日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

文化財・暁の寺

2009年03月31日 | Weblog
文化財・暁の寺
 チャオプラヤ河畔に建つ壮麗な石像寺院・暁の寺を見た。見事なもので材料・設計・建築など、すべてにわたって当時の権力がどんなものであったかよく分かった。つまり、文化的価値となって今は輝いている。
が、多くの人々の労力や場合によっては命の犠牲の上にこの建物が建ったのであろう。  
今ではこの石造建造物が文化遺産として金を稼ぐ。先人の労苦や余徳が時を経て今、子孫が受け継ぐ。しかし、これも現在残っているからそう言えるのであって、天災や人災で破壊されていたらどうなるのか。
文化とは労力や金をつぎ込み、その価値は幾世代も経てよみがえる。
 美しい暁の寺を見てつくづくそう思った。

はっきり違う[昭和の歌・平成の歌]

2009年03月31日 | Weblog
はっきり違う[昭和の歌・平成の歌]
 
s昭和の初期から高度成長を遂げる昭和40年代までの歌は、詞を味わうメロディがついていた。詞は立派な詞で、それ自体中味があった。それに比べて平成の歌はリズムやサウンドが中心でメロディの美しさがない。詞は詞というよりは単なる言葉の羅列に過ぎない。そんな音楽状況の中で歌番組がどんどん減った。みんながそっぽを向いたからである。人々は自分の過ぎた生活実感へのノスタルジアを感じさせない平成の歌に飽き飽きして見切りをつけたのである。演歌についても演歌メロディ群に変わり映えがなく、出尽くした感じがあり飽きがきて、それが歌番組を少なくする理由にもなっている。つまり、現代は歌離れが起こり人々はカラオケで自分の好みの歌を歌う方向に流れている。

答えが違う

2009年03月30日 | Weblog
答えが違う
 
どういう立場から見ているか、判断しているのか、知ることが大切である。
例えば、阪急電車の窓から淀川を見るのと、大阪空港着陸を目指して高度を下げている飛行機の中から淀川を見るのとでは同じ淀川を見ても答えはおのずと違ってくる。つまり、人は自分の判断を下す状況を正しく認識していることが大切なのである。

状況が正論を超越

2009年03月30日 | Weblog
状況が正論を超越
 
「金をくれ。」「金が欲しければ働けば良い。」
こんな問答が通らない(正論とはならない)場面が現実にはある。
たとえば今回の金融危機二反を発する経済不況の派遣きりみたいに。
置かれている状況が正論を超越してしまっているのだ。
だから、こんな時に正論で諭すのは無益なことである。 

受け身から積極的参加へ

2009年03月29日 | Weblog
受け身から積極的参加へ

 近ごろのTV番組はみる気がしない。なぜか、どんな原因があるのか、考えてみた。
近ごろのTV番組は作る側の論理と、自分のそれとがどうもずれているらしい。
だから、受け身的に受け止めると自分に合わなくて、面白くない。

じゃ一体どうすれば
いいのか。積極的に参加しようと言う努力が必要である。自分の考えをだす一方で他人の考えも、じっくり理解するように努める努力が必要である。

自分が疎外感なく、他人に同調して生きて行くためには、その努力が不可欠であると

思うが、年のせいかそこまでしてTVを見なければならないのはおっくうになる。
それにしても近頃の番組はおおよそ面白くないと思うのは私一人ではない筈、TV局の番組担当者よ、もう少し考えてほしい。


心構え

2009年03月29日 | Weblog
心構え

ー・ 俗に居て、僧を忘れず。
ー・賎に居て、貴を忘れず。
ー・ 貴に居て、賎を忘れず。
ー・ 市井にあっては、聖を忘れず。
ー・ 聖にあっては.市井を忘れず。

感謝

2009年03月28日 | Weblog
感謝

1、人生の目的は、幸福感に包まれて暮らすことである。
2、幸福感とは、過不足なく心が満たされて、心がほのぼのとした情感に包まれる     ことである。この時の心理状態は満たされて、いうことがなく何物にも感謝したくなるような心境である。

3.感謝とは「ありがたい」と感じている時の心理である。

4、この世の中で一番あいがたいことは、親の恩である。 無私、献身、我が子の生命を守り育てる為に、親が払うわが命さえもいとわない自己犠牲は何よりも大きいものあり、その愛があるからこそ、今の我が存在し得るのである。

5、子は親に、親はまたその親に,・・ ・・・と塑っていくと神仏にぶち当る。、
だから感謝の対象は直接的には親であろうが、それが一般化されると神仏ということになる。
祈り→幸福→感謝→神仏、親


            

異邦人

2009年03月28日 | Weblog
異邦人

20年前は50才、今は70才を通り過ぎた。
気がついたことがある。
目の前に広がる風景が全く変ってしまった。特に人間関係が変った。 今は行き交う人は皆異邦人に見える。また自分が(何物かによって)大衆から 疎外され、切り離された存在であるような気がしてならない。
こういう感覚は今迄にはなかったものである。というよりは序々に進行して 今みたいなものになった。.これは老化現象か、退化現象か、それとも現在の自分がそう見ようとしているのか。、いずれにせよ、過去の像とはちがい違和感が目立ち、異邦人という感覚から解放されずに困っている。                確かに加齢すると、風景が変わる。


味う

2009年03月27日 | Weblog
味う
良い香りは鼻で、よい味は舌で、きれいな花は目で、美しい音楽は耳できゝ味う。
ところで幸福(感)は一体どこで味うのか。肉体なのか、それとも心なのか。

