日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

後ろめたい気持ち

2012年02月29日 | Weblog

後ろめたい気持ち 6,872位 / 1,688,683ブログ中

12/02/29

どういう経路なのか知らないが、ユニセフから、アフリカ貧困生活の子供を救うための募金依頼がきた。
300円あれば、一人の子供の命を1日、救うことができると書いてある。わずか300円。10人分で3000円。財布が痛むわけではない。

だが、今日10人の命を救えたとしても、明日の命は、救えるか。その見込みは無いと思うと、今日の3000円は何の意味があるのか。
個人の問題としては解決する方途が見えてこない。

これは個人で考えるべきことではなくて、国際的に救済方法を考えて解決する問題であろうというところに、落ち着いた。

生んでも、育たない状況がわかっているのに、どうして子供が沢山生まれるんだ。食べてもいけないのに。貧しい国に人口ばかりが増えて。
腹が立ってきた。
結局募金はしないことにしたが、何かしら後ろめたい気持ちが残った。

壺阪観音

2012年02月28日 | Weblog
壺阪観音 7,905位 / 1,688,337ブログ中

「お邪魔します。一応、作曲をしていますが、」
「ほう 、どんな曲を」
「今日は、壺阪観音を作曲して持参しました。」
「テープですか。」
「はい。」
「すぐ聞けますね。」
「今テープレコーダーを持っているから、すぐ聞けます。かけてよろしいか」
テープレコーダーのプレイボタンを押す。
曲はクラシック調のオルガン演奏。

「ほうほー。近ごろこんな美しいメロディーを聞いたことがない。どこで勉強しましたか。音楽大学は、?」
「いいえ違います。大学は東大です。在学中に山田耕筰先生について勉強しました。」
「そうでしたか。後輩ですね。わかりました。」

それからしばらくして、先生から直々に電話があった。
「舎利礼文」の作曲依頼である。
娑婆世界の住人である僕にはお経の意味が分かるはずがない、
舎利礼文って一体何だ?

お経の本を買ってきて読み始めた。要旨は、お釈迦様のお骨と一体になるという人間の究極の場面。火葬場で、まさに点火する前に、唱えられるお経である。真言宗では毎日の勤行集に載っているが。

人間の形がなくなる最終の場面を想像しながら厳かな曲想で始めた。
完成したので、壺阪寺へ届けに行って、先生に聞いていただいたら、
発菩提心、、、の4小節を1オクターブをあげた方が良い。何もかも超越して、お釈迦様の胸の中に飛び込むところだから、人間としては、ここのところを最も力を込めて、輝かせるのが良い、とのことだった。

「へえ。お坊さんのくせに、どうしても音楽が分かるのか、?
その謎を解くカギは、最近ある誌上で発見した。
先生は、日比谷高校(府立1中)から、東大で進学されるときに、新宿にお住まいで、そのときに正統派音楽を学ばれ、ピアノ演奏も自在だった。
その話を知って、團伊久磨さん作曲の観音賛歌(作詞は常盤先生)を2度にわたって書き換えさせたという話も納得できた。

知らないふりをして、そのじつ、その道の専門家がいるものだ。用心しなくては、天狗になるなんて滅想もないことはだ。これは観音様のお知らせだ。僕はこのことを心に深く止めておいた。


















言うだけ番長

2012年02月27日 | Weblog
言うだけ番長

今となれば、前原氏に対するこのあだ名は彼の本質をズバリ指摘したと僕は思う。以前はそうでなかった。八場ダム反対の時は彼の言うとおりだと思った。歯切れの良い明確な言葉だったから信用してたら、あっさり引っ込めた。彼の様な人物が、、、この時点ではまだ彼に期待するところがあった。
税外収入をめぐっての発言も実現には不安を抱かせる物で有り、政府・与党で孤立を深めており、これで目標を達成できなければ、、また口先だけかと思った。
集団的自衛権行使を容認すると言った彼は政権政党である民主党の政調会長だ。
オオカミ少年じゃ無いけれど、明言とその結果が裏腹な事に
なると、不信感が募る。そして思い返してみると、今までの彼の言葉には非常に危うい物を感じる。また裏切られるのでは無いか。期待の大きさの裏返しはその分失望感を増幅する。

