日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

9-33可哀想でどうしようもない

2019年01月31日 | Weblog
感情的になってはいけないと自戒はするが、今回の小四児童虐待には関係者一同に

責任をとらせて首にしてもらいたい。はらわたが煮えくりかえる。言い訳は問答無用。

犯人の実父は重罪にして社会から不要人物として追放してやりたい衝動に駆られる。

このアンヶイートは秘密厳守すると書いておきながら、コピーを渡す教育委員会のアホども、

父親に高圧的態度で迫られて秘密厳守のはずのアンケートのコピーを渡したらしい。

無責任を通り越して貴様らそれで給料をもらっているのか。と怒鳴りつけたい衝動に駆られる。

大体児童相談所の無責任さは今回が始まったことではない。不手際や無責任で見殺しになった

ケースは多々あったではないか。いい加減に目を覚ましたらどうだ。連携が悪かったのは

お前ら責任じゃないか。

とにかくこう言う無責任さを払拭するために、責任解雇でも何でも良いが、

我が身に降りかかる痛みを痛烈に実感させないと、悲劇はまだまだ続くだろう。

懲りない面々だ。我が身を張ってでも子供を守り通すことが出来ないのか。無能もの集団

児相も学校を含む教育委員会に対しては、一罰百戒の断を下すべきだ。父親に威圧的に言われ

たから秘密を守らずコピーを渡すなんて犯罪だ。訳のわからないものにはたとえそれが親

であろうと、子供は社会的存在で親だけの者ではないことぐらいは反論できないのか。

それでもめれば警察を入れて規則や常識で、ぐうもでないようにやっつけたらいいじゃないか。

お手に負えない不届き者は警察力で排除すればよい。

かわいそうで、その怒りの大きさが、犯人の重大処分や落ち度のあった連中の一掃を実行して

我が身に痛みを覚えさせてやれ。

人の命がかかってくる場合はどんないいわけも通用しない。有るのは責任追及のみ。

命を守ることによって給料をもらっているのだから、守れなかったら我が身に制裁が降りかかってくるのは

当然の話だ。児相はもちろんのこと関わった教育委員会、行政など厳重に処分する必要がある。命の大切さの

自覚を持たない連中はすぐさま職場を去れ。君にはその任務が不適だから。










。目には目を歯には歯をを地でゆけば良い。

どんな思いで死んでいったのか思うだけでも、理不尽で悲しくて、悔しくて、可哀想で、

涙が出る。

心の問題

2019年01月30日 | Weblog
社会教育の講座で心の問題を取り上げた。僕が主眼にしたのは日常性から自らを解放してもらうことだった。

言い換えれば僕の話や音楽を聴いて、心をリフレッシュしてほしいということが、

話の基本にあった。

テーマは心の問題だが、日常生活を振り返ってみるといつの間にか心にチリがたまって

ストレスを抱え込んでいる。適量のストレスは生きていくのに必要だが、オーバーになると体調がおかしくなる。

そういう状態の人が居たら話を聞いて現実を理解し、美しい叙情歌を声楽家の生演奏で

降り積もった心のチリを洗い流して欲しいという趣旨説明から、実際の話に入る。

にちにちの生活の現状を把握して問題意識を持ち、その解決法を参加者全員で考える。

コメンテーター 役の私は問題意識をまとめ上げてコメントする。

この間約一〇分.それから歌の実演をして次のテーマに移る。

これを1クルーとして5テーマくらい話すと2時間かかる。

それで本日の話は終わりにする。あと今日の話の感想を書いてもらって次回の参考にする

歌事情

2019年01月29日 | Weblog
歌事情

今日も舞台の上で歌手が激唱している。コーラスグループ がオーバーなダンスをして

観客席に熱気を送っている。客席は、と見ると舞台の上とは逆で、冷めてしらっとしている。

しかし義理の拍手は聞こえてくる。 これが昨今の日本の歌事情である

昭和には心に残る歌が多かった。だから50年もたった歌がリバイバルされている。

これしかないのか。情けなく思う。平成には歌がなかったのか?

