日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

気性 と哲学

2008年11月30日 | Weblog
気性 と哲学
一国の命運を左右するような重大事項の決定をする際には、論理の必然的帰着を求めるのは言うまでもないことだが、価値の判断や選択には必ず気性と、哲学が伴うものである。

それゆえに、その人の気性が温和なものなのか。激昂形なのか、彼の哲学はいかなるものか。その決定に影響を及ぼすものと して計算に入れておくべきである。

人間とは

2008年11月30日 | Weblog
人間とは081130

清く正しく、生きれば。人は幸せになれると思っている人が多いが、それは、短見というものだ。

と言うのは、人間は神的存在であると同時に体内にまだ、野獣的部分も持ち合わせているからでもある。野獣のような部分を残しているのであるを
清く正しく と言うのは、神的存在の部分を満足させるが、我々人間の生まれ故郷であるところの野獣性は満足させるものではない。それだけに、全身を包み込むような幸せ感にあふれることはないのである。

リタイアリンクルーム

2008年11月29日 | Weblog
リタイアリンクルーム

インド大陸の中心から見るとカルカッタは北東にあたる。日本では北東を鬼門といって人は避ける。インドの鬼門にあたるのがカルカッタである
 この鬼門は私がいつもインドへ入国するときに利用する所である。
バンコク空港を経由してインドに行くには最も入りやすいインドの入り口である。
 
ところが僕が初めてインドへ行った時の最初の玄関口になったカルカッタはすこぶる印象の悪いものであった。前回の経験によるとこのカルカッタだけはろくなことがなかった。両替ではだまされいるは、タクシーに乗れば途中でほっぽりに出されるは、カルカッタではろくなことがなかった。インドにたいして持っていた尊敬の念は一辺に吹っ飛んだ。

お釈迦さまの出た立派な国民からなる国だと尊敬の念を抱いていたのに。僕の持っていた憧れは音をたててくずれさった。それもわずか30分たらずの間に。
そういうわけで,あれ以降、インドを旅するときには,僕はまず第一に厳重に自分をガードをしなくてはならぬと緊張する。

ニューデリーには朝6時についた。早朝だったのでコンノートプレスまで歩いた。僕はここからお目当てのホテルへ電話をしたら、空室はあるという。これでまずは安心した。
 そこで、大通りからは少し入ったコンノートプレスの旅行代理店に行き、ホテルもチケットも一緒に頼んだほうが便利で安あがりだと思い、この代理店を通じて先程のホテルに電話をかけてもらったら満室だという。

ものの1分もたっていないのに満室になるとはおかしい。そこで僕は電話を代わり、たった今空室があるといってじゃないかと抗議した。ところがフルの一点張りでらちがあかない。これはおかしい。何かがおかしいと僕は疑念を持った。つまり業者とホテルは後ろで結託しいるのでは?という思いが頭をかすめたのである。
 
案の定代理店はあのホテルは満員だから、こちらでホテルを紹介するという。さきほどのホテルでは1泊200ルピー、ところがこの業者の紹介しようとしているホテルは600ルピーだ。仕方がないから僕はしぶしぶこのホテルに泊まることにした。そうは決めたものの後味はすこぶる悪かった。

ホテルにつくと、そこには僕と同じようなケースで送り込まれた日本人の先客があった。
お互いに話をすればするほどワンパターンのやり口でだまされているのがわかった。銭金の問題ではなくて、これは悔しかった。
なにも旅行代理店に頼むんじゃなかった。ホテルぐらい自分で予約すれば済む。ただそれだけのことをしなかったばかりに、自分に腹が立った。

「畜生。」彼らの罠にひっかけられた。これは悔しかった。
金よりもなによりも、だまそうという根性に対して、又だまされた悔しさに腹が立った。散々インドの悪口を言って、日本人同士慰めあったが腹立ちは容易には消えなかった。カルカッタで2つ、ニュデリーで1つ、いやな思いが僕の心に暗い影を落とした。

