日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

そのように作られている

2008年08月31日 | Weblog
高いところへ登れば上るほど、視界が広まり、視野は広くなるのと同様に、
年を取るにつれて、人生経験が豊富になり、それだけ人生が理解できるようになってくる。
若いころには見えなかったこと、わからなかったことが、経験することによって、わかるようになる.
人間は本来そのように作られている。

サーズ

2008年08月31日 | Weblog
サーズ
バンコクから帰国
2月20日から3月に4日にかけてバンコクに滞在した。その間はいたって元気であった。三月の初めに日本に帰ってくると日本はまだ冬の真っ最中だった。昨夜バンコクのよる7時の気温は33であった。
帰国してから十日間ほどは元気であったが、風邪の症状が出て高熱が三日間つづいた。38°五分の熱が出た。

売薬をいくら飲んでもきかないので、医者の診察を受けて抗生物質をもらうと熱が下がった。
消炎剤のおかげでのどの痛みも止まった。

ちょうどこのころになって、サースの情報がテレビで報じられるようになった。この情報を耳にしてから、ひょっとしたら僕はこの病にかかっているのではないかと、心配し出したら、心配が次から次へと津波のように押し寄せた。
大事を取ってそれから二週間ほど床についた。このこと自体がサース恐怖症だったのかもしれない。
でも報道されているように家族のだれにも、 この症状は出なかったつまり急性肺炎の感染はなかったのである。



アレ

2008年08月30日 | Weblog
生まれて初めて韓国へ行った。ハングル文字は読めないし、かけない。ましてや話すことも、聞くこともできない。全く言葉を理解出耒ない状態で何一つ準備することなく飛び込むということは無謀としか言いようがない。それを承知の上でぼくは韓国へ飛び込んだ。

人の話し声は聞こえるが私は言葉の闇の世界にいて沈黙を守らざるを得ない。しかし雰囲気でなんとなく周囲の事情はわかる。体が直感するのだろう。そうでないと、色々な状況は理解できなかった。

車内では何回か弁当を売りに来たが、ぼくには買う勇気がなかった。弁当をくれと言うにはどう言えばよいのか、弁当は一ついくらなのか、中に入っているおかずは何なのか、わからなかったからである。しかし私は弁当を買う勇気が出なかったから朝から何も食べていない。腹はグーグーと何回も音を立てていた。

セマウル号は定刻にソウル駅に到着した。人の流れについて改札口を出たらやっと着いたという安ど感から、空腹感は一層募ってきた何かを食べなきゃ私は駅の二階に並ぶ食堂へ飛び込むことにした。

日本と違って韓国は一種独特のにおいがする。どういう匂いか。それは私にはうまく表現できないが、おそらく食べ物の匂いだろう。
食堂の店の前ではメニューを写真に撮ってそれにハングル文字と数字が書いてある。数あるメ二ューの中から日本食に近いケチャップ色のついた焼飯風のものを選んだ。
私は、手招きしてウェイトレスをよび「アレ」といってゆびさした。彼女は二言、三言何か言ったが、言葉は分ろうはずもなく、ただ愛想笑いを浮かべて相つちを打つだけのことしかできなかった。


ほどなくアレが出てきた。「アレ」キムチ、タクワン、吸い物、水道水の入ったグラス、スプ一ン、金属製の箸それだけがアルミのお盆で運ばれてきた。アルミのお盆はびっくリするほど大きいもので日本のお盆の二倍はあろうかと思われた。
所変われば品が変わるの例え通り、見るもの聞くものすべてが、日本とはどこかが違っていて′好奇の目は輝いた。

私はアレをてつきリ焼メシだと思っていた。
空腹で焼メシはあリガたい。ところが運ばれてきた焼メシは猛烈に辛く、ちょっと日本のそれとは違うものだった。多少のことは行き違いだと割り切って、一口くちにほをばった。ところがが焼飯のはずのアレが猛烈に辛いのである。

その辛さはまるで一度も経験(たことのないもので、のどの奥に触れたアレのおかげでひどく咳こんだ。あわてて水を飲んだこの時ばかりは外国では特に東南アジアでは、真水は絶対にのむなという友人のアドバイスもどっかへとんでいた。