結局はお粗末な政治家のお粗末な発言だ。それを信用した方が馬鹿だったと言うことになる。そして彼は僕の信頼を失った。期待しただけに失望感も大きい。
今では「言うだけ番長」それは彼にふさわしいあだ名と思う。
期待した彼から裏切られた思いは、「言うだけ番長」というあだ名の適切さを実感する事になった。
彼の言葉を信用して、裏切られたのは僕だけじゃない。産経新聞の記者も僕と同じような思いをしたから、こういうあだ名を付けだのだ。それは同感だ。
だが彼は言う。産経新聞の記者が会見場に居るのは不都合だと。
彼は出席拒否の理由について
「事実に反すること、人をおとしめるための悪口を書き続けることは、ペンの暴力であるという思いを持っている」と説明した。
「馬鹿もん。どこまで甘えているのだよ。自分の発言には責任を持て。己の発言を振り返ってどこが齟齬を来しているか振り返れば直ぐ判るじゃ無いか」大勢の人が君の発言に期待し結果は「いうだけ」におわって失望している事実を直視して、何故もっと謙虚にならないのだ。


春よ来い 

2012年02月26日 | Weblog
春よ来い 12/02/21 6,210位 / 1,687,675ブログ中

今年の冬は、寒さが厳しかった。北の地方では、まだ丈余の積雪だ。
今日は如月も20日。
久しぶりに寒さが緩み、早春の陽光が、地に満ちている。
ポカポカ、キラキラ輝いて、過ぎゆく風のささやきにも早春の声を聞く。

春、ものをみな芽吹く時、自然界は動物も植物も、命のすべてが新しく輝く。人間とて、同じ。女も男も、命の息吹を感じる。
春、それは、人生讃歌や早春讃歌が生まれる季節。

春よ来い、早く来い、歩き始めたミヨちゃんが、赤い鼻緒のじょじょ履いて、おんもにでたいと待っている。

私の命も、また、冬ごもりからから抜け出して、新しい命に衣替え。

言葉と行動

2012年02月25日 | Weblog
言葉と行動 6,617位 / 1,687,343ブログ中 

12/02/21

人は、言葉より行動の結果によって、説得されることが多い。
少なくとも僕は、行動によって裏づけされない言葉なんて虚しいものだと思っている。
その行動が、自分の命を失っても、他人の命を救う場合には、ほぼ無条件に敬意を表す。

近くは大震災の犠牲となられた、役場の職員・遠藤さんや中国人実習生、
20人の命を救った斎藤さん。
表面には出なかったけれども、他人の命を救うために、自分の命を差し出された消防団人、役場職員、警察官など。いつまでも顕彰されるべきだ。
そして、これらは、学校教育の現場では、自分や他人の命の大切さを教える生きた道徳教材に使える。

遠くと言っても、10年ほど昔の話だが、韓国の留学生・李秀賢さんが、新大久保駅で、線路に転落した日本人を助けようとして、列車に巻き込まれ、一命をなくされたことがある。
李さんの場合、韓国でも、話題になり、釜山の公園には追悼碑が立っていると聞く。
自己犠牲になって自らの命を失った息子を育てた御両親の態度の立派なこと。この親にして、この子あり、と僕は受け止めた。僕の場合とてもあんな風には行かない。
社会体制や状況が如何なるものであろうと、こういう種類の愛は、人類に普遍的に存在するものだろうか。そうだとすれば、時間空間を越えて、人類の歴史に、とどめておきたいものである。

ついでながら、当時の森総理大臣は直ちに現場に直行されたことも記憶しておきたい、

義理人情

2012年02月24日 | Weblog
義理人情 7,740位 / 1,687,028ブログ

芸能界の人間が義理人情に厚いのは、彼らは苦しみの中にいて、助け合いの精神によって、我は生かされ、我がまた、人を生かすことを身を以て知って居るからだろう。それは心の底に流れる水脈みたいなものである。

船村徹さんの本(歌は心で歌歌う物)や、遠藤実さんの本(涙の川を渉るとき)を読むとき、彼らの心の中に流れる厚い人情を感じる。
義理がすたれば、この世は闇さ。
という歌の文句をしみじみ実感するこの頃である。

サラリーマンと違って、日銭稼ぎだから、しかも仕事は、お座敷がかからないと、どうにもならない事が常態だから、連帯感でもなければ、不安でやっていけない。という事情がある。ここに義理人情が生きているのだ。

芸能界に関係はするけれども、僕はそれでメシを食っているわけではないから切実な義理人情の世界に入って行かなくても、1匹オオカミでやってられる。本業を持たずに、作曲などしていたら、とうの昔に、日干しになっていたことだろう。