ダムダム空港のリタイヤリングルーム
 

朝の出発が早いのでリタイヤリングルームを使わせてほしいと僕はエアポートのサービスマスターに行ったら、それなら国内線空港へ行けという。10キロのバッグと10キロのリュックを背負い500メートルほど離れている国内線空港へ行ったら、係りとおぼしき職員が出てきて一応の説明はした。しかし妙にアウトサイドという言葉が耳についた。煎じ詰めて言えば、空港近くにはゲストハウスがやすくてたくさんあるからそちらの方を案内をしようというのである。

僕はとりあわないでとにかくリタイヤリングルームだと頑張った。そうしたら、係りのところへ案内するからここで待っていろ、といって姿を消した。しばらくしたら 先ほどの男は2人連れでやってきて
「この人が係りだ」という。
 
僕は先ほどと同じ説明をして、リタイアリングルームを使わせてほしいと言った。彼は黙ったまま腕組みをして考えていたが、「パスポート」といった。
僕は腹巻からパスポートを出して彼に渡した。彼は腕を組んだままそのパスポートを見ていたが、インドのビザのページを見て
「1カ月もインド国内を旅していたのだから、宿はこの近くのゲストハウスを紹介する」という。

なんだ。これじゃあリタイアーリングの担当者ではなくて、どこだか知らないがゲストハウスのボンビキじゃないか。僕は腹の中でむっとした。
その手口はニューデリーで旅行代理店が紹したホテル紹介のシステムに実によく似ている。紹介料をせしめるあのやり口だ。
こんな奴にやられてたまるものか。僕はゲストハウスの件については一切受け答えをせず、この空港の宿泊施設を利用したいの一点張りで、他のことには耳をかさなかった。
2人の間にはしばらく険悪な沈黙が流れた。

僕は改めて「何とかしてほしい。ゲストハウスはノー・サンキュウ」だといった。
彼は「それじゃ仕方がない。他を探してくれて」と吐き捨てるように言った。  最悪の場合空港ロビーで徹夜しても良いと腹を決めていたので、
「おまえなんかにたのむか。馬鹿もん。」と捨て台詞をはいてオフイスを出た。

僕は国際線空港の方へ歩いていった。そうしたら今僕の相手をしていた職員が走るようにして僕の後を追いかけてきた。
600ルピーの宿賃を500ルピーするという。僕はいらないと断った。
彼はなんとかゲストハウスに泊まるように僕を説得してくる。
僕は意地になって反対した。それでもなお彼は食い下がってくる。

「分かった。それじゃ空港までの送迎のタクシー代はサービスする。それでどうか。」僕はやはり断った。
「あなたは私の親切な申し出を断っているが、それでは一体今夜どこで泊まるつもりなのか。」と半ば脅しを含めて言ってきた。僕は空港ロビーで一夜を明かす覚悟を決めていたので「国際線の空港ロビーで夜更かしでもするよ。」と笑いながら答えた。
「なに?国際線のロビーで夜明しすると?。それはできないよ。カルカッタでは夜明かしなんかしてみろ。すぐさま荷物はなくなるよ。あるいは悪い奴に脅されて金品を巻き上げられるのがオチだ。」と又脅迫めいたことを言う。
「ご親切にありがとう。とにかくここで泊まるよ。カルカッタ空港でね。」僕は顔色を変えることもなくそう答えた。

いやな奴らだ。空港職員なら日本で言う公務員じゃないか。品位やプライドのかけらもないじゃないか。
前回インドに来た時に僕はインドでは何が起こるか分からないということを強く感じた。せっかくスケジュール通りに、ここまでやってきたのに、チケット通りの飛行機に乗れないで、バンコクから関西空港までのチケットまでパーにするのは、我慢のならないことであった。