水を飲んでもむせてむせて、しばらく続いた。私は決して大げさなジェス4チァをしたわけではないのだけれど、目から涙が出た。僕の姿を見て、ウエートレスはにこにこしている。ジャンパー姿の私をどこが地方からソウルへやって来たお上りさんの類と思っているらしい。

なんとからい焼飯だろう。こんなに辛いと食べた味などは分からない。食べた後に残るのは辛さだけである。その辛さを楽しむというならば話は別だが、日本人にはそうもいくまい。咳こんでおまけに涙まで出る。

香辛料のよく効いた食べ物は韓国では良いのかもしれないが、日本の風土には合わない。
生れ育った子供の時ら、こういうからさに染まっていると、はたして食べ物の微妙な味が分かるのであろうかと何回も思った。
しかしこの辛さはひとり韓国だけのものではない。

東南アジアを旅しているとほとんどの国がこのような辛い香辛料を使っている。タイに行って初めて食べたスープも一口飲んだら舌がびれた。そしてしばらく咳こんだ。
いったいどういうわけがあってこんなに辛いものを食べるようになったのだろうか。胃や腹にこの辛さはよい影響を及ぼすことはまずないだろう。
口の中で味を知るという微妙な味わいはおそらく、こういう辛さを好んでいる限りわかることはない。
平均寿命が日本よりも短いということは案外こういう食べ物にも関係しているのかしれない。

ただタイでは感心したのだが、暑い気候の中で辛いものを食べると汗をかく。その発汻位用が健康によいのかもしれない。
健康にはよいかも(れないが、食物の味がわからないというのは、いかガなものであろうか。





















犯罪に思う

2008年08月29日 | Weblog
犯罪に思う

高等裁判所判事が児童買春をした罪で約三カ月間拘置されていた
彼に判決を下した裁判官は法制史上に、大きな汚点を残したと厳しく断罪したが、執行猶予5年のついた有罪と判断をした。

そして判決文の後ろの方で、世の中には志半ばにして病や事故で倒れるものも たくさんいることだけに対しても感謝しなさい と諭した.

僕はこの判決が重いとも、軽いとも思わない。

確かに司法界に汚点を残したという意味では、司法関係者には、それなりに重要なことだったかもしれないが、一般市井の庶民には、こんなことはそんな大きな問題ではない。そんなことよりも
殺人者に対して、もっともっと厳しく処分することの方が、社会の安定には不可欠のことである。

裁判官が児童買春という法律違反を起こしたとはいえ、目くじらを立てるようなものではない。
確かに道義的責任や法的な責任はあるが、それでは社会の中では、もっと慎まなければならない立場の人間が、この程度の法律違反を日常茶飯事的に行っている。

この程度の法律違反は片目をつぶってやり過ごせる程度のものであるが、恣意的な殺人犯だけは許せない。代表的な例はオーム真理教の麻原の件である。この点に関しては結論が早くて年内。法律的手続とか、事件の真理を調査するとかいう名分はあるにしても、一体それがどういう役割を果たすのか。10年も20年もかかって真実を追求するというが、いったいそれは社会的にどういう意味を持つのか。犯罪者に対して何をしようというのか。


ここに30年凶悪事件が頻発している。
ここに30年の間に今まで例を見なかったような凶悪犯罪が頻発している。特に質の悪い人間はすぐ人を殺す。そしてそのことが、これだけ頻発するとそれに馴染んでしまう。そういうマヒした感覚が恐ろしい。このままで善良な市民が被害にあわずして、安心して暮らせるか。問題はそこにある。警察の検挙率もさることながら、そんなことよりは犯罪のなかでも殺人は社会的制裁として徹底的に痛めつけると言う厳罰を示さない限り殺人事件の抑止力にもならない。

国家公安委員長に物申す。

まじめな警察官が一命をかけて凶悪犯人を捕まえるという以前に、凶悪犯は遠慮無く射殺する権利を与え、部下の命を守れ。

犯罪者の人権などは絶対に優先してはならない。犯罪者の人権を考えるばかりに、凶悪犯に対して、それなりの処置を取れないとするならば、もう法治国家という意味が薄れる。

法律だけが理論的に正しいか、正しくないかという問題もさることながら、庶民感情とあまり大きく乖離しないところで、法の正義が実現されてこそ、初めて人間感情にマッチした生きた法律と言えるのである