人心が歌から離れていく様子が手に取るようにわかる。

何故か。まず詞が良くない。したがって叙情性豊かなメロデイが生まれない。

歌から叙情性がなくなると、人心は散ってしまう。文学性もなくなる。

昭和の歌には共感できる叙情性が一般的だった。それが歌の生命だ。

しばらくは放っておいて様子を見るか、

さもなくば、新元号時代に向かって必死に成ってヒット曲を作るか。

現状を何とかしなくてはならないと思うとため息が出る。

大自然

2019年01月28日 | Weblog
大自然の雄大さや、偉大さ、調和の働きなどに直面して、神秘を知るとき、そこに神を見いだ

し、人間の卑小さや、未熟さや、未完成さなどに気付いて、謙虚さを知り真に開眼する。

そう思えるような人間になりたいと、今頃になって思うようになった。

いじめ

2019年01月28日 | Weblog
いじめは暴力である。多発するところが学校である。暴力である以上被害者と加害者が居る。

現状では被害者のみがクローズアップされて居るが、加害者は警察に呼んで取り調べを行い

犯罪に触れていたら触法青年児童として、悪質なのは少年刑務所へ放り混んだり、厳重注意

厳重指導などをして、加害者になると、それなりの社会的制裁を受ける風潮を作ることがいじ

めを食い止める防波堤になりはしないだろうか。

もちろん保護者も監督責任を問われて、厳重注意をうけたらよい。

どう考え見てもいじめを学校内の出来事で教育的な措置で

処理しようという所に限界があり無理である。

いじめ防止は警察力で行うように方針を切り替えて、学校の生ぬるい指導からきりはなし

対処したら良い。

人類の年齢制限を超えてみたい

2019年01月27日 | Weblog
三浦雄一郎さんの言葉である。

90歳でエベレスト挑戦に改めて意欲を示したとある。

肉を600g平らげる話にも驚いたが、元気の源はどこにあるのだろうか。気力の源泉は

何なんだろう。驚嘆するほかない。僕から見れば怪物だ。

もうこの辺でやめたらどうといいたくなる。いや言っちゃいけない言葉かな。


気になる

2019年01月25日 | Weblog
近頃毎日のように殺人事件が報道されている。

一方では火事に巻き込まれて焼死する事故が起きている。

人の命は地球より重いというスローガンの下に、再度命の重さを考えて見る必要はないか

事故によってと言うのは、ある程度あきらめもつくが、意図的に殺人を犯す連中は

平和な社会にとって受け入れることは出来ない。

自分の命で被害者の命をあがなうか、刑期をおえて社会復帰するかだが、殺人者を受け入れる

ほどこの世は甘くない。社会の最底辺でのたれ死にする。それは当然の帰結である。

無視

2019年01月24日 | Weblog
無視
質問:韓国が日本の哨戒機による低空飛行を受けたと主張。1月に3回受け、きょうに関しては高度60~70メートルの近接飛行があったとしているが
答え:報道にもあった韓国側から指摘を受けたという60、70メートルの高度は正確ではない。私どもはちゃんと記録を取っている。
高度150メートル以上を確保し、従来通り国際法規や国内法にのっとり適切な運用行っていた。
18日、22日の飛行についても適切な運用を行っている。脅威になるような飛行は行っていない。韓国側にもしっかり伝えているところだ
引用


