日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

トラストミ-

2010年08月31日 | Weblog
トラストミ

これまでの鳩山氏の言動を見て、トラストミと言われたアメリカ大統領はどんな思いで受け答えをしたのであろうか。
本人は代わらないと言うが、こちらから見ていると彼の言動はトテモ トラスミーに値しない。と僕は思う。その時々の情勢にあわせてものを言っているだけで、政治家としての信念が伝わってこない。同じ実体でも中側にいるのと外側にいるのとでは、見方が違い解釈の違いが生ずるのはある程度仕方がないように、思う。

さて今回の菅、小沢の対決による分裂を怖れた鳩山は両者の説得と和解に動き、当初のトロイカ方式にプラスワンして何とかこの危機を脱しようと動いている。ご苦労さんとは言いたいが、日本の政治はホントにこれでよいのか。

円高株安問題解決のために日銀は10兆円追加するという。こういう事は素人でも分かる話で、これまで口先介入が市場には読まれていた。私の感覚からすれば何事も遅きに失する。先手と言うことが感じられない。これではマーケットに振り回される事に成るのではないか。どうせやるなら催促をされてではなく、先手必勝を見せて貰いたい。日本の置かれている立場の難しさを承知した上で、やはりマーケットに振り回されることは避けてほしい。

酷暑お見舞い申し上げます

2010年08月30日 | Weblog
酷暑お見舞い申し上げます

酷暑が続くのに風邪を引きまして、毎週医者がよい。それでも未だ治りません暑いのでクーラーを入れると寒くて仕様が無い。これで三週間床に伏しました 。
咳がひどく電車に乗るとはた迷惑も良いところ。顔を背けられます。
こちらも遠慮して抑えてはおりますが、抑えきれるものでは有りません。医者通いを覗いて乗り物には乗らないようにしてます。こんな経験生まれて初めてです。どうか皆様も健康にはご留意下さい。

山田耕筰先生の言葉にコメント

2010年08月29日 | Weblog
            山田耕筰先生の言葉にコメント

1,過ちの道でも良い。
難しい問題ですね。結果的には過ちの道を歩くことだって有るだろうし。人間のやることは時の流れによっても、正しい道であったり、過ちの道になったりするから。
2,その道をひた走る。勇気が尊いのである。
そうです。何か行動しない限り自体は変わらないから。飛び込んでいく勇気が尊いのです。
3,それはまた、善悪を一如と、観ずる真実さと呼ぶこともできよう。
先生のなさることにはきっと迷いもあったはずだ。そんなとき先生はきっと自分にそう言い聞かせて、また神の声と受け止めて、己の道を決め行動されたのだろう。
4,そのひたぶるな心を、私はこよなく懐かしむのである。
ご自身の若いときの自分を振りかえって、こう思われたのだろう。ちなみに先生は62才で脳梗塞を患われ、左半身の自由と、言葉の呂律に自由を失われている。

5,それは、私が作曲したとして、指揮者として、日本という不毛の音楽地帯に展開した芸術行動の実相であり音楽活動の実写である。
国家や地方自治体でも金がかかりすぎて、もてあましているオーケストラを個人で
立ち上げ、運営されたご苦労は想像に余りある。巨人と言われる人以外はおそらく手のでない事業だったに違いない。
6,無理解と、嘲罵の奔流をを単身横断する決死的行動のわざをさえ
演ずべく命令されるのである。
常識を打ち破って、あるいは乗り越えて行動されているから、その非常識に対して世間の風当たりは言語を絶したものが有ったことだろう。
7,虚偽と、妥協の妖雲に覆われた実社会は、一切の夢を峻拒し、
憧憬を破砕する。その中に立って敢然自己所信を貫徹するには、
つねに、捨身的的行動を必要とし、時には生を賭する覚悟すら持たねばならなかった。しかし私は一切の妥協を排して、若き心を堅持した。真実の一路を突進した。
そして今、私は傷つける身を抱く。しょうけいたる私の孤影に見い出すのである。
荒れ狂う野武士の血をうけて、猛獣的バイタリテイ、信仰にも近い自己信頼を貫いたからこそ、その余慶を後世のものは何の苦もなく、享受出来るのだ。
8,しょうしょうたる寂しさ!それはしかし、失意の友ではない。
それこそは、真実一路たどるさすらい人のみのうけうるなぐさめである。休養である。
とでも思わないと、やりきれな事だろうし立つ瀬がない。先生一流の強がりだと思わないでもないが、もしあの時代にこの日本に山田耕筰が現れていなかったら日本の西洋音楽界はどうなったいたであろうか。オーケストラ運動は50年ほど立ち後れたのでは無かろうか。と言うことは、この50年間に世を去った人は西洋音楽のすばらしさを味わうことなく、世を去ったことになる。
山田耕筰に対する功罪を論じるならば甲論乙駁色々あろうが、確実に言えることは山田耕筰は日本に西洋音楽を本格的に導入してその芽を育てた人である。
そう言う意味で日本文化に大いなる貢献をした人である。彼の余沢は日本国民全員が享受できる。先生の辛苦に思いやることなく。