片や裁判官が児童買春という法律を犯して社会的制裁を受けた。この裁判の翌日包丁を持って市民に危害を加えるおそれのあった加害者を取り抑えようとした交番巡査が刃物によって切り殺された。 この警官は重傷を負いながらも拳銃を発砲して犯人を射殺した。
それが庶民の溜飲を少しは下げたが、もしこれがやられっぱなしだったら、この犯人だけでなく、現在の法律や警備のあり方に対して、ごうごうたる非難が巻き起こったことだろう。

自分の欲望のために人を殺す殺人犯は、この世に生かしていてはだめだ。命を奪ったものは必ず命でその償いをするというのが鉄則でなければならない。殺人犯の言い訳を聞く必要もなければ、情状の酌量を考慮する必要もない。
改心して犠牲者の霊を弔い人生をもう一度やり直すなどという類の言葉は被害者に対する冒涜である。

常に軸足はは何の落ち度もない被害者の側におくべきで、加害者の人権に配慮して云々というのは理屈には合わない。少なくとも健全な庶民感情を逆なでしたり、納得できないようなことはやめてもらいたい。

専門家は

2008年08月29日 | Weblog
専門家は自分の専門についてはプロであろう。ところが全分野にわたってプロであるというわけではない。

生きていく上で人間そのものと関わりを持ってきているいわゆる世間人の方が全般にわたってバランスのとれた判断を下す。

それが証拠に、経営学者に実業をやらせてみろ。まもなくたぶん会社は倒産するだろう。学者とか評論家といえばその分野においてのみプロなのであって
その分野の専門意見を聞くのはよいとしても総合的判断を求めるのは適切ではない。

だが、テレビではそんな連中が専門以外の分野にまで口を出し、聴衆もそれを無批判に受け入れている。これは一種のごまかしである

人生無常

2008年08月28日 | Weblog
人生無常



人生は無情である。ということはよく耳にする。無情つまり常ではない。ととどまるところを知らず、常に動いている。厳密にはそうだが、現実にはそうは見えない。

昨日の自分と今日の自分が、どう違うのか、と問われても返答に困る。

細胞の生成死滅数という次元で考えれば、確かに昨日の自分と、今日の自分は、同じ数だといいきれない。

つまり、瞬間的には固定できても、生命現象という連続性を考えれば、流れて絶えず、変化して移り変わって行くものである。

それを固定的に考えることは誤りである。絶えず移り変わり、一時も固定的ではない。

やはり人間存在は無常だといえる。

彦根城悲話

2008年08月27日 | Weblog
彦根城悲話

事件は1819年の春、欅御殿で起こった。
藩主の日常生活の場であるケヤキ御殿、楽々園で、美女の誉れが高かった奥勤めの若竹が藩主直中の手で、成敗された。
理由は、彼女が、不義の子を宿しているとのうわさが広まり、藩主直中が彼女に詰問したが、彼女は相手の名前を答えなかったとか。そこで、「不義は、お家のご法度」だと、彼は彼女を手打ちにした。
ところが、後になって、若竹の相手が、長男の直清だということが判明する。
直中は愕然としたが、いまさら取り返しがつかないことである。彼はわが子、長男と深い縁を結んだ女性若竹と、その愛の結晶である初孫を惨殺したことになる。
取り返しのつかないことをした彼は、この事実を知って愕然とするだけでなく、どうしてもう少し真実がわかるまで、お手打ちが待てなかったのか、自分のしたことではあるが、悔やみきれない後悔をしたことだろう。しかし、もうことは済んでしまっている。すべては後の祭りである。彼は、若竹も、彼女の腹も子も、不憫でならなくて、京都の仏師に、500羅漢を作らせて、寺を建ててそこに祀った。天寧寺がそれであると史料は伝えている。