中味はさまざま

2009年03月27日 | Weblog
中味はさまざま

魚を例にとるとわかりやすい。
イワシは魚である。アジは魚である。タイも魚である。魚といえば、イワシもアジもタイも魚である。
ところが同じ字で、同じ読み方をしても、 その表す中味は様々である。
イワシはアジとはちがうし、アジはタイとはちがう。
それは人間が価値付けをして区別したり、 差別したりするので、違いがでてくるというのではない。人間の価値付けとは無関係に、個有の種として差異は存在する。
それでは、魚とは何を意味するのか。それは種の最大公約数的なものを意味し、その概念以上の何物でもない。


アレンジ8-29

2009年03月26日 | Weblog
 アレンジ

音楽センスとテクニックのある人で、ちよっと器用な人なら、アレンジャーになれる。 ところがアレンジャーになれる、あるいはアレンジが出来るということと、アレンジした作品ガよりよいものに仕立てあげられているかどうかは別問題である。
メロデーライターが作った曲を作者の魂にまで塑ってその内容を理解した上でそれを引きたたせるようなアレンジがなされているかどうかが問題である。
この辺までのことを考えると、たかがアレンジャーといえども人格的要素が大きく影響してくる。
メロデーのもつ気品を台なしにするか、それとも最高限度に輝かせるかどうかはセンス以上に、人格[価値感]が、深くかかわつてくる問題である。

老令時代

2009年03月26日 | Weblog
老令時代

人生八十年時代になった。寿命が延びて結構なことである。我々世代が、恐らく第一期生であろう。そこで考えた。人生八十年というのなら八十年にふさわしい生き方があって然るべきだ。つまり、心身両面にふさわしい新らしい生き方の模索をすることである。
漫然と生きるのではなくて、生理的にも、心理的にも、生きいきと生きる方法を見つけ出すことである。 それには、あらゆるものに優先して肉体的健康が前提される。つまり、健康があって初めて肉体の自由が確保される訳でこ、のことを決っして忘れてはならないのである。

V2  2連覇

2009年03月25日 | Weblog
V2  2連覇 090325

勝負ごとは一切嫌いな性格で、春場所の期間中、毎日毎日相撲が放映されている相撲には辟易していた。プロ野球とて同じ。パ・リーグだの セ・リーグだの言われてもチンプンカンプン。
興味のないものにとっては、スポーツのすべては一陣の風にしかすぎない

しかし、今日のWBCは違っていた。テレビに、目を釘付けにされたばかりでなく、胸がどきどきした。
1球1打つの様子もさることながら、延長戦にもつれ込み、2アウトからイチローがセンター前ヒットで、2点を加えたときは、胸がキュンとした。

期待。 祈りにも似た期待 。それが実現して、目に映ったのは、彼のヒット。

やったー。さすがイチロー。思わず叫んだ。

ダルビッシュが最後の空振り三振を取った時の姿は、今も目から離れない。

韓国に勝った。間違いなく、2連覇だ。日本野球連続世界一。

イチローの口からどんな言葉が語られるか。インタビューは待たれた。
延長戦のヒットは、「神様が降りてきた。」と彼は言った。そうだとも。
全く同感。

あの時、あの場面で、夢のようなことを実現したのだから、まさに、「神様が降りてきた。」としか思えない。

今日は、はらはらどきどきで、興奮しながら野球を見た。彼らの凱旋帰国の姿をテレビで見たいが、そうかといって、明日から野球をみたいとは思わない。
もともと嫌いである。

アッ。忘れてた。日本軍の皆さん 、強い侍たち。本当におめでとう。

皆さんの日々の精進のおかげで、こんなにも興奮する画面をいながらにして、楽々と見せてもらってありがとう。

最後につけ加えれば、韓国もよくやった。2位になったけれども、韓国野球は、選手軍の年齢を聞いて、いずれ世界1になる日が来るだろうと思う。

日本国民の一人として、心からそう願う。

イチローの言葉には深い意味がある。彼は言った。

苦しみの次に、辛さがやってきた。その後に、普通の痛覚では、感じない痛みが、あった。さらに、心が折れそうになった。心が折れた。そういう場面もあったが、壁を一つ乗り越えた。深い谷間から、山の頂上に、今立っている。

なんと含蓄のある言葉だろう。僕には実感できないが、こういう時点まで、彼は、深くて大きい体験をしたのだ。生半可な言葉ではない。心にしっかり受け止めておこう。

j情念の世界

2009年03月24日 | Weblog
東京都庁の建物はち密な計算に基づいて建てられたものだが、まえば、我々は建簗美として情念の世界で評価する。つまり理性や知性は出来上ってしまえば 下にか<れてしまい見えない。
表面に現われている建物の外観から受ける印象で評価する。それこそ情念の世界である。

男女陰陽

2009年03月24日 | Weblog
男女陰陽
 
男は男になくて、しかもそれに憧れている何かを、女にもとめている。もし女が男と同じもの、もしくはごく似たものしか持ち合せていないとするなら、男は女を求めないであろう。女だって同じことである。
法的な面で男女平等は大いに結構な話だが、生活していくうえでは役割分担(得意な分野〉がある程度分かれてくるのは仕方がないことだ。、
 男が女に求める究極のものは母性であろう。その母性を女が失ったら、あるいは持ち合せていないとすれば、その女は男にとっては必要ではないのであろう。それは女が男に求める父性だって同じことがいえる。
男と女は陰陽の関係であってどちらか一方だけでは、人間として存立し得ないのである。