日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

原発が弾道ミサイルの攻撃を受けたら

2015年07月31日 | Weblog
「原発が弾道ミサイルの攻撃を受けたら、

どのぐらい放射性物質が出るのか」。山本太郎参院議員(40)が国会でこんな単刀直入の質問を繰り出して、ネット上で反響を呼んでいる。
想定するのが嫌なことだが、この発言は胸に応える。核心をついている。
僕が原発反対の理由の一つにはこういった危険なことも想定しての話である。特に今までの経緯から見て北朝鮮は実際にやりかねない。自国の消滅という妄想にとりつかれたら、考えたら、日本の原発攻撃なんて朝飯前の感覚だ。
それを安保法制でどうにかできると考えたら大間違いだ。

日本から先制攻撃をかけることができ、先方が発射する前に
かの国を滅し去ることができるのか。できない話じゃないか。

常識や計算外のことを平気でやってのける不気味な国だ。我が国を救うためにも万一のことを考えておかないと完全防備とはならない。

先方は当然原発を狙って来るだろうと想定はできる。今の日本にはそれを阻止できる力があるとは思えない。ミサイル攻撃や飛行機の墜落による不測の事態には十分現実的な対応することが必須事項だ。山本氏の指摘を甘く見てはいけない。

大西氏発言

2015年07月31日 | Weblog
大西氏発言

30日の会合で「テレビのワイドショーでコメンテーターが、ことさら再稼働反対の意思を表示し、『ヨーロッパは風力が増えている。日本は何の努力もしていない』と言われている」と批判。日本では風力発電は伸びないと主張したうえで、「やつらも一応インテリ。知識がないことには劣等感を感じる。新しい知識、正しい知識を提供していくべきだ」などと語った。

 これに対し、谷垣禎一幹事長は31日の記者会見で「思想信条の違う人を『洗脳してこい』と言うのはいかがなものかと思うが、明らかな事実誤認や誤解を解くのは、当然あっていい行動ではないか」と話した。

 大西氏は6月、安倍晋三首相に近い議員による勉強会で「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」などと報道の自由を威圧するような発言をし、党から厳重注意を受けていた。

こういう幼稚なことを国会議員たるものが発言して恥ずかしくないのか。完全に現政権に迎合したアホ議員のひとりだ。何が問題なのか全くわかってない。原発については意見は大きく分かれている。反対派は想定外のことまで心配している。

実際に事故が起こってみると、想定外のことはいくらでも起こりうることは容易に想定できる。それが起こりえないと断言できるのか。もし断言できるのなら、福島県民に説明して受け入れられるかどうかやってみたらどうだ。そこで説明が付き賛意が得られたら、それを根拠にして、マスコミに向かって発言したらどうだ。君の発言は大人の発言とは思えない。もう少し深く物事を考えて発言したらどうだ。できなければ国会議員としての資格がないことを自己証明しているのだから、不明を恥じて辞職することだね