ご案内

2010年08月27日 | Weblog
ご案内

FM大阪に出演します時間の圧からは聞いて下さい

二九日日曜日 よなかの12じから一時一五分まで 「 大人の文化村}

内容は
1,大阪復権 愛染まつり
2,岸和田だんじり
3,創作の不思議
4,音楽仲間
5,現状と問題点

 命の躍動

2010年08月26日 | Weblog
          命の躍動


命がめらめら燃え立っているいるところに、身を置くと、その影響を受けて、自分の命も燃え立つのわかり、生きていることが実感できる。
そういうところに身を置いて、生きていることの実感を、息吹を、吹き込むようにする。

命の躍動がもっとも感じられる所を求めるべきである。        
青年にとってそれは自然であるが、老人にとっては求める努力必要である。

命の輝きは賛嘆するべきものである。そしてその輝きがもっともよくわかるのは、本能が発現されているときである。

食うために働く人が

2010年08月24日 | Weblog
食うために働く人が


なにがしあわせなのか。生きるとはどういうことか。味わって生きることによって人は、初めて人生のアジを知る。
一流大学を出て、一流企業に就職して、ただの生活をして、人生を終える。
それでいいのか。
ウサギ小屋、働き蜂、働き中毒、それで人生を終える。私はそんな生活は真っ平ごめん。自分の人生は自分の好きなように生きる。
世の中には食うために働く人が、多すぎる。 自分もその中のひとりではあるが。

日本人はどこへ行ってしまったのか

2010年08月21日 | Weblog
日本人はどこへ行ってしまったのか
日本人は親切で勤勉で礼節を知って高潔な精神に満ちあふれていた 。

日本人が日本人心を失ったのは高度成長のデメリットであった。
目標のない拝金主義の横行、質素、堅実、武士道精神などを忘れてしまった
この原因を作ったのは誰だろう。
マスコミは日本人を総白痴化した元凶である。これに携わる人品のお粗末さ
日本をリードしているという気でいるのが何とも幼稚で
馬鹿馬鹿しい。目立つことが価値ありとするお粗末さ。 タレントが幅を利かす社会のお粗末さ。


退職金が2億1千万円

2010年08月19日 | Weblog
退職金が2億1千万円

とにかく驚いた。誰のことかと言えば府民共済の理事長の退職金である。
私も20年間公務員をした。その退職金が1400万円。35年から40年ほど勤務した 校長で3000万円行くか行かないかである。
府民共済は文字通り府民共済が目的である。そこの長が2億円も退職期をもらう感覚がおかしい。世間には相場というものがある。それにくらべて多くても1割か2割アップというのなら話はわかる。22歳で大学を出て教師になりその最高職つついた者の7倍の退職金を取るとはあきれて物がいえない。

本人の弁によると、給料が安かったからとか言っていたが、正規の手続きも踏まないで
これだだけの額を受け取るとは、欲の皮が厚すぎる。もしこれがマスコミに報道されなかっら、おそらく貰いどく、悪く言えば猫ばばしていたことだろう。
75歳というと僕とほとんどかわらない年代で15倍もの退職金を手にするとはあきれて物がいえない。
これは許せない。退職金は並にひきさげそれ以上は返還し、その分庶民の掛け金を引き下げるべきである。大阪府は強く指導すべきである。

親の目は隙間だらけ

2010年08月18日 | Weblog
親の目は隙間だらけ

今年の夏は異常な暑さだ。連日水の事故が起こっている
今日も川遊びしていて親がちょっと目を離した隙に子供がおぼれて水死した。親と同じ所にいても水の中に引きずり込まれる。きっとこの世には目に見えない悪魔がいて隙あらばと狙っているように僕には思える。

小さい子供でも完全に親の管理下にあることは不可能である。親の目は隙間だらけで事故は起こる可能性が常にある。一人遊び(親の目が離された)の時は神に守ってもらう以外の方法はない

