日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

おばあちゃん

2017年03月31日 | Weblog
おばあちゃん

おばあちゃんは僕が小学5年生の時に他界した。

おじいさんは僕が生まれる前に、どちらもなくなっていたので、おじいさんの味は知らない。

子供の頃おばあちゃんと二人で寝ていたから、よくしょんべたれをした。

父や母に見つかると怒られるが、おばあちゃんは怒りもせず、後始末をしてくれた。

今僕はおばあちゃんが死んだ年齢よりも、遙かに長生きして、孫の面倒を見る立場にある。

幸いなことに僕のような、しょんべたれは一人も居ない。

おばあちゃんは今頃何処に居るのだろうか。天国か地獄か。

毎日冥福を願ってお経を唱えているが、、、、

聖徳太子賛歌歌詞

2017年03月30日 | Weblog
聖徳太子讃歌

1993年の事だから,もう24・ 5年昔の話である。

四天王寺で行われた聖徳太子1,400年祭の法要に音楽演奏で参加させてもらった。

四天王寺学園中学高校の生徒さん400名余りと

菩提樹合唱団を加えて約500名約500名の人々に

自作の聖徳太子讃歌を奉納演奏させてもらった。

それをビデオ撮影していたのでYouTubeに載せた。

今頃では珍しいものだろうか。

何せ20年余りの月日が経ってのことであるから。

17条憲法にもあるように和の精神を基調にして、共生こそが人類の目指す

方向だと言う意味の詞を書いて、曲作りした。

それが20年の時を経てリバイバルしたのである。

よっかたら視聴して下さい。

ユーチューブ武田朱仙 

 と入力し、検索したらトップに出てきます

だてらに

2017年03月29日 | Weblog
だてらに


今では死語になったが、昔は女だてらに言う形でよく使われていた。

女だてらに車を運転してとか、タバコを吸うとか、お酒を飲むとか、

まるでそれが1種の悪であるかのように使われていた、、、、た。

女性が車を運転して、お酒を飲んで、タバコを吸って、何が悪い。

今では当然のことだ。女らしさは欲しいが、女だてらに、は欲しくない。



生命

2017年03月27日 | Weblog

生命

雪崩が起きて10人近くの人が心配停止とのこと。悲しいことだ。

定刻に家を出た彼女は学校に到着することなくこの世を去った。

いったい誰がこんな無惨なことをするのか。

犯人は絶対に許さない。

生命の灯は一旦消えると2度灯る事は無い。自然災害による被害は悲しみで済むが、殺人となると怒りが先立つ。

犯人に告ぐ。

お前は自分の意思で人の命を奪った。お前が犯人だと断定された時点で、

自分の命をもってこの罪を償え。

今お前に残されているのは自分の死だけだ。

現行の法律では、無期懲役だろうが、お前の魂は既にこの世で殺されているんだ。
多くの人々の怒りによって殺されているのだ。

同じ人間として、お前には全く同情の余地なし。

トップに立って最高の風景を見なさい

2017年03月26日 | Weblog

トップに立って最高の風景を見なさい



映画を見た。名もなき1地方の女子高校生が全米チアーダンスでトップに

立つまでの努力の過程を描き実際にトップに立った現実を映画化したものである。

努力のプロセスは老若男女の壁を乗り越えて感動をよんだ。

夢を実現するためには、夢ノートの効力がどれほどのものか。

強い意志と信念に基づいた行動は奇跡を生む。

夢を持つ人間が夢を実現に向かって進む時、大いに参考になる。

刺激を与えてくれた久々の良い映画だった。


結果

2017年03月25日 | Weblog

結果

行って初めて結果が出る。

行わずして頭の中にあるアイディアは無色透明で、現実世界では意味が無い。

実行して初めて価値判断のできる結果が出る。

頭の中で考えることに実行が加わって、初めて結果がでる

邪悪な想念は邪悪な結果を生み、善良な想念は善良な結果を生む。と考え

るのが普通であるが、必ずしも一致するとは限らない。

頭の中にある想念は観念でしかなく現実 、五感世界には存在しない。

宝寿寺

2017年03月24日 | Weblog

宝寿寺

88カ所霊場会から脱退が認められた。

報道にから判断するに

宝寿寺の住職は人格的に問題がありそうだ。

お遍路さんに暴言を言ったり、暴力を振るなど僧侶としてあるまじき

立ち居振る舞いである。

報道の通りなら、とんでもない話で僧として不適格であることが一目瞭然だ。

四国88カ所霊場の伝統を守るなら、この変人を追放したほうが良い


人間は弱いものである

2017年03月23日 | Weblog

人間は弱いものである。

人間力だけでは生きていけない。だが人は人間力に頼る。

五感に感じないものは無視して悠々と生きている。

人間が生まれてから死ぬまでには、何が起こるか知れたものではない。

そこに神仏の出番がある。

信仰の対象は神仏があるが、私は神と仏とは別物と割り切って考える。

仏は(先祖)供養をする対象である。神は生きるための知恵を与え、守護をしてくれる。

人は自分の身を頼りにして生きるか、それとも自分の頼りのほかに

神仏を頼りにする生き方がある。そいて後者の方が万全を期した生き方と言えると思う。

映画

2017年03月22日 | Weblog

映画

近頃はシネマへ行こうと言う。

昔は映画館へ行こうと言ったものだ。

映画の内容も随分変わった。

半分は洋画で、あと半分は方が高年代層にも合わせて上映されているが、

どちらかと言えば、若向きのものが多くなっている。

今でこそ高齢者になっているが、僕も若い時代があって、残照とは言え

青春時代があった。言葉は同じであっても、今の若者の青春と

我々世代の青春とは重なるところは少ない。

だから青春映画を見てもシラッとしていて、そういう自分に気づくとき、

気になる。

時の流れは若者も老人も乗せて黙々と流れ去っていく。

期待値

2017年03月21日 | Weblog
期待値

歌唱指導する時自分の期待値を100とすると、100にとどく人は少ないが、150点をつけたくなる声楽家もいる。

このことを歌唱によって教えてくれたのは声楽家の00先生である。

延命十句観音経をピアノ伴奏で3回リピートするのに、1,2,3番の歌い方を変えて歌った。

作曲家の想像を超えて、唱法を変えれば こんなにもお経の中身をあらわすことができるものかと私は感心した。

興味深い発見である。

作品作り

2017年03月21日 | Weblog
作品作り

何でもそうだと思うが、周辺ばかりを幾ら勉強したところで作品が出来るわけでははない。
まず作ることだ。そこから派生したことを、勉強すれば良い