ニュース 中毒

2015年07月28日 | Weblog
ニュース 中毒

テレビ 番組 は決まっていて、わずかである。
ニュースはNHKの番組をはじめ民放の番組は欠かさず見る。
どの局でも似たようなニュースしかやっていない。

夕方5時頃から見はじめると食事をとりながら、NHKのニュースナインが終わる10時までしっかり見る。

ニュース番組しか見たくないので、ニュース中毒かもしれない。
相撲や国会中継は まったく見ない。 バラエティ番組、 教養番組もほとんど見ない 。

テレビを連続5時間も見ているから、テレビはよく見る方である。しかし見るのはニュースだけである。偏ってるなーと自分でも思う。

意のままにならぬ

2015年07月27日 | Weblog
意のままにならぬ

猛暑日が続けば寒い冬の方がましだと思い、氷点下の日が続けが早く春になればいいと思う。人間とは自分の都合に合わせて、現状を見て意に沿わないことには文句を言う。

寒い熱いは人間が作り出しているのではない。自然が作り出しているのだ。とても太刀打ちができそうもない自然に文句を言っても始まらない。

昔の偉いお坊さんが言った。熱いときは暑がるのがよかろう、
寒いところでは寒がればよかろう。あるがままのことをそのまま文句言わずに受け入れるのも、人間の知恵だと。

こんな簡単なことを受け入れるのが、優しいことではない。
自分の都合に合わせて何もかも都合よくというのは、求めすぎでこれでは人間はなまるばかりだ。

意に反したこともたまには受け入れて泰然とする心境がほしいものだ。たいしたことでもないのに、不平不満の種になり、ぼやきがでる。これも人間の自然な姿だ。だが、、、、

レッセ・フエール

2015年07月26日 | Weblog
レッセ・フエール

この暑い夏だけじゃない。人生はこだわらず、なすがままに過ごしたいものだ、神の手に導かれて、、、仏足石歌のなかにお釈迦様の教えに従ってこの世は終えたいというのがあるが、何事も神仏の御手にゆだねて生きたいものだ。

天神祭

2015年07月25日 | Weblog
天神祭

連日35度を超す猛暑である。10分も歩けば 木陰に入りたくなる

インド。ナーランダーへ行った時のこと。外気温は43度。生まれてこの方、未体験の気温である。遺跡見学だと思って歩いたが、熱いことあついこと。

木陰に入るとほっとする。日差しはうんと和らげられ、気温も下がる。陰になるところは日差しが強い分、真っ黒だ。
木陰に入ると救われた気持ちになる。

ものは試しだと、ペットボトルの水を飲んでみた。瞬時とはいわないが、すぐ汗が水滴となって噴き出す。こんな経験初めてだ。
さすが40度以上となると体に応える。げんなりする。

この時初めて木陰のありがたさを実感した。
今日は快晴。気温は35度を少し超えている。

大阪の夏で一番暑い天神祭。花火を見ながら夕涼みをする人が多かろう。

東芝の会計処理

2015年07月21日 | Weblog
東芝の会計処理

日本を代表する企業が不正な会計を行っていたことが問題になっている。
損失の先送りと利益の前倒しをやってごまかしていた。

その張本人は社長である。許容される範囲を大きく超えて会計操作をした理由はいたって簡単である。

偽ものであれ本物であれ利益を出す限りは我が身が安泰だからである。
そういうインチキを強要された一般社員はたまったものじゃない。

もともと人間的に欠陥のある人間が間違って社長になったと言っても良い。

企業の社会的使命など毛頭分かっていなかったのだろう。

105年の歴史の中で最悪の汚点をつけてしまったと自分たちの不始末を述べているが、こんなリーダーが日本を代表するような企業にいたとは恥ずかしいことだ。

3人の社長は土下座して社員に謝るべきだ。関係者には資材を投げ出しても謝れ。

そして京セラの稲森会長の塾に入り経営哲学を学べ。少しは賢くなるだろう。


ソクラテスの時代は終わった6-18

2015年07月21日 | Weblog
ソクラテスの時代は終わった

安全保障法案とベース電源として、原発22%とするというのは今の内閣が決定した。次の選挙でこれを覆すために自民党の数を減らし、この決定法案を骨抜きにするか、ひっくり返すか、廃案にするかして、現実的に実効を持たないようにしよう。
決まったものは仕方がないからといって諦める必要は無い。
要するに最終的に民意に反した法案は実効性を失うようにすればよいのだ。
国民の生命や財産を守ると言うのは当然のことだが、その守り方に違いがある。

自民公明の今回の決定とは違った意見を持つ私は国民の多数が賛成できるような時節を待ち、それにふさわしい安保政策を作るように努力したい。もちろん原発問題はあくまで0を目指す。
「悪法も法なり」といったソクラテスの時代は終わった