役割を演ずる

2010年08月17日 | Weblog
役割を演ずる

生まれ落ちるなり人間は必ずどこかの集団のメンバーに位置づけられる。そしてその集団ににふさわしい振る舞いを要求される。あるいは期待される。ま
た、それにふさわしい役割を演ずることを求められる。一人ひとりが俳優であり女優である。どんな役割をどれほど上手にこなせるか、それを観客は見物している。 

垢落し

2010年08月16日 | Weblog
垢落し

からだが汚れたらふろに入って洗う。
からだが汚れたら、ふろに入って洗う。
心が汚れたらどうして垢落しをするのか。神や仏の力すなわちエネルギーによって、心の中を洗い流してもらうのか、それとも自らの力によって、心を洗う(=垢落し)、ことができるのか。いずれにしても心を洗う必要がある 
心の垢落としは霊地聖地へ行くのが、一番だと思う。四天王寺が何時も大勢の人がお詣りするのは、心の垢卸には最適的の場所だと 知っているかも知れない。盆と彼岸と21日のお大師さんの年日には大勢がお詣りになる

祈る心があった

2010年08月15日 | Weblog
祈る心があった
まず祈る心があった。
心の中の願いや、祈りは言葉になった。言葉には節がついた。言葉はメロディーに乗せて歌になった。グレゴリアン賛歌に手が加えられた。歌は厚みと広がりを持った。和声とか、オブリガートがなどが加わって、現在の賛美歌が作られた。それから音楽が分離独立して、成立した。
偶然の隣会わせた特急列車の横に座っていたインド人は、急にそう話しかけてきた。僕は咄嗟にそれは何のことですかとオウム返しに聞いた。彼の説明によると、この世の始まりに人間がはっした声はオームという声だったらしい。それは神が発したものか、人間が発したものか判らなかったが、オームという声、音に間違いはない。それが出発点になって今日の音楽が生まれたのだ・
そんなこと考えて見たこともなかったが、インドの紳士がそう言うのだからそれも否定は出来ないと 引き下がった。
僕は先ほどから車窓に見えるインドの農村風景を五線紙に音群としてメモしていた 。ラージダーニー特急列車はハウラーかニュウデリーを目指してばく進していた。
紳士は横目でチラちらっと僕の手元を見ていた。
それでこんな急な話が共通項としてできてたのだろう。ほんまかいな?
しかし10年も前のことを思い出すなんて、やはりショックなこととして記憶の隅にはあるのだろう。

山田耕筰百言集 16

2010年08月14日 | Weblog

文典を読んでそれを極めたものが直ちに文章家ではありえない、と同様に作曲学の奥義を究めたものが必ずしも良い作曲家であるとは限らない。
 
 山田耕筰百言集 16

僕もそう思う。芸術なんて言うものは所詮芸術家が持つ感性や才能がものを言うからである。作曲の際にどんなにその原理に忠実であっても、できあがった作品が必ずしも満足のいくものであるかというとそうではない。

それよりも無意識のうちに、心がむなしいときに、心が空っぽの時に、心が真空状態の時に、ふと入ってくる音群の方が如何に完成されたものが多いか。
このことは何回も経験した。

どうして完成度が高いかというと、苦心しながら絞り出すような思いで作った、力の入った時に作った歌はエイジングすると、必ず修正したくなるものだが、無意識のうちに完成された曲はエイジングしようにも修正するところがない場合が多い。

先生が言われるように基本は基本として大切な事は言うまでもないが、原理原則の上に、その人の持つ感性や才能が、あるいは悟性を浸透膜にしてにじみ出た思想なりが作品を構成する際に大きく作用するからである。
他の芸術もそうだろうが、音楽の場合にはこのことを強く感じる。

そしてこの辺りの事が人間の限界ではあるまいか。それ以上は人間を越えた神の領域のことだと思う

お盆

2010年08月13日 | Weblog
お盆

今日からお盆にはいった。お寺さんが両親の戒名を書いた卒塔婆の他に先祖代々と三界万霊と書いた大きめの卒塔婆をもってお参りにきてくれた。

ぼくは小さいときから、神仏とご縁があったのだろう。と言っても自分から手を合わせたり、お経を唱えたりするような自発的なことはなにもしなかった。
ただ祖母が法隆寺で毎年あがる大般若にいつも連れて行ってくれた記憶は今まで消えたことがない。法隆寺村出身の祖父は大阪に出て、年若くして巨万の財を残して死んだ。
戦死ではない。どこか体を病んで四十代でこの世を去っている。それは悪神がとりついて、金はやるが命はもらうとでも言う呪いがかかっていた罠にはまりこんだみたいに、今の僕には思える。