仕方がない。今夜はロビーで徹夜しよう。僕は一時間おきに目がさめたがうつらうつらして夜明かしをした。物も盗まれなかったし、悪い奴に脅かされもしなかった。
それにしてもだ。日本ではまずこう言う手のだましはしない。同国人だからということもあろうが,戦後の混乱期を除いてこのような公務員はいないと思う。

貧しい国民性なのか,それとも価値観や風習が違い生活の仕方がまるで違うからこんなことになるのだろうか。東南アジアを一人旅してもインドのような思いをしたところはどこにもない。たとえば貧しさだけを問題にするならば、ネパールの方がはるかに貧しいと思うが、カトマンズではこんな思いをしたことがない。貧しいからやることなすことみな貧しいというのは当たらない。

やはり国民性か。だとすれば、例え釈迦のような大聖人が出なくても、礼節をわきまえた日本のほうが、はるかに優れている。僕は自画自賛した。とはいえ僕は本当のインドを知らない。どこか地方の村に行きそこで村人と交流をしたときにはホントのインド人を知ることになるだろう。

象に触った盲目の人が象とは丸い柱のようなものだと言ったのは全体像を言い当ててはいないものの、彼が触った範囲でまるい柱というのは当たっている。と同様に私が接触したインド人、たとえばリキシャワーラー、鉄道マン、旅行代理店、レストランのインド人を信用しないでうさんくさい輩と見るのも当たっていると思う。
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アダルト

2008年11月28日 | Weblog
アダルト

パンチップは正面から入ると、右側にあるのが上りのエスカレーターである。逆に左にあるのは、下りのエスカレーター。

この建物はかなり大きく、2階は、食べ物をクーポンで買うシステムの食堂がある。

ひとわたり 、見学し、建物の奥の方へ入っていった。そしたら、急に、スリムな美人が、僕に向かって、何事かいった。

何事かと思って、彼女の後をついていくと、人気のない。奥のほうの部屋へ誘って、急にセクシーと、いった。
何のことか分からないが、こんな大きなビルの中で、僕は不安になってきた。さては何か図られたか?

彼女は、店舗の中に入っていき、多くの人を招き入れて、ドアを閉めた。

一体何が起こるのだろうか。僕はかなり不安になってきたが、まさか女のことで、刃物を持ってはいないだろうとは思った。

バンコクで、はやりのニューハーフと言うのはこれか、そんなことも一瞬、頭をよぎった。

彼女は、DVDのスイッチを入れ、リモコンで、ある場面を入れると、それは、無修正のアダルトものであった。

彼女が言うには、今日は、大サービスで、1枚200バーツする所だが、5枚で、500バーツでよいという。

美人の姉ちゃんに、絡め取られて、僕は、500バーツ札で支払って、セクシーとやらを5枚受け取った。

タイではDVDを見ることはできなかったが、日本に帰って、我が家のDVDに入れて、みると、なんとそれは、主演女優が日本人ばかりである。きっと日本で仕入れたこの手のDVDをコピーして、タイ版DVDとして日本人に売り付けているのだろう。秋葉原でも、日本橋でも、裏通りでは、売っているらしいが、ついぞ、ご縁がなかった。

さてかったまではいいけれど、これを持ち出す時と、通関のことを思うと、どうすれば良いか。気になった。
没収する。と言うのなら、喜んで差しだす。イヤなのは、罰金である。求めて、かったのではなく買わされた感覚が、あるのに。
日本の税関を通る時には、胸がどきどきした。
たぶん没収か、罰金程度のものでも、税関に見つかれば、格好が悪い。

パスポートを見せると、職員は、よく外国へ行かれるのですね。何かあるのですか。と尋ねた。
僕は自分が作曲家で、タイにあるワットアルンいう大きな寺の仏塔を作詞作曲するために、何回もバンコクを訪れていることをかいつまんで話をした。「今回もそれでいかれたのですか。」という話だけで、税関は、くぐりぬけた。