安全保障法案と原発22%は今の内閣が決定した。次の選挙でこれを右虫の自民党の数を減らし、この決定法案50年雪にするかひっくり返すか、廃案にするかして現実的に実行を持たないようにしよう。
決まったものは使用がないからといって諦める必要は無い。要するに最終的に右に搬入した法案は実効性を失うようにすればよいのだ。
国民の生命があり35守ると言うのは当然のことだがそのご無理方に違いがある自民公明の今回の決定とは違った意見を持つ私は国民の多数が賛成できるような日を待ち、それにふさわしい安保政策を作るように努力努力したい原発問題はあくまで0を目指す。
悪法も法なりといったソクラテスの時代はもう終わった。










明日がある

2015年07月20日 | Weblog

明日がある

命のある時間は限られている。生まれた瞬間からスイッチは押されている。そして正確に時は刻まれる。

命の持続時間は一日生きれば、それだけ残り時間は少なくなる。それは決まり事である。

人は気づいてはいないのかもしれない。皆「明日がある、明日がある、明日があるさ。」で先送りするか、時の流れを無視するかして、持ち時間には無頓着である。

気がついたら、あるいは流れ行く時間に神経質になったとしても、時は「光陰矢のごとし」のスピードで流れ去ってゆく。

だから問題は、時の非情さを知って毎日をしのぐことが大切だということだ。

首相のケーション

2015年07月19日 | Weblog
首相のケーション

首相の コミュニケーションは 自分の意見を押し付けることを説明だという。

原発の安全性は 結論としてでているのだから、安全性を理解しなくてはならない。同じ論法でもう決めてしまったことだから
安保法案も結論としてでているから理解してもらわないといけない。つまり押しつけを受け入れてもらわないということである。
こういうスタンスでいくら説明をしても民意は遠ざかるばかりである。
これは一方的押しつけで、説明にはなっていない。
コミュニケーションというのは 双方向性がなくてはならないが、一方的 な説明である。

一方的は言い分に対する理解が進んでないから説明するという
説明とは彼にとって一方的押しつけが理解されることを意味する
国民は担保法は違憲性が強く、日本の安全保障に役立ちそうもないということがわかってきたから国民の反対の声が強まってきた。

原発だってそうだ。原発について理解が深まってきたから反対の声が強くなってきたのだ。

憲法をはずしたらブレーキが効かない事は戦争の歴史がよく物語っている。そこを学ばなくちゃ。

9-21女性 専用車両に乗る

2015年07月18日 | Weblog
女性 専用車両に乗る

女性専用車に乗る
発車ベルがなっている。 階段を とびおりるようにして、 目についた扉から 車内に飛び込んだ。

一駅 たったころ、少し余裕が出て 女性が多いのに気がついた。
男性は アベックの男をふくめて 私と二人だけ。
乗る車両を間違えた 。慌てて飛び乗ったからここが女性専用車だということには気がつかなかった。
開き直って、 たまにはいいさ、 と言い訳をして、 腰をすえてあたりを見渡し始めた。

圧倒的に女性が多いと雰囲気は異様なものがある 。ここは女性ばかり。 若いのやら、年増やら、ばあさんの世界。
どんな話題が聞こえてくるか。開き直って聞こえる会話に集中した。
女がいるから男がいる。 一人ひとりの女性では圧倒されはしないが 集団になると 女性パワーの 大きさに驚く。

政治家でも 女性票を意識するのは当然だ。
こんなことを考えていたら あっという間に終点についた。
生まれて初めて乗った女性専用車。 頭に残ったのは 何か異様なものを感じる世界の雰囲気だった。