主人が四十代でなくなるということからすると 、後家になった祖母も子供達もまだ皆若かった。特に私の母は生まれたばかりで、父を失っているので、家庭には主人がいて主婦がいてと言ういう普通の家庭の味を全く知らないまま育っている。

ところが巨万の財産を残してくれたおかげで、嫁にくる前までは、生活には何不自由なく育った ようである。母の若い時の生活レベルがどんなものであったかは想像の域を出ないが、多分大層なものであったことだろう。

時は明治時代の話である。祖父は1910年に死んでいるから、そのときの社会情勢などから考えてみると、聖徳太子ゆかりの法隆寺も廃仏毀釈などの影響で困窮甚だしく、寺を売りに出したそうである。その価格が当時の金で二百三十万円だったと祖母から聞いた記憶がある。
その時代に祖父は寺に幾ばくかの金を寄進したらしい。はっきり金額がわかるのは、境内に立っている顕彰碑のうらに五百円と刻んであるから、多分それ以上であることは確実である。困窮した寺にとっては一千円台の金でもありがたかったのであろう。戦前までは毎年我が家のために、法隆寺は大般若を上げて謝意を示し、境内に顕彰碑まで建立してくれたのだ。

物心ついたときに、祖母は私を連れて法隆寺に参り大般若を上げてもらって帰ってくるのが、戦前の習わしであった。大般若があがると言うことは何を意味するのか、小学校にも上がっていない私に理解など出来るはずはなかったが、大勢の坊さんが 経本を開いたり閉じたり、また立ったり座ったりすることだけは覚えている。
帰り道、祖母は私に言ったのが、お盆のことである。
お盆には遠くに行った、祖父が夜になると帰ってくるから、家を間違わないように、わかりやすくするために、迎え火をする事を欠かしてはいけないと言うことであった 。
しかし例年欠かさず迎え火をするという習慣は祖母の死とともに忘れ去られた。

祖母が亡くなって30年近くたった ある日、大和路線にある法隆寺駅を通過して祖母とお参りしたことを急に思い出した。大般若のこと、お盆のこと、迎え火送り火のこと。なども走馬燈の巡るような感じで思いだした。それ以後今日に至るまで迎え火送り火は欠かしたことがない。送り火の日はお供えしたものを餓鬼に供養するために河に流す習わしになっている 。
今頃そんなことをする家は皆無で、大都会では河川で供養する人など見かけたこともない。それでもローソクを一本点し、川の流れにお供物をのせて見送る風情は我ながらいいものだと思う。また来年も帰ってきてねと心の中で話しかけながら、口では念仏を唱える。それで盆が終わる。
さあ今からご飯を食べて、迎え火をしようか。

独り居は侘びし 二人はなお寂し

2010年08月12日 | Weblog
独り居は侘びし 二人はなお寂し

このフレーズには原典が有るらしい。山田先生の場合は北原白秋が出所だというが、白秋の前にコノフレーズを用いた人がいたらしい。

西多摩霊園にある山田耕筰先生の墓石の裏にか横にかこのフレーズ が有ったように記憶している。さてここで二人居とは誰と誰のことか。独りは山田先生自身であることに間違いないが、後の独りは僕は先生の奥さんだと推測している。
というのは、第三者的に先生の夫婦のあり方を見てみるに、二人の間のベクトルの方向がちがっていたように思えるからだ。

つまり先生の深い意味を込めた言葉を奥さんは理解出来ていなかったようだ。先生と僕の話す会話に奥さんは全然参加できていなかったからだ。理解が出来ていないから口にされる言葉に先生と僕は顔をを見合わせた事が幾たびかあった。

それは今現在の我が夫婦の場合も同様のことが良くある。何故こんな事が判らないのかと言う無言の想いに対して、全くあらぬ方向の解釈がなされて、おやっと思う事があるのと同様だ。24時間同じ環境で暮らす男女においてさえ通じないのか理解の仕方が違うのか。途端に孤独のど壺にはまることがある。

独り居るのも侘びしいことだが、その孤独を癒やすためにと思える人との会話には通じない場合、独りで孤独をかみしめる時よりは、もっと深刻に孤独を味わうことになる。通じ合えると信じ切っている場合は、孤独の度が余計に深まる。

やっぱり独りで生まれてきて独りで死んでいくという宿命は受け入れざるを得ない。二人居はという言葉をいくら使っても、ごまかし得ないのが真実だ