たかがアダルトのDVDににすぎないのだが、持ち込み禁止品を持ち込むということは、どれほど胸が、どきどきすることか。ほんとにつまらんことをしたモンだと後悔した。

年賀はがきを書く季節

2008年11月27日 | Weblog
わずか200枚にも満たない年賀状の中で、今年はなんと10通余りが 喪中に付き年始のご挨拶を差し控えます。という内容だった。ほんのささやかな市民生活を営んでいる。私にとっては、それは驚くべき枚数だ。

星霜は移り、人は、去っていく。ちょっぴり寂しくなった。

元日を迎え、なによりも楽しみなのは年賀状である。1日1回しか配達されない年賀状が、待ち遠しくて、何回となく、郵便受けを覗く

配達された年賀状を手にすると、年賀状を下さった方々の体温の温もりが伝わってくるみたいだ。

私はこの1年親しい関係にあった方々に、つとめて、年賀状を出すことにしている。年末のギリギリにおしつまった20日過ぎ、年末の慌ただしさに、落ち着きを失いながら、年始のあいさつし、ほかに近況など、一行書き添えるのだが、相手のことを思い返しながら使わ付け加えるこの一行には、心温まる思いがする。

開けて、1日元旦。私の年賀状は私に代わって、友人、知人に、先輩、上司、恩師に挨拶をしてくれる。さて、どうだろう。先さまはどんな思いで私の年賀状を見てくださっているのだろうか

元日に、手元に届くというのは、おそらく去年の20日前後に出して下さった年賀状に違いない。こちらが出すから、返礼に出したのとは、訳が違う。

先方様は去年のうちに、年賀状を私に、くださっているのである。つまり、こちらの都合に関係なく、挨拶をしてくださっているわけだから、年賀状をいただいたのに、こちらからは出していないわ、では相済まぬ気持ちがして、何となく気まずい思いがするのは思い過ごしというものであろうか。

年末に、年賀状に宛名をかかなかったということは、何だかんだ言っても、はっきり言えば、先方の意向に関係なく、今の私には、人間的には、疎遠な関係にある人たちである。常日頃から、心を通わして会話している人や、お世話になったと思ってる人には、自然に、筆が進むから、こちらから宛名を書かなかった人は、それだけのつながりしかなかった人というのが私の考えである。

だがしかし、この論法ですべてが割り切れるか。というとそうもいかない。例外的なものはいくらでもある。目下思いを寄せ合っている恋人同士ならば、はがきのスペースは、小さく感じて文字を小さくして沢山の文字が書いてあると、好評ということになりはしないだろうか。あるいは、秘密の恋を家族に知られたくないために年賀状を出すのをわざと差し控えるなどということはありはしないだろうか

ともあれ、去年まで続いた人間関係が今年の始まりに当る元日に、心の中で再び温められて、さらに新しい人間模様に染まっていくというのが、一般的な庶民の生活ではないだろうか。年賀はがきには賞品が当たるという前に、そんな楽しみがある。

1枚10円だったはがきの1枚50円になった。250枚出せば1万円が飛ぶ。年賀はがきともいえぬご時世だが、私は心を尽くして年賀のあいさつだけは続けたい、選挙目当てに政治屋から送られて来る年賀状とはわけが違うのだから。


2008年11月26日 | Weblog


墓と言えば思い出す事がある。
まだ学生の頃、夜中の2時過ぎに墓場へ行った。
酒でも飲んで酔っぱらっていたのだろう。友人5人ほど連れだって、染井墓地に行った。何の目的で?何のために夜中に薄気味悪い墓地等へ行くのか?。今から考えると当時のことは行った事があると言うくらいである。

僕にとっては偶然だったが、芥川龍之介の墓があった。知名度とは格段の差のある小さなというより、小さな石塔が1つあるくらいで、素朴な墓だった。
ひょっとして5人のうちの誰かが 芥川龍之介の墓を知っていて案内してくれたのかも知れないが、その辺は定かでない。