「不義は、お家のご法度」とはいえ、彼は取り返しのつかないことをした。その時の彼の気持ちはどんなものであっただろうか。よく調べもせずに腹の中にいた初孫を切り殺したことから、生じる自責の念。
井伊家には、先祖から、ことの黒白を単純に決めてしまいその結果、蛮勇を振るう血が流れているらしい。井伊家の歴史を時系列化してみるとぼくにはそう思える。
権力を握っているとはいえ、その後ろには血の流れに由来する悲劇が隠されているような気がしてならない。その当時の時代性というものの影響から逃れるわけには行かないから、井伊家だけの責任でないことは十分理解できる。
とはいえ、血の騒ぎが引き起こす蛮勇は井伊直弼において顕著に現れているように、私には思える。蛮勇を振って、反対派に弾圧を加えた安政の大獄にはその兆候が、はっきり見てとれる。

毒をもって結城秀康を毒殺する決心とその実行、佐和山城落城時の石田三成一族の悲劇。特に女郎谷に飛び込んで自決した女たちの悲鳴は500年の時を経て今なお聞こえるようである。
このこととはかけ離れたぼくでさえ、聞こえるような気がするのだが、当事者の井伊にはこの悲鳴は聞こえなかったのだろうか。気にはならなかったのだろうか。
それもこれも皆井伊一族が引き起こした悲劇である。封建時代のお家大切という大義名分のためにどれほど人倫に反した成敗(人の命の奪われ方)が行われてきたことか。その成敗に蛮勇を奮う。その代償として返り血を浴びる。それは因果律の当然の帰結である。どこまでが時代の責任で、どこからが井伊家に伝わるDNAのなせる業か、測りかねるがぼくは井伊について物申せばこういう思いが強い。



















ブッダガヤからナーランダへ

2008年08月27日 | Weblog
ブッダガヤからナーランダへ

現実35度、以上の猛暑が続く。

今年の夏は現在では日本ではまだ42度のところは無い

僕は8月にインドで、42度を体感した。

カルカッタから、ガヤまで、列車で行った。シェルダー駅を出たのが午前11時半、途中に、列車横転事故があり、8時、に到着する予定が大幅におくれ、11時過ぎにガヤに到着した。

深夜、だと言うのに、駅前は大勢の人で埋め尽くされていた。なにかイベントでもあったのだろう。明日のことを考えて、僕は、それを見物することなく、駅から歩いて10分ぐらいのところに、ゲストハウスに、飛び込んで一夜を明かした。


蚊取り線香を持参したおかげで、蚊には刺されなかった。早朝まだ夜の明けきらないうちに、力車を雇って、ブッタガヤに行った。ガヤから20分ほど走ったように思う。
ブッタガヤに入ると、まずお釈迦様が、瞑想して悟られたというマハーボデイ寺院に参詣した。

半地下ほどに掘り下げられた通路を通って、釈迦像が、安置されている大塔の中に入った。そして、お釈迦様に、般若心経を読経し、いろりほどもある大きな線香を供える場所に線香を供えた。

頭のてっぺんから、目を凝らして、釈迦像をつくづくと眺めたが、この釈迦像は、日本のそれとは違い、すべての作りが軽い。荘重で重厚な日本の釈迦像とは違い、
おっちょこちょいと、言えばよいほどに、軽いノリで作られている。ありがたみが半減したような気がした。

そこで仏像を拝み終えると、裏側に回って、金剛法座と、その木の下で悟られたという菩提樹に日本から持ってきた写経を供えて、1枚1枚丁寧に読経した。

宇宙の真理をここで解き明かした釈迦の心の中と、今の自分の心の中は、およそ異なる次元である。宇宙の真理の発見などとはほど遠く、僕はあたりをキョロキョロするのに精いっぱいだった。瞑想したものと、通り過ぎて行く旅人との間に横たわる心の深い谷を埋め合わせることなど到底想像もできないことであった。