ギスギスしたひからびた人間関係が現代の主流になっている今こそ、義理人情という人間的な連帯感は人間関係をウエットにして潤いを与える物として、大切にしたいものだ。

百の議論より、一盃の酒 

2012年02月23日 | Weblog
百の議論より、一盃の酒   12/02/21 7,693位 / 1,686,703ブログ中

死は、どんなスピードで忍び寄ってくるか、だれにもわからない。
健康な人は「死は、遥か彼方のこと」として少しも意識しない。だが万人が例外なく、免れることのない死については、無自覚のままに日々を送っているが、これは正解である。理にかなっていると僕は思う。
死を間近に思う人は重病人や、高齢老人だけよい。

弘法大師が言われるように「生まれ生まれ生まれ生まれ生に冥し」
「死に死に死に死に死に暗し」だ。

つまり、人はどこからできて、どこへ行くのか判らない。要するに入り口も出口もわからない存在である。

だから、死を思うよりは、限りある命を楽しむというのが、人生の真骨頂だ。明日も知れぬ暗闇の手探りが人生ならば、百の議論よりは、一盃の酒だ。これに優るものは無い。

光市母子殺害事件におもう 

2012年02月22日 | Weblog

光市母子殺害事件におもう 8,656位 / 1,686,350ブログ

 18歳1カ月と最高裁が把握する限り、最も若い犯行時年齢で被告の死刑が確定する光市母子殺害事件。最高裁は20日の差し戻し上告審判決で、少年でも残虐な犯行を起こせば厳罰で臨む姿勢を改めて示したといえる。
裁判員裁判でも既に少年に死刑が言い渡されており、年齢が死刑回避の決定的な要因とならないことを印象づけた。と紙上ではコメントされている。
被害者の夫が言った
「事件が起こった段階で皆敗者である」という言葉は哲学的な響きを持つ
普通の正義感を持つ人間なら、死刑判決は当然のこととして受け入れられる。宗教家はまた別の判断をするだろうが、それは世間常識とは必ずしも一致しない。僕は社会正義の立場から、最高裁の結果重視の判断を支持する。
大体なぜ十八才で線引きをするのか。その合理性が見つからない。
顔を背けたくなるような残虐性のある犯罪に対しては、容赦なく厳罰を科すのに何の抵抗があろうか。年齢などは関係ない。弁護団は罪一等減じるためにあらゆる方面から弁護するだろうが、それで重大な結果を減じる事は出来ない。

被害者の夫本村さんの行動は理路整然として、その冷静沈着ぶりはまねが出来ないと思った。特に加害者の人権が守られすぎて、その分被害者はつらい思いを堪え忍ばなければならない不合理を指摘したが、全く同感である。悪いのは加害者で有り、被害者は声を大にしてその責任を追求しなくてはならない。それが正義というものだ。

今回の弁護団の荒唐無稽な弁護に対して、橋下弁護士はTVで懲戒請求を呼びかけた。世間の耳目を集めた凶悪犯罪だったから、請求が殺到したがそのために弁護士活動が妨げられたと言って、訴訟に持ち込んだ弁護士もいた。最低の弁護士達だ。世間の怒りが全く判っていない。世間知らずなんだ。
凶悪残忍殺人事件の弁護にドラエモン が出てきたり。ふざけるなと怒りが爆発する。そうでなくてもこの犯人に対して怒っている民衆の怒りに火を付けた。こういうことを主張すれば世間の常識がどう反応するかが判っていない。もし判っていた上でと言うなら、弁護では無くて死刑囚を作る漫画チックなテストをやったのではないかと深読みしてしまう。健全な常識では想像も付かないような論理を持ち出して、弁護してみたところで何の役に立つというのであろうか。これには心理学者も加担したらしい。
こんな常識外れの世間知らずのアホ学者を教授に迎えている大学のお粗末さにもあきれる。
僕はどうしてもこの不条理に対して怒りが消えない。また被害者への哀悼の情は消えない。唯々ご冥福を祈るばかりである。そして本村さんが言った言葉「事件が起こった段階から皆敗者だ」と言う言葉が耳からはなれない。」

将来の電力エネルギーが目指す方向

2012年02月21日 | Weblog
将来の電力エネルギーが目指す方向 5,351位 / 1,685,986

将来的(10年以内))に,原子力は段階的に全廃とする。それに替わる,新エネルギーの開発(水力 太陽光 地熱 風力発電を強力に推進する)
を推し進める。また既存の原子力を除く発電所の改変によって効率を高めるように技術能力を高める。

地域一社独占体制を原則、地産地消にして、同時に全国融通しあえる方式を作り国のコントロール下におく。
新規参入できる供給体制をしいて競争原理を導入する。
これによってコストダウンをはかり世界一高いと言われる電力料金の値下げをはかる。
そういう体制を作る際の重要事項は電力の安定供給である。勿論消費の方も工夫して省エネ技術を推進する。
原子力を使わなくてもこの程度のことなら日本の技術で十分やっていけると期待したい。が如何なものだろう。