夜が明け始めて、あたりがぼんやり薄明かりになると、、酔いもさめてきたので、墓地の中にある空き地で走り幅飛びの競争をした。
それから学寮へ帰って寝た。目が覚めたときには夕食の食堂がオープンしていた。

墓について言えば我が家の恥をさらすことになる。昔は、今もそうかも知れないが、先祖の墓は長男が守るものと言うのが通り相場だった。我が家も父が長男だから当然守ることになっていた。そのためか遺産相続の半分は長男がもらうような決まりがあったとか。たいした財産ではなかったが、それでも夜遊びできるくらいの相続分はあっただろうに、墓を作る金は全部夜の遊びに使ったしまったのだろう。だからいざ墓を建てると言うだんになると、金がない。それで家族がもめだした。その感情的なもめ事のために、父の弟妹はてんでばらばらになり、いつも喧嘩をして生涯和解することはなかった。しかし祖父が死んで墓がないというのもおかしな話で、長男をのぞく他の弟妹達が猫足の墓を建てた。それにはご丁寧に、分家これを建てる と側面に彫ってある。長男がいながら、分家これを建つ、とは見る人が見ればおかしな事に気がつくだろう。僕は家の中の恥を表面にさらすようで、まこともって恥ずかしい思いがしている。
と言うわけで我々の世代では墓や相続の事でもめ事がないように、心がけたつもりだが、当世代でもやはりもめ事が起きている。先祖供養は決しておろそかにしているとは思わないが、墓にはお参りしていない。というのは墓を鎌倉霊園に求めたからである。折角墓を建てたのだから、墓参りをしたほうがよいと言うアドバイスが関東に住んでいる弟妹達から聞こえてくる。

常識では当然のことであるが、その気がないせいか、大阪からは墓参りが二日がかりになるので、そうそう頻繁に参るわけにも行かない。石塔は建立したものの、設置以来ご無沙汰である。
東南向きに建てたが、果たして周りはどうなっているのやら。なにしろ20年来維持管理費は納めているとはいうものの、墓参の方は全くご無沙汰である。まあその分毎日仏壇にはお経を上げているとはいうものの、こんな事でよいのだろうかと心配になってくる。
墓とは誰のためのものか。自分の為のものか?先祖供養の為のものか?
徒然草にも載っているが、100~、200年も経て訪れる人はなく 、月が通り過ぎるだけに成ることは目に見えており、今は都会の周辺地域に当たるがから、田畑には成らないだろうが、都会のど真ん中に成っているかも知れない。
先日大阪市内の中心地に有る有名寺院の墓地の値段を聞いてびっくりした。畳半畳の値段が500万円だという。これに石塔や周りの囲い石それに工事代を含めると800万円くらいらしい。この金額を前にしてつくづく考え込んだ。墓って一体誰のためのものだろうか?答えは見つからない。

奇妙な動機8-10

2008年11月25日 | Weblog
奇妙な動機

高級官僚の次官ばかりを狙って殺傷し、その動機を追及されると、35年昔に愛犬が保健所で殺処分されて、その恨みを晴らすために、元締めの厚生労働省のトップである次官を自分なりに天誅をくだしたと言うのである。
この動機を聞いて納得する人はまずいまい。
人は誰でもこの動機の説明を聞いて、納得できるだろうか。
誰でもおかしいと思うのが普通じゃないか。

知能程度は現役で国立大学の理工学部へ合格できる頭脳を持っているので、この動機が人々を納得させうるものではないくらいの見当はついているはずである。
僕の考えからすると、これでは3人の人間を殺傷する事の説明には成っていない。だから必然的に他に何か有るのではないかと疑ってしまう。