大木の菩提樹は釈迦の時から数えて四代目でスリランカの女性がこの木を植えたと説明を受けた。葉は青々と茂っている。その葉を一枚持って帰り仏壇に供えたいと思ったら、ガイドが一枚取ってくれた。僕が頼んだ訳じゃないのに。ありがたく頂戴して押し花にして今も戒名ノート・過去帳に貼ってある。ここはバラナシの喧噪と違って静かである。ここで瞑想して悟りを得たというのは、さもあらんだ。
お釈迦様は宇宙の真理の発見者だと聞く。発見と発明は違う。とすれば誰かが真理を作ったものがいるはずだ。誰だろう。神さんだというのか。




























満点主義と合格点主義

2008年08月27日 | Weblog
満点主義と合格点主義

満点主義はしんどい。合格点主義が丁度良い。満点を取る努力をして、合格点を取るのがいちばんよい。

歴史を知ることは良いことである。しかし、それにこだわっていてはきりがないし、進歩がない。歴史の中から教訓を学び、それを現実の生活の場に出すことがいちばん大切である。


休息は平安である。活動は闘争であり、テンションである。
休息と活動は、うまくバランスをとることが必要なのは、活動の時か、それとも平安の時かよく見極める。




どうしても好きになれない人がいる。確くたる理由があるわけではない。生理的に反感と言えば良いのかも知れない。
好きになれない考え方がある。知情意、のバランスが崩れた人情に則さない。考え方を強引に押しつける。そしてその考えに従わせる。そういう考え方は好きになれない。

我が道

流行?そんなもの、どこ吹く風だね。僕は僕の道を行くよりほかに仕方がないんだよ。

母性

母性はすべてを許して包み込む。そして包み込んだものを、すべて育てあげる。女性は母なる太陽と言われるゆえんである。

歌と、世相
その時その時の世相にあるのだがある。逆に言えば、歌は世相を反映している。時々刻々変わる人の心がある。したがって、世の中には無限の歌がある

心を見つめる目
これを したら 見たら 考えたら どうなるか。その時の我が心を見つめよ
心の豊かさは、我が心を見つめるとき、見えてくるそしてそれは己の目の大きさによる。

、一人旅

列車は走る。それにつれて景色が変わる。思いも変わる。4人掛けの席に一人足を伸ばして、心に移る。儀な仕事をノートに書きとめて、行く。そこには何の力みもなく、争いもなく、競いもなく、戦いもなく、心は安らかでのどかである。時折、ぴくっとする、小さな感動がなんとも快い。

強役
僕は追いつめられた場合は別だが、普通の状態では、強役を演じることは苦痛である。人にはそれぞれ神がその人固有の特性を与えているのだから、マルチタレントである必要は無い。天は二物を与えず。とはこのことか。、


休符
楽曲における休符は音がないということだが、心理的には音が鳴っていることが多い。また、休符は一つのパワーである。無言の雄弁がある

我が心

何を怒っている。何をほえている。なぜ泣いている。お前の心
どうすればお前は平安と安らぎを得るのか、どうすればお前が満たされるのか、

怒り、
こん畜生!やったるぞ、そんな怒りから、フアイトが生まれ。行動力が出てくる。

演歌と、ヤング
若者たちにしたら、あんなくらい湿っぽい歌なんて歌う気にもなれない。
同じ恋を歌うにしても、暗い詞に輪をかける短調の暗いメロディー。それを暗い酒場で歌って気が晴れるか。

リズムもなければサウンドもない。それだから、体の中にあるリズムに乗ってこない、そんな歌をオジタリアンとオバタリアンが歌っている。
若者がそんな中に入っていけるか。演歌が若者に、受けないはず

人生すべて一期一会
人の出会いも文物との出会いもすべて一期一会。
2回目があるとすればそれはラッキー。改めてそのラッキー見直すべきで、第1回の連続や延長だと思ってはいけない。
朝に紅顔の少年が夕べには白骨になる身なれば、。

外見 外観
外見外観によって、幸せを感じたり不幸を思ったりするのは、低次元である。
幸せと言うのは、中身に感動して、心の上にほのぼのと、上らせるものがあるからである。その幸せ感こそ本物である。

中身の美しさ1立派さから、幸せ感を持つためには、それを思う心が必要である。それを思う心とは、物事に、感謝する心である。正しい生き方を目指すとは感謝する心これを養うことである。そのときに初めて正しい基準を得ることができる。これを正見という。