南無阿弥陀仏では遅すぎる

2015年07月18日 | Weblog
南無阿弥陀仏では遅すぎる

ふと気が付いたが 小鳥に餌をやる のを忘れてた。
小鳥は 死んでた。 餌箱は空っぽだった。 2日ほど餌をやるの忘れてた 。
かわいそうなことをしたものだ。 自分が飢え死にさせたのだ。
自責の念に駆られて 自分に腹が立った。
しばらくは自分を責める事ばかりが続いたが、 小鳥のために
ダンボールで作った お墓に南無阿弥陀仏 と書いて近くの土の中に埋めた。 涙が止まらなかった。
南無阿弥陀仏 と 何回もとなえたら心は安まらなかった。
このとき 今後は一切自分の手で生き物をかうことはやめようと決心した 。それは今も守っている。よほどこたえたものと見える。南無阿弥陀仏では遅すぎる。後の祭り。で申し開きができない。

死刑執行命令書のサイン

2015年07月17日 | Weblog
死刑執行命令書のサイン

〇五~〇六年に法務大臣に就任したS氏は
「私はサインしない。心の問題、宗教観、哲学の問題」だとして命令書にサインしなかった。死刑執行命令には大臣の署名がイル。そこで思うのだが、彼の言い分はすべて個人的な考えであり主張である。それならなぜ法務大臣に就任したのか。自己主張を貫くならば就任してはならないはずだ。大臣のいすはほしいがサインは嫌だというならどうして国の刑法を遵守しようとしているのか。申し開きのできない大臣就任である。こんな考えの人ははじめから法務大臣候補から除外しておくのが筋である。また仮に法務大臣を席が回ってきても辞退すべきである。公と私の区別が付かないような人物がその任務に就くのがそもそもの間違いである。彼はそのことをどう判断しているのだろうか。正義感があるのだろうか。

親殺し

2015年07月17日 | Weblog
親殺し

近頃高齢者社会が進んで、認知症の高齢者が増え、家庭で看護している子供が、もてあまして親を殺すという事件がよく起こる。

人情としては、親を殺して大悪人だというレッテルを貼るが詳しく内情を調べてみると、誰だってそこまで行ったらお手上げでよく辛抱して面倒を見てあげたと、おや殺しの大罪を減免したくなるようなものもある。

こういう子供には本当に同情するが、もっと積極的に誰かに相談していたらまた別の展開があったかもわからない。
確かにぼけ老人を抱えていると、お手上げ状態が続いて介護する側が倒れそうになるだろう。そこで思い余って一気に殺人に及ぶのだが、ここに人間の業を見る。

我を育ててくれた親を殺すなんて平静なときには想像も付かない。しかし五右衛門の釜ゆでじゃないけれど、我が身に耐えがたい苦痛が襲ったら釜の底に子供をしいて己の苦痛を逃れようとしたという逸話が現実味を帯びてくる。やっぱり人間には業がある。

。追い詰められると、人間は想定外の行動に出る。これが結果として親殺しになる。人間とはそういう存在なんだ。

下流老人6-22

2015年07月13日 | Weblog
下流老人

。現役時代の収入が多くなく、貯蓄も底をついた。生活の助けを求めることのできる家族や友人関係もない。
こういった人たちが、いざ年金だけで生活する年齢になると、突然貧困層に落ちる。
これはまれなケースではなく、私の試算では、
高齢者の9割が下流老人になる可能性があります

73歳の人生といえば日本の高度成長期にに馬車馬みたいに働いた年齢層である。個人的にはともかくも、高度経済世長期にまじめに働いて、新幹線自殺者と同じ境遇にいるというのは、どこかが、何かが間違っていないか。

日本の国は決して富んだ国ではない。総理は気前よく海外に金を貸したりばらまいたりするが、その家庭(国)の国民は、9割が下流老人に陥るかもしれないという人もいる。

政治家としてもっと国内に目を向けて国民に生活の充実感を与えるような政治をしないとギリシャ騒ぎどころではない。

1500兆円の借金の解決策なるものはあるのだろう。次世代に付けを回すほかはないが、表面はしっかりしているが、中身は腐りかけているような現実にどうして目を向けないのか。

新幹線自殺者に続く者が出てくると、日本という国の生活実態が世界に知れ渡るだろう