母、
自らの命を懸けて私を生み育てた人。
母性本能とはいえ、ずいぶんつらい思いがあったに違いない。あらゆる困難を乗り越えて命を守ってくれた。時には己の命をまたにかけて。
そんな母の思いが分かる年頃になった。母かどう思うか、どんな思いをしているか、それとは別々に私には私なりの母への思いがある。一般化していうならば、人類の究極のあこがれとして母性があり、母性こそがあらゆるものを生みはぐくみ育てる唯一のもの。それが故に感謝の対象に収れんしていく。それは遠い宇宙からのノスタルジアであり、すべてを包み込む大海であり、ぼわっと積み込む温かさがである。羊水に包まれたあの安心感がある。
私は山田耕筰先生の肉声を録音したテープを持っている。1分足らずの会話の中に母という言葉が4回出てくる。これは何を意味するだろうか。母は間違いなく女性であるが、ここでの母はもっと抽象化されたもので、それは母性といえるものではないだろうか。
いやもっと抽象化されると、それは神とでも言うべきものであろう。
それでも二人の子を育て人並みになりました。
あってもなくても、さほど変わらぬと思います。
今どき悪しき母もいますからね。
やはり本人の自覚でしょうか!
今時子供殺しをする母親もいますが、これは畜生道にも劣る行為だと思います。人間としてのタガがはずれています。命の尊厳や社会的存在である子供のいみが全然判っていない、愚かな人間のすることです。