ソンクラーン祭り
もう10回以上もバンコックには来ているが、水掛け祭りは今まで、唯の1回も遭遇していなかったので、このソンクラーン祭りのことは知らなかった。 4月12日から13、14、と3日間はタイのソンクラーン、水掛け祭りで、それはここタイでは日本で言えば、正月みたいなものらしい。水を掛けあって、お祝いをしているのだろう。市民はバケツを持った水掛けゲリラとなり、市街戦を繰り広げる。もちろん無礼講である。大人も子供も旅行者も外国人も関係なく、全員が水浸しになる日だ。 タイ人同志だけではなく、たまたま通りかかった外国人も巻き込んで、歩いて街ゆく人には誰でも、後ろから、前から無条件に水をぶっかける。 若い女の子などは掛けられた水のために、ブラウスが体にぴちゃっとくっついてボデイラインがはっきりと浮かび上がり、膨らんだ胸のあたりは、すけすけで黒い乳房が二つ見えている子もいる。 おっととっと。これは面白い。タイの若者はいいことをやってくれるじゃないか。 高見の見物を決め込んで、僕は腹の内で、にやにやしながらバスの手すりにもたれて眼の保養をした。 水かけと言うくらいだから、水をかけるほうも、掛けられる方もそれによってお祝いをしている気分に成るのだろうから、特に掛ける方は遠慮会釈は無い。何処でもいい、だれでもいい、辺り構わず水をぶっかけるだけでなく、追いかけてきて水を掛ける。標的は同胞だろうが、外人だろうが全くお構いなしである。 バスの中から水掛けの様子をいくつも見ていたので、今日は注意して歩かねばと、出来るだけ細い道を選んで歩くことにした。 車が通らないぶん、掛けられる危険が少なくて済むからだ。 バスを降りて路地に入り込んでうまくかわそうと思ったが、僕は地理に詳しくないために、結局は大通りを歩く羽目になった。 通りでは、あちこちで誰彼かまわず水をかける。トラックに水瓶を積んで行き交う人に見境なく水を掛ける。町はそんな若者であふれている。バンコックの4月は最も暑い季節らしく、連日38度前後の気温だった。この祭りにとけ込めば、暑さ忘れの面白い祭りかもしれない。
さて、今回のバンコック滞在はタイ旅行が目的地ではなくて、単なる通過地点に過ぎなかった。カオサン通りで格安キップを買った方が、安く昆明に行けるから立ち寄った迄である。昆明が目的地だったから、1日も早くバンコックを出発したかったのに運悪く ソンクラーン祭りにひっかかってしまったのである。12、13、14、と3日間は官庁はおろか商店も閉まっている。 勿論中国大使館もお休みだ。ビザはとれない。仕方なくバンコクに釘付けになってしまった。 格安キップには有効期間があるので、自ずと帰りまでの日数には制限がある。1日も早く昆明につかないと中国に滞在する期間は それだけ短くなるのだ。僕は内心すごく焦っていたが、焦ったところでどうにかなるものでもない。体こそバンコックに置いているが心ははるか彼方の雲南省に飛んでいる。
大通りで水の掛け合いをしているのを見て、これはやばいと思った。満足に着替えも持たない僕に、水が掛けられたら、それこそ パンツ1丁で町を歩かなければならないことになる。どうしても水掛けから逃れなければならない。 そこで僕は大通りを避けて路地を通ることにした。それは車からの襲撃を避けるためである。しかし路地のどこから水が飛び出してくるかしれたものではないので、立ち止まっては警戒をおこたらなかった。だが、途中でどうしてもスリウオン通りを歩かなければならない所が有った。しかたなく歩いていると、路地から中学生風の子供がかんずめの缶に入れた水を、僕の背後から背中に掛けた。というよりはそそぎ込んだ。彼はにやりと笑って僕を見つめたが、僕は驚きと怒りに声をふるわせた。水は背中から足下まで直行したお陰でびしょびしょということではなかった。 「やれやれ、たいそうなことをしてくれる。この野蛮人めが。」 僕はぶつくさ言いながら、なおもスリオン通りを歩いていたが、 次に来たのは強烈だった。車に若者が数人乗って、こちらに向かってやってくる気配を感じた僕は、右折してタニヤ通りのほうへ小走りに逃げた。多分此処なら安心だと思ったのもつかの間、1団は歓声をあげながら、僕を追いかけて来るではないか。これはいかん。僕は走って逃げた。蛇に追いかけられたら、横に逃げるに限るという具合に、僕は車が入れないような小さな路地に逃げ込んだが、 そこにはバケツを持った若者がいた。これはいかん、僕は驚いてまたもとの路を引き返さざるを得なかった。が、運悪く丁度そこへ先ほどの車が通りかかった。すかさず歓声と共に水がドバっと飛んできた。避けようもなく僕は頭から水を被った。あわてて僕は肩に掛けたカバンからタオルを取り出して急いでふいた。しかしカバンの中まで水が入ってしまっていた。 急いで取り出したが、ビデオカメラが濡れている。 「やられた。」 僕は大急ぎでカメラを取り出し、タオルでふいた。綺麗にふいたが水は中まではいってしまったらしく、どんなにさわっても微動だにしなかった。 「畜生。馬鹿者め。手前ら野蛮人か。水を掛けたいのならタイ人同士でやれ。俺は外国人だぞ。誰もかけてくれと頼みもしないのに。いやがる俺にまでかけやがって。一体どういう了見なんだ。」 僕は怒りまくった。びしょぬれの上に、カメラまでやられてしまったのだ。腹が立たない訳がない。通り過ぎていく車に向かって 僕は唾を吐いてやった。 ビデオが動かないのにはさすがに参った。自室に戻って僕は電池をはずし、本体をフアンの風に当てて、乾かそうと懸命につとめたが、ビデオは動かずじまいだった。買ったばかりで今回が初めて使うのだ。それを楽しみにしていたのに。僕は何重にもむしゃくしゃした。 自分の都合でかってにタイにやってきておきながら、こんな事をいうのは、はなはだ不謹慎ではあるが、僕にとっては祭りは出来るだけ早く終わって欲しかった。 ソンクラーンはタイ人にとっては、1年一回の無礼講の祭りで暑い盛りのフラストレーションを、発散させる楽しい祭りかもしれないが、僕には不愉快な祭りとしてしか映らなかった。 「ところ変われば品変わる」というが、日本の正月とタイのソンクラーン祭りは大違いである。日本の正月はあくまで歳の初めとして、威儀を正し、歳の始まりを祝うもので、そこには格式というものがある。水掛祭りのようなエネルギー発散の要素はない。 それでもやっぱり「所変われば品変わる」で片づけなくてはならないのか。実害を受けて腹立ち紛れの僕は素直に、このソンクラーンを楽しい喜びの祭りとして受け入れることは、ついぞ出来なかった。