ある目撃証言によると女と二人ずれで来て、二人とも無言で、鍋をつつきその代金14000円の支払いは女がしたという。またその女は見かけ上は
30前の女であるらしい。

おまけに無職だのに、家賃は一回の滞りもなくきちんと納めているという。ここから先の事は報道でも新しい事実として、何もでてないから、わからないが、推測するに何か裏にありそうである。
その裏が何か?は、今までの情報を見る限りでは、何とも察しようがないが、金蔓があったことは推測できる。自己顕示欲の発露と言うだけであるまい。
現今厚生労働省でひっかかるのは、年金問題である。殺された次官は年金制度の立案者であり、それに不満を抱いた不平分子が短絡的に事件を引き起こしたというのなら、やはり、と理解できる部分もあるが、35年昔の愛犬の殺処分が原因になって、それがこの事件の動機だというのなら、到底人は納得しがたいだろう。
一般社会の大人の世界に住んでいると不合理、不都合、非人情などごろごろしていることは、日常茶飯事的に経験することで、こんな事が動機で
有るはずもなく、はなはだ滑稽に思える。
今後どんな展開があるのか知らないが、闇の世界の悪魔の差し金で有るよりは滑稽に見えても、これが主たる動機で有る方がまだ救えると思うのは僕一人だろうか。

説得するための条件

2008年11月24日 | Weblog
理、あるいは知によって、人を責め、人を従わせることは至難の業である。

攻めるばかりで、相手に、退路を用意しない場合はなおさらのことである。人を説得する場合には情が伴わなくてはならない。
人を説得するための条件

1,筋道を通す。2,感情に訴える。3,利を説く

人は誰でも 081123

2008年11月24日 | Weblog
人は誰でも 081123

人は誰でも、自分一人の歴史を胸の奥ふかくしまい込み、それを抱いたままで、寂しくこの世を去って行く。

そして、それは自分一人しかわからない歴史かもしれないが、自分一人が知る事実も、心の思いも死によって、すべて闇の彼方に葬りさられ、この世から消え失せて行く。

生活実感は所詮、自分一人のものなのである。

神から見ると081123、

2008年11月23日 | Weblog
神から見ると081123、

神から見ると良くても悪くても我々のやることは、自分一人分増えるだけではない。先祖や縁者や、自分が犯した過ちがある。

これを正すには人間の力だけではだめで、どうしても神仏の働きを借りる必要がある。

神仏に頼むということは、神を敬い供養することであり、そこにお参りの必然性が生まれる。

しかも、我々と先祖は遺伝子によってつながっており、これから逃げようがない。

閑話休題

「そりゃ君。老人ホームにはいるよりは、ラブホテルに入る方に努力せよ。生きて、生きて、生きて、生きまくれ。それが人生だ。それが神の思し召しだ」
というアドバイスを貰った。
勝手な理屈だけど、そういうもんかなと思う。

御殿のような構え081123、

2008年11月23日 | Weblog
御殿のような構え081123、

立派な門塀をめぐらして御殿のような邸宅を構えている人がいる。
下司は、その土地の広さをお金に換算して、さらに総ヒノキ造りを金に、置き換え、2度びっくりする。

しかし、これはこれまでのことで、これ以上のものでも無ければ以下のものでもない。

大きな部屋が幾つもあったら掃除が大変だろうと思うし夜など不気味にさえ思う。

私についていえば、大邸宅は全く不要。
家は心と体に安らぎを与えてくれさえすれば、それで十分。明るくて、ゆったりと睡眠を取れば、それ以上いうことはない、

お金のない人間が言うのも変な話だが、大邸宅に使うお金があれば、第1線で一生懸命がんばっているが、生活に困窮している人に対して愛の手をさしのべたい、と思う。


ゴキブリ天 081120

2008年11月20日 | Weblog
命の賛歌081120

最初に、ゴキブリの歌ができるかどうか相談されたときに僕は面食らった。

ゴキブリについていったい何を書いたらいいのか、皆目見当が付かなかった。この話があってから、かなり時間は、たったが、いろいろ想いをめぐらしているうちに、想いはゴキブリの生命力に行き着いた。

