日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

9-19胆石

2015年09月27日 | Weblog
胆石

土曜日から鈍痛があった。3日後深夜救急車代わりのタクシーで病院にに運ばれた。胃がいたんだと思っていたら検査の結果は胆嚢炎。病状が収まるのを待って即手術。いやそれはまってください。
何回腹切りをやれば収まるのかよ。  自嘲気味。

入院は3週間。実はその間に断れない講演が入っている 。
病院を抜け出してもこれだけは約束を守らないと大勢の校長先生に迷惑をかける。

転院希望を申し出たら、案外すっと転院許可が下りた。再度診察からはじまった。手術は予約でいっぱいで2ヶ月先になるという話。それまでは薬で自宅療養。助かった。
幸い痛みは止まっている。ふらつくからだに気合いを入れて何とか無事に講演会を終えることが出来た。此は感謝ものだ。

ハプニングは起こるものだ。入院中はどのようにして病院を抜けだそうかと思案ばかりしていたが、転院という方法でうまく切り抜けて助かった。万歳ものだ。

でんぼの神様0

2015年09月03日 | Weblog
でんぼの神様

ぎゃー。悲鳴を上げるかわいい孫。
医者は麻酔も打たないで、おしりに出来たでんぼに、太い針を突き刺した。

僕は古くから言い伝えのある、でんぼの神様。石切神社のかみさまのもとへ飛んでいった。
その日は幸運にも、神様がお出ましになる日だった。

受付を済ませて拝殿に上る途中に神様はおいでになった。
緋の袴をはいた五十歳くらいの女性だった。

僕は受付でもらった、孫の生年月日や住所氏名と、でんぼの部位を記した半紙を神様に渡した。神様は右手でまじないをして呪文を唱えた。そして再度神殿でお祈りするように言われた。

お祓いが済んで、帰る時には神殿の前にあるお百度を踏んで1日も早い回復を祈った。あれからでんぼはすぐ直った。
医者は言うだろう。手当や処置が上手だったと。しかし僕はそうはおもわない。此は神様のお陰だ。

あれから7~8年たつが、でんぼは傷跡も残さず、きれいに直った。しかし注射針を刺した時にあげた孫の悲鳴が、今でも心に残っている。痛みが伝わってくる。

でんぼの神様

2015年09月03日 | Weblog
でんぼの神様

ぎゃー。悲鳴を上げるかわいい孫。
医者は麻酔も打たないで、おしりに出来たでんぼに、太い針を突き刺した。

僕は古くから言い伝えのある、でんぼの神様。石切神社のかみさまのもとへ飛んでいった。
その日は幸運にも、神様がお出ましになる日だった。

受付を済ませて拝殿に上る途中に神様はおいでになった。
緋の袴をはいた五十歳くらいの女性だった。

僕は受付でもらった、孫の生年月日や住所氏名と、でんぼの部位を記した半紙を神様に渡した。神様は右手でまじないをして呪文を唱えた。そして再度神殿でお祈りするように言われた。

お祓いが済んで、帰る時には神殿の前にあるお百度を踏んで1日も早い回復を祈った。あれからでんぼはすぐ直った。
医者は言うだろう。手当や処置が上手だったと。しかし僕はそうはおもわない。此は神様のお陰だ。

あれから7~8年たつが、でんぼは傷跡も残さず、きれいに直った。しかし注射針を刺した時にあげた孫の悲鳴が、今でも心に残っている。痛みが伝わってくる。

からす

2015年09月02日 | Weblog
からす

早朝からカラスが鳴く。カーカーではなくてぎゃーぎゃーと声を出す。
この書き声は死出の旅路の案内するような、いやなイメージがある。
動物愛護もよいけれど、農作物を食い荒らす有害鳥獣は駆除しなくては人間の生活が守れない。
からすは不気味な鳴き声を出すから、駆除したい気持ちだ。

集合住宅の狭い空間では石を投げるわけにも行かず、大きな音を出す柏手を何回か打って、追い払う毎日だ。

近頃はカラスもその音になれてきたようで、おうように構えている。それがまたしゃくの種だ。たかがカラスぐらいに都費とは思うかもしれないが、生活の邪魔になると動物愛護の精神はどこかへふっとんでしまう。

作物を食い荒らされる農家と気持ちは同じだ。

暑さは和らいだ

2015年09月02日 | Weblog
暑さは和らいだ。

ススキや萩の小花にだんごを供えて、十五夜の月を愛でるというのは、気温も暑くなく、寒くなく、ちょうどいい極楽気温で、何とも優雅な気分になる。ロマンチックである。

此は森や林が近くにあって、野原にも秋の草花が咲き始め、夏に終わりを告げるシンボルだ。

縁側で小机にかざられた月見用の小道具は何とも風情があるものだ。団地住まいの我が家では月見をうしなってから久しい。

縁側がないというのは、月見の優雅さを欠いてしまう。今年もこの優雅さを味わうことなく過ぎ去ることだろう。無粋なことだ。