日韓関係

話せば話すほど話がこんがらがる。日本の意思が通じないところとは何があっても沈黙にかぎる。つまり無視することだ。

国際常識にのっとて、いくら誠意を持って話しても通じない所には話すだけ無駄だ。

それによって被る多少の被害は我慢する代わりに,かの国がどんなことを言ってきても

耳を貸さず無視しまくればよい。

世界の常識に照らして国際社会の理解を得る努力なんか必要ない。

民族性が根本的に違うから、心底からの話し合いは無理である。

米韓日の同盟を遵守するにしても韓国とは距離を置いたほうがよい。

正論が通じないところを、何故こうまでして話し合いによって解決しようとするのか。

反日行為もここまで来れば日本は締めあげて突き放し無視して、痛い思いをさせることが、

両国にとって害が少ない

話の通じない国に話をわからせようとすることは、ナンセンスを通り越して滑稽ですらある。

あの民族は怨、皮肉れ、ひん曲がった感情しか持たない民族だ 。


無視 無視無視無視無視無視無視無視無視。

母子自殺

2019年01月23日 | Weblog
母子自殺

仙台で事故は発生した。原因究明を夫が訴えた。学校は第三者委員会を設けて検証するという。
もう何年前から同じパタンのことをやっているのか。

結果としてどんな実績が上がったのか

悪く言えば第三者委員会は学校始め教育関係者の責任を逃れたり薄めたりする隠れ蓑的な存在じゃないかと疑う

こう言う者を自殺の原因追求させたところで、命は生き返るわけではない。

直接間接にいじめは殺人を起こしている。何故刑法で取り扱わないのか。いじめは肉体的精神的な暴力である。

いじめが犯罪であることを徹底的に生徒にたたき込む必要がある。学校はその任務を負っている。

痴漢は犯罪ですというポスターは見かけるが、何故いじめは犯罪ですと言わないのか。
いじめはいまや学校問題ではなくて社会問題である

という認識を何故持たないのか。日本の社会はおかしい

痴漢で死ぬと言うことはごくまれに起こるが、いじめではしょっちゅう自殺者が出る。どち

らが大切なの?答えは明々白々である。

三浦雄一郎さん

2019年01月22日 | Weblog
三浦雄一郎さん

86歳 プロスキーヤー 南米大陸最高峰6961mに登頂と滑空を試みたが、ドクターストップがかかり断念した。

元々持病に不整脈があるという。

三浦さんは残念だったろうが、登頂断念の勇気をたたえたい。

低酸素・低圧・極地という条件の中で登頂に挑む彼の精神力の偉大さはそれだけでも、中高年者に勇気を与えてくれる。

それだけで十分だ。いやよく挑んでくれたと賞賛と同時に我も勇気をもらうし、しっかりせよという励ましの声が聞こえてくる。

登頂の成否よりはその勇気の方が何倍かの励ましをあたえてくれる。三浦さん。ありがとう

原発

2019年01月21日 | Weblog
原発は国民が反対するなら無理

経団連会長中西宏明日立製作所会長は今後の原発政策について 東日本大震災から8年が経

とうとしているが、原発は再稼働をしていない。

国民が反対するものを作れないが、反対するものをエネルギー業者や、ベンダーが無理に作ることは民主国家ではないと言った。

そして真剣に一般公開の討論をするべきだと思う。

として国民の意見を踏まえたエネルギー政策を再構築すべきだとの見方を示した。

誤解ないように言っておくと彼は原発を再稼働させるのに賛成している

福島第1原発事故後に停止している原発について「再稼働をどんどんやるべきだ」と述べた。

原発の新設や増設も認めるべきだとの認識を示し、エネルギー政策の在り方を巡り国民的な議論を呼び掛けた。
インタ-ネットより引用

規模は比較にならないほど小さかったが、東海村の原発事故は同じく放射能漏れを起こした。

半径何kmか忘れたが、避難して自宅へ帰れない人もいた。この時僕は人間の力でコントロー

ルできないものを扱うことの怖さを知った。コントロールできない以上、どんな災害がどこまで、
いつまで続くのか、防ぎようがない。

それにまだ稼働させるという政府や経団連の方針には大反対だ。一刻も早く再生エネルギーの方向に転換するべきである。

現時点では再生エネルギーに対して本格的に取り組んでいるとは思えない。

次にくる巨大地震による原発被害を防ぐためにも方針を転換して

原子炉の暴走を食い止める手立てを早急に講じたほうがいい。
産業エネルギーとして原子力に頼らず人間がコントロールできるエネルギに頼るべきだ。

火力、水力、風力、地熱、など再考の余地はいくらでもある。巨大地震が来る前の対策も立てて、できるものから実行したらよい。

悪くすると日本には人が住めなくなる地域が出るだろう。

いったい誰が責任をもつことができるのだ? 無責任の極みである。

日本の総人口

2019年01月19日 | Weblog

日本の総人口は2015年から2040年で12,7%減るとの見通しだ

当然労働人口も減る。最悪はいまの状況から1260万人減るらしい。

どこに働き手を求めるかと言えば日本国内では、高齢者と女性ということになるが、それにはそれ相応の対策が必要である。

たとえば子育て中の女性には職場に託児所を併設して子育てと仕事の両立を図るのも一つの方法である

高齢者といってもいまの60代はまだまだ元気である。職場を定年退職しても 、暇をもてあますだけである。

現実論として七十歳くらいまでは、従来と変わらない労働力を持っている。

一応65歳定年を維持しつつ、それ以上はフルタイムではなく週3日くらいの労働で社会参加

をしつつ、自己の健康管理もするというスタイルを一般化するのも一つの方法である。

外国人の労働力に頼るのも必要だが、まずは日本人の労働力を掘り起こすことが必要だろう。

そしてそうするためには労働環境の整備が必要になる。いまから条件整備を初めても 決して早くはない。

与謝野晶子

2019年01月18日 | Weblog
与謝野晶子

映画「この道」では北原白秋に寄り添った形でよく登場する。

白秋が姦通罪で警察に引っ張られた時の保釈金を与謝野鉄幹が支払ったそうだ。

情熱の歌人晶子は「君死に給うことなかれ」の反戦歌でつとに有名である。彼女は自由奔放な面と現実生活を直視する 二つの面があって

己の感性の赴くままに行動する白秋にいろいろアドバイスをしている。白秋から見ると頼りになるお姉さん?だったことだろう。

白秋は天性の歌人で詩歌以外には日常生活のことなどまるで眼中になかったようだ。これじゃ家族特に奥さんは大変だ。

3回?の結婚生活したのは当然だろう。家庭生活より詩歌創作に重きを置く際の態度、

それも常識の範囲に収まればの話だが、まるで乖離していればまず女が悲鳴を上げて逃げ出すだろう。

芸術家の奥さんは大変だ。こう言う点から見ると晶子は賢い

寒中見舞い

2019年01月17日 | Weblog
cc

パラパラじゃなくて ポッツリ ポッツリ

ポロッポロッと寒椿の花

パラパラじゃなくて ポッツリ ポッツリ

ポロッポロッと命の花が

忍び寄る足音 心臓の音

冬空に舞い上がり消えていく

また一つ命の花が散っていった

こんな日はオールドブラックジョウの歌を歌うがいい

からたちの花」の よ

2019年01月16日 | Weblog
「からたちの花」の よ

からたちの花が咲いた よ

白い白い花が咲いた  よ

カラタチのとげは痛い  よ

あおいあおい針のとげだ よ

作曲者の山田先生は、白秋に尋ねる

最後のフレーズは「よ」で終わっているが、おのおののフレーズの
「よ」の意味を教えて欲しい。

白秋は「よ」に込められた想いは確かに違うよ

後はにやにやしてこたえない。山田先生はいらいらする。

たった1文字にこめた想いが違うという白秋も大した作詩能力者だが

それを見抜く作曲家もすごい。

ふつうだったらどっちだってたいしたことはないと、やり過ごしてしまうところだ。