10-49 東海村原子力事故を思い出す。

2012年02月20日 | Weblog
東海村原子力事故を思い出す。 3,784位 / 1,685,549

1999年原子力臨界事故で2人の命がなくなった。これは人為的に手抜きが事故の原因で原子力は安全であるという結末になって幕は下ろされた。僕はこのとき保安院や安全委員会の安全の根拠を心許なく思い、彼らは頼りにならないと不安を表明した。科学者として冷静な目で原因追及するのでは無くて、安全神話のお先棒を担ぐのが、僕のような素人目にも判ったからだ。
ここでもう一度原発とメデイア朝日新聞の記事を重ねて再び考えて見たい。安全委員会の事故調査委員会は安全神話や観念的な標語を捨てろと指摘した。それに加えて科学技術庁と通産省原子力安全委員会の体制不備を指摘・当時記事を書いた記者は「三月足らずで最終報告をまとめたのはまじめさに欠ける。安全神話を捨てろと言うだけでは原因の深層を掘り起こさない姿勢は問題がある」と指摘している。

当時原子力発電に国民の関心が持った高かったら、そして何よりも安全担当者、安全委員会や保安院が責任感を持って原子力発電の問題点を掘り下げていてくれたら、福島もここまで深い傷を負わずに済んだのでは無いだろうか。

ガレキ置き場の問題にしても学者や政府が国民から信用されていないから遅々として解決に向かわない。

斑目委員長は誤りを認めて謝罪したが、実際の所、責任を追及したら切腹物だ。未だにその任にあるとはどんな面下げて仕事をしているのか。ふさわしい学者か。菅総理との緊急場面でのやりとりなどを読んでいると人物的にこんなレベルなんかと軽蔑感が生まれる。
こんな人物の誤った判断で福島県民は生活を台無しにされた。
悔しい限りである。加えて原子力については東電の方が技術力も学問的知見も、また経験的にも政府関係者よりは上だと聞く。今の日本の原子力行政は、生徒が先生を指導するようなものだ。滑稽では無いか。

10-50睡眠薬

2012年02月19日 | Weblog
睡眠薬

不眠症になってから、ずっと睡眠薬を服用している。もうかれこれ10年近くなる。昔の睡眠薬とは違って、近頃の薬は安全らしいが、自分の素人判断で薬物療法をすると怖いので、医師の指示に従ってのむことにしている。

不眠症の症状には色々あろうが、僕の場合は寝付きがすこぶる悪い。何もしていないから特段気に掛かるような物は抱え込んでいないのだが、入眠するまで時間が掛かる。この間のいやな気分は名状しがたい。
薬を飲まないで、と頑張ってはみるが、寝付かれないままに朝を迎える。こんな時は、気分がさえなくて、身体はだるいし、頭はさえないし、一日が無駄に過ぎていく。

自己暗示によって治らなものか、色々試みたが、長続きしないせいか効果は無い。やはり手っ取り早いのは睡眠薬に頼ることである。
自分の身体の事ながら、自分でコントロール出来ないのは何としても歯がゆい。
たまには短気を起こして、不眠と戦うようにする事も在るが、結局の所は生活改善だけではどうにもならない。

夜眠れないこと。これはホントにつらいことだ。ある情報によると高齢者はこうなって当たり前と書いてある。そう思いたくないし、凡人はそう悟れない。自分の事しか判らないが、同類項は大勢居るのでは無かろうか。

即効性の薬だから直ぐ寝床に入ればいいのだが、夜は頭がさえるので
書き物をしたり本を読んだりして、神経を高ぶらせるから、薬効が切れた頃に、布団に入る習慣が出来てしまっている。もう一度飲み直さなければならない。馬鹿なことをするなーと思う。そうは思いつつも毎晩これの繰り返しである。

60兆の細胞7-20

2012年02月18日 | Weblog
60兆の細胞 6,839位 / 1,684,888ブログ中

全国の自動車保有台数はなんと約7,915万台(H18.8月)
このうち毎日走っていると思われる車は6000万台くらいだろう。
6000万と言う数字で思い出すことがある。

尊敬する京大総長の医学博士故平沢興先生は次のように述べておられる。
「人間の身体は、60兆の細胞から成り立っているが、現在走っている車の故障や事故数と比べると、何と精巧に作られていることだろう。車の故障や事故数なんて比べものにならない。人体はそのくらいうまく作られている。それはある種の不思議である。その不思議に感謝して、今日も明るく喜んで生きよう 。」