ゴキブリは、われわれ人類よりもはるかに、長い歴史をもって、この地球上に存在している。人間に比べるとはるかに小さな虫だけれども、その生命力たるや大河の流れである。

和歌山県湯浅町の海岸のすぐ横の公園には、魚介類供養塔が、ある。漁業者によって、命を奪われた魚や、貝類たちを供養しているのである。

ゴキブリの歌を作れるか検討しほしいという社長の申し入れは、ゴキブリ退治という、ビジネスをする会社にとっては、あたかも漁業者が魚介類をとって、生活していることによく似ている。

人間がその姿をいやがり、場合によっては害毒をもたらすこのゴキブリも、人間の側からすると、害虫であり、どうしても人間の身の回りから、姿を消してもらわなきゃならない存在である。
つまり、駆除しなければならない存在であるが、それはあくまで人間の側からの発想で、ゴキブリから見ると、人類は大敵である。そういうところの発想があるのかどうかは知らないがゴキブリを駆除する一方で、その魂を供養するという発想には共感を覚えた。
そこでさっそくゴキブリのために建てられた供養塔を見学し、現地の雰囲気を眺めながら、作詞した。

それは、駆除されたゴキブリの魂の鎮魂曲となった。が、なによりもその根底には、生命への畏敬の念があった。

この世の不気味で醜い現世での姿を捨てて、魂になり、この供養塔の前に集まって、供養を受けよ。と呼びかけた。

ゴキブリというと、人は、その姿や色や格好を、不気味がる。また、不衛生で、病原菌をばらまく。まさしく人間にとっては害虫である。人間の側からすると、確かにそうである。

その一方で、地球上の生命は共生であるというスローガンには、私は、共感する。

その一方で、ゴキブリを駆除することには賛成であるにもかかわらず、何か釈然としないものを感じていた。
その釈然としない部分を、供養塔を経て、供養するという、この会社の社長の考え方と、同調し解消しようと思ったのである。

なんの抵抗やためらいもなく、ゴキブリを駆除すると言う人も大勢いるだろうが、命という観点から、この害虫を眺めてみると、同じく命をもつものとして、駆除することだけが、人間に許された唯一の方法であるとは思えない。

やむをえず、駆除をしなければならない害虫であるが、その代わり、駆除された生命への畏敬の念ををどこかであらわし、鎮魂しなけらならないという気持ちが私にはある。

そういう気持ちを込めて、命の賛歌という歌を作って、ゴキブリ天像と名付けられたモニュメントの前で、この
「命の賛歌」と名付けた歌を捧げようと思う。





























彼は教師として081120

2008年11月20日 | Weblog
。彼は教師として081120

在職しているかたわらに、格安の女の置屋をかって、妻に経営させ、自らは自分の車を使ってポン引きをやっていた。

それがばれて懲戒免職になり、地方公務員の身分は失った。

だが、ほどなく彼は生まれ故郷で、市会議員の選挙に出て
当選した。今では押しも押されぬ議員先生である。

教師のなれの果てが市会議員で、先生と呼ばれる立場になったのだ。

人生とは、その人の心がけによって、どのようにも絵が描けるから面白いものである。

こんなケースをみると、人生とは面白いものだな、とつくづく思う。

心の健康を保つ方法 081119

2008年11月19日 | Weblog
心の健康を保つ方法 081119


1、自然(のリズム)に同調すること

2,神の芸術作品に触れて、心の中のモヤモヤを昇華させる。

3,体を動かす。人間も、動くものであるから。それが自然である。
  
  
  
  弥生3月の空の下に咲くはなの新鮮さよ
  
  レンゲ タンポポ 菜のはな ダイコンの白いはな

  遅咲きの梅 早咲きのソラマメ、エンドウ豆


いたずら好き 081119

2008年11月19日 | Weblog
いたずら好き 081119、

神様、創造主はいたずら好きである。人間を作る際に不平等という衣を着せていたのである。

金持ち 貧乏人 
幸福 不幸 
もてる人 もてない人 
美人 不美人
心がけの良い人 。悪い人
IQの高い人 低い人
性格の良い人。悪い人