その場で精算

2008年08月27日 | Weblog
その場で精算

地獄に仏という」塗炭の苦しみに自分がもがいているときは自分を救ってくれる「人のことを仏という。仏は慈悲深い。救って貰った直後は心からありがたいと思うのだが、しばらく時が経つとありがたみは薄れていく。果てはすっかり忘れてしまい、感謝の念はどこかに消え失せる。
だから何でもそうだが、自分がそう思ったときにそうすることである。あとでと、後ろに送ってしまうとその時点では感謝の気持ちはどこ変え消え失せる。だから何でもそうだが自分がそう思った時にそうすることである。あとであとでと先送りするとその時点で感謝の気持ちは消え失せる。しなくてはならない事をする際にも何かけだるくおもってしまう。
地獄で仏だったらその場で礼をしなくては。気持ちをものに置き換えて、もしものが無ければ誠を尽くして礼をすること。1回ずつの勝負でその場で精算。つけや先送りはみっともない。

戦争を憎む

2008年08月27日 | Weblog

戦争を憎む

ああだから今夜だけは君を抱いていたい。ああ明日の今頃は僕は汽車の中
歌詞で年輩の人が涙を流す。
なぜだろう。この人たちは戦地へ引っぱり出され、再びあえることのなかった夫や恋人のことを思い返して泣いているのである。
理由は何であれ、心の傷はその人がこの世を去るまで、癒えることがない。
従軍慰安婦の心身両面にわたる傷はやはり癒えることがない。なんとむごいことよ。僕は心から戦争を憎む。

旅の音楽

2008年08月27日 | Weblog
旅の音楽

美しい音楽を聴き、時々刻々、移り変わる景色を眺め、触発される感動を胸にしまいながら、その時その時の自然に触れ、人情に触れ、歴史に触れることは、何にも増して代えがたい喜びである。

そこには、心の豊かさがあり、安らぎがあり、穏やかな心があり、平安の喜びがある。

なによりも生きていて良かったという実感がある。この喜びは神が人間に与えた。最高の贈り物である。


フィルター

2008年08月25日 | Weblog
人は、個々人に、その人特有の価値観を持っている。我々は、ごく容易に、自分の尺度で、人を図り、ごく容易に非難する。

そしてそれは、自分の立場のみに執着して、その人も立場なり、気分なりのバックグランドをほとんどと言っても良いくらい理解していない。そこが問題である。
表面だけで判断することはもちろん正しいこともあるが、えてして危険が多い。目に映った白いものを白、黒いものを黒と判断するのは子供である。大人なら、少なくとも本当に白いのか、黒いのか、疑って見て、もう一度客観というフィルターを通して判断することが必要だと思うが

人の道

2008年08月25日 | Weblog
人の道

その時、私の心はどんどん深いところへ沈んで行くような気がした。突然人の道はしっかり輝いて見えた。人には人の道がある。その道を歩むとき、人は人間らしくなる。幸せにもなれるし、事業にも成功する。そして人の道は間もなくわからなくなってしまった。今は霞んで何も見えない。
超論理の体験を私は経験したのだった。

他人のメシを食わないと、両親の思い、というものはわからない。父母のもとでは当たり前で通じることでも、他人の家ではそうは行かない。いろいろ気を使い、言いたいことも言わないで、我慢しなければならない。そういう辛さを教えるのは、親元を離れて、初めてわかる人の世の厳しさである。

呼鈴

2008年08月25日 | Weblog
呼鈴

うつらうつらしかけた時に、ピンポンがなった。母が、大便れ流したという。妻を起こして始末をする。自分の親ながら大小便の始末は、ごめん被りたい。妻はそれをやってくれる。まったく気の毒な話だ。

風呂場へつれていってお湯で体を洗い流す。母は、骨だけになっている。よくもまこれだけ痩せたものだ。食欲はあるのに、寝たきりのせいか、やせ細っている。何の因果で、私の母がこんな姿になるのか、細々と、燃え続ける母の命は、いったい何を目指しているのだろうか
私が活躍するのを見届けて、それを冥土にいる父や祖父母、先祖たちに、報告してくれるためだろうか。母よ。長生きして欲しい。