日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

2009年10月24日 | Weblog

母、
自らの命を懸けて私を生み育てた人。
母性本能とはいえ、ずいぶんつらい思いがあったに違いない。あらゆる困難を乗り越えて命を守ってくれた。時には己の命をまたにかけて。
そんな母の思いが分かる年頃になった。母かどう思うか、どんな思いをしているか、それとは別々に私には私なりの母への思いがある。一般化していうならば、人類の究極のあこがれとして母性があり、母性こそがあらゆるものを生みはぐくみ育てる唯一のもの。それが故に感謝の対象に収れんしていく。それは遠い宇宙からのノスタルジアであり、すべてを包み込む大海であり、ぼわっと積み込む温かさがである。羊水に包まれたあの安心感がある。
私は山田耕筰先生の肉声を録音したテープを持っている。1分足らずの会話の中に母という言葉が4回出てくる。これは何を意味するだろうか。母は間違いなく女性であるが、ここでの母はもっと抽象化されたもので、それは母性といえるものではないだろうか。
いやもっと抽象化されると、それは神とでも言うべきものであろう。


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2 コメント

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Unknown (母なし子)
2009-10-27 13:07:53
もともと母のない子は、どうやって生きたと思いますか?
それでも二人の子を育て人並みになりました。
あってもなくても、さほど変わらぬと思います。
今どき悪しき母もいますからね。
やはり本人の自覚でしょうか!
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子供は (kc)
2009-10-30 10:17:36
現実に母がいようが、いようまいが、男女とも関係なく母性というものをどこかで求めているのではありますまいか。それは抽象化して言うと太陽のようなものだと思います

今時子供殺しをする母親もいますが、これは畜生道にも劣る行為だと思います。人間としてのタガがはずれています。命の尊厳や社会的存在である子供のいみが全然判っていない、愚かな人間のすることです。
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