌に載せたかったのである。
もし海で舟でもひっくり返ったらどうなるか、いやな思いをするのはかなわない。こういう気持と乗りたい気持ちが交錯してのである。
彼女は既に切符を買ってくれた。 「カムサハムニダ」ありがとう。僕はお礼を言って乗船した。
心が通じ始めるとここが外国、韓国だと言うことを僕は忘れた。時間は短かったが時を忘れて3人は語り合った。仕事のこと、流行のこと、恋人のこと若い女性だから当然の話題である 。

あっという間に時間は過ぎて太陽は傾き始めていた。彼女たちは今からソウルへ帰る。僕は今夜の飛行機で日本に帰る。
バスの道は同じ方向だった。僕は空港に向かうためナンポドンでおりた。彼女たちはわざわざバスを降りて空港行きのバス停まで送ってくれた。

バスは発車した。彼女たちの姿はどんどん小さくなる。一番後部の席に腰掛けて僕は手を振り続けた。周りの人たちは僕の奇妙な仕草に何事かと目を注いだが、僕は恥ずかしいという気持ちよりも、彼女たちとの別れの寂寥感に包まれていたので、何も気にならなかった。

2、3,分のうちに姿は見えなくなった。僕は正面向いて座り直した。そしたら涙が1筋スーット頬を伝った。空港に着くまで僕は今日の出来事を何回も何回も繰り返しては、何とも言えない気持ちになった。

まるで愛しい人と別れたあとで味わうかのように、切なくて甘くちょっぴり寂しさの混じった 初恋の味とでも言うのか、
満たされながらも寂寥感の漂う気分だった。

それはもう10年も前の旅の思い出だが、今も心の中で輝いている。まるで昨日のような鮮やかさで。

清水展を見て

2022年01月24日 | Weblog
清水展を見て、

急がなくちゃあ,,,,
 

そんなに急いでどこへ行くのですか。

仏の心が見えますか。

仏の声が聞こえますか。

心がいとして、胸が熱くなる。

その瞬間こそ 入我我入の時



いつまで生きているつもりですか

時は確実に1分を60秒にきざんでいる、

御仏と、話をなさい。

御仏と、喧嘩をなさい。

その瞬間こそ 入我我入の時、

先生と言う言葉の三通りの使い方

2022年01月24日 | Weblog
先生と言う言葉の三通りの使い方

私たちが先生という言葉を使う場合は三通りの意味がある。
1, ひとつは尊敬語で心から尊敬の念を抱いて使う場合
 
2,表面上は尊敬を装いながらその実、心の内では軽蔑しているとまでは言わないが、  
 尊敬していない 、尊敬の念がない言葉だけの先生という場合
 
3,からかったり、馬鹿にした用語として使う場合

理解には二通りがある

2022年01月24日 | Weblog

理解には二通りがある

われわれの行動を細かく分析してみると、まず頭の中にあるアイディアが浮かび、それを実現するために行動をする。

ひとつは頭で理解したこと
。これは抽象的な理解であって実感は伴わない。

もうひとつは体全体て理解したこと。
それは考えたことと、行動したとこととが融合して、いわゆる物になっている理解である。
実態に即した理解である。これこそが真実のの意味での理解といえよう。


大学入学共通テスト8-60

2022年01月24日 | Weblog
今年の大学入学共通テストについて思う。

半数以上の科目で平均点がダウンした.。特に数学においては大幅減となる。

テスト問題で何を求めようとしているのかはわかるが、難問解決による能力測定だとしたら明らかに出題者側に問題がある

一般論として平均点が40点を切る問題は出題者側に問題がある。

受験生の学力についての理解が足りないか、学力を無視して出題者の一方的な意思を通そうとする野蛮である

受験生の難問出題、低得点に対する心理的動揺をどう解決するのか、

大体試験というのは出題者が受験者の平均点を50から60点に設定して出題するのが普通である。

平均点が50.以下になるような出題は問題作成に問題があり、受験生のレベルを理解できていない証拠だ。

改善すべきは出題者側にある。

よくできる一部の学生を除いて大多数の受験生に失望、落胆を与え、動揺を与えた責任は大きい。

謙虚に反省し改善すべきだ。