先生はこのご自身の見解に自信を持っておられた。その自信に裏付けされた確信に満ちた生き方は、その言動を通して多くの人に感銘を与えた。
僕が先生と出会ったとき先生は八十才を越されていた。
聞くところによると、奥様を先に亡くされ、またご自身は大腸癌の手術をされ、携帯型便器を身体にくくりつけて生活しておられた。慰めようも無く先生と握手したが、その手は温かくまた力がこもっていた。

先生は解剖学では世界的な権威と聞く。高名な学者であるにもかかわらず、常に目線は庶民の我々目線で、話されたがその話の内容(人生訓とでも言ったら良いのだろうか)は何時も僕の心に暖かい滋味あふれる風を吹き込んだ。

インフレ・ヘッジ

2012年02月17日 | Weblog
インフレ・ヘッジ 5,959位 / 1,684,562

スーパーインフレが起こった場合、何を頼りに財産保全をしたら良いか。
確かなことは、いったんスーパーインフレが起こってしまえば確実に金の値打ちは下がる。思いつくものとして
金、不動産 貴金属宝飾類、 美術品などと今のうちに交換しておけばいい。
もし外貨でヘッジするとすれば、思い浮かぶのは$である。
$といえば、海外旅行するときにチエンジした。その$がインフレの時に役立つ。
国債が暴落したとき、円安になる。たとえば1$=80円としようか。円安になるということは、1$交換するともらえる円は多くなるということである。1$は100円かもしないし、1万円かもしれない。とすれば$に変えておくと差益が出てヘッジの役目を果たすのではないか。円も$も暴落すると言うことは考えられないから、単純に考えると、財産保全になると思う。
ここまで考えを進めたときに、$にチエンジできるような金があるのかと自問自答したら、自分の愚かしさに気がついた。
$にして保全するような財産は我が家には少しもない。
そこへ思いが至ったとき、考えるのがあほらしくなって、そんな遊びのような夢物語をつづける気はどこかへ消えて無くなった。     

経済成長について思う

2012年02月16日 | Weblog
経済成長について思う。 5,688位 / 1,684,257ブログ

今まで経済成長しか知らなかった。幸福は経済成長がないと実感できないと思ってきたが、ブータンの国王来日以降、幸福って金がなければ手に入れることが出来ないのだろうかと疑問に思うようになった。

折しも低成長を受け入れる考えと、経済成長こそが国民を幸福にすると考える二つの潮流があることを知った。今まで成長神話を無条件に受け入れてきたから、質素倹約幸福型とはかなり距離がある。しかし物が豊かになって以降の人心の荒廃ぶりを見ると、金じゃないなーと実感する。

端的に言えば、幸せは金がなければ手に入れることが出来ないのか。そんなに豊かでなくても幸福感は味わうことが出来るのではないか。
こういう観点からもう一度現実を考え直してみると、成長戦略は神話に思えてきた。

肝心なことは実質的に国民が中流でも最高の満足感を得られ、それが幸福感に結びつくことが大切なのである。人口減少、高齢化、経済のグローバル化などにより、戦後の経済成長の延長線上では、もう物事を考えることが難しい状況になっている。

日本の現状を見るに、世界第二位の経済大国になりながら、自殺数は3万人を超え、借金がが1000兆円をこえる状態で国民全体の幸福などあり得ない。
だから経済成長をしないといけないという意見も生まれてくるが、足るをしってそこに幸福を見つけることの方が現実的ではなかろうか。
というのは実績として経済成長を遂げた後の今が、国民の生活実感なのだから。大多数の国民が現状を幸福と言うより不安感にさいなまれているからだ。


共生き

2012年02月15日 | Weblog
共生き 5,558位 / 1,683,936ブログ中

人間は自然の中に生きている、ということは自然の法則からは免れない。
自然の原則は1,適者生存 2,競争原理です。弱者はいつも破壊されます。
地震がそのよい例です。絶滅種もあります。 しかし、何事も自然のまま、あるがままでよいというなら、文明の進歩は必要ありません。
歴史を振り返ると、生命の生存に関しては、人智の及ぶところが大きい。これこそ人類の進歩だとは思うが、人間中心主義に陥ってはいけない。常に謙虚に自然の法則を顧みて、人類の歩む道を選ばなくては。共生きの精神を忘れずに。競争原理もほどほどに。
こういう精神があれば、リーマンショックは起こらなかったでしょう。
競争原理だけで競い合い、それが適者生存だと豪語したら人間の歴史の進歩も英知も何の役にも立たない事になる。