ああだから今夜だけは 2010年01月29日 | Weblog ああだから今夜だけは 君を抱いていたい。 ああ明日の今頃は僕は汽車の中 歌詞で年輩の人が涙を流す。 なぜだろう。この人たちは戦地へ引っぱり出され、再びあえることのなかった夫や恋人のことを思い返して泣いているのである。 理由は何であれ、心の傷はその人がこの世を去るまで、癒えることがない。 従軍慰安婦の心身両面にわたる傷はやはり癒えることがない。なんとむごいことよ。僕は心から戦争を憎む。
教師の仕事 2010年01月28日 | Weblog 教師の仕事 というのは、人間を育てて人間を作ることである。人間を作るということは、個性、才能、可能性などを生徒が伸ばすのを手伝う、あるいは導くということである。 生徒という未熟もの一人ひとりが持つ宝物を探し当てて、それを尊重し、よいものを伸ばすことである。 教師が知育のみにこだわっている限り徳育はおろそかになる。
声楽家藤村実穂子の場合 2 2010年01月27日 | Weblog 声楽家藤村実穂子の場合 2 朝日新聞に声楽家藤村実穂子氏のことが載っていた。心にひびいたことを 箇条書きにしてコメントをつけてみた。彼女はオペラ歌手である。自分が東洋人だという差別をはねのけて、現在の名声を得た人である。感想を一言ことで言うならば哲人である。求道者である。徹底人である。僕は到底こうなれないし、成ることを望まない。ぬるま湯に浸かっている方がどれほど楽で気分がよいか。その味を知っているからである。ぬるま湯に浸かりながら一旗揚げたいと願っている虫の良い男である。 1,みんなの要となるため、自分がどう動き、歌い振る舞うべきか。これを見抜くためにすべての勉強がある。 強烈な自己中である。しかし主役の座を守るためには当然のことだろう。幸い僕には主役になる強烈な望みもそういう能力もない。 2,痛み、を意味する。シュメルツ 初恋の痛み、ちょっぴり甘いそよ風のように 深い愛を失った痛み、心に突き刺さる突風の様に この意味は分かる。言葉では痛みだが中身は千差万別だ。歌を歌う時にはこの辺のニュアンスを出すように指導はしている。 3,葛藤が芸術に生きる覚悟を与え、芸の喜びを何倍にしても返してくれた。様々な人を受け入れる。それが芸術家として生きることなのだ。 確かに芸術家はつらい思いが多い。だがそれは幸せと背中合わせである。つらい思いとそれを倍する深い喜びが対になっている。 4,歌手は死ぬまで歌い続けてこそ。楽譜を1000回見たら、1000回新しい世界を見つけるそんな感性の鋭敏さをどこまで。持ちつづけることができるがが勝負、 すごい迫力だ。しかし100回は100通りだから、皆同じではない。その差を見つけて至上を目指す。そう言う修業が大切だ。 自分にはこういう力がある。と思えるようなところは、私の中にはどう考えてもないような気がする。理屈が判るが実行はおそらく出来ないだろう私くらいの根性では。 5,生きている限り、自分を良くしたいと願う。すべての経験をありがたいと思う。 誰だってそう思っている。だが全ての経験をありがといと受け止めることが出来るだろうか(ひどいダメージを受ける経験をするとその苦痛にうち負けて悲鳴をあげ神仏さえも恨むのではないか。やつ当たりするのではないか 6,困難にぶつかったら、天から、宿題をいただいたと思う。 このように受け止められる精神を作るのが芸術の本筋かも知れないが、凡人には出来ない事だ。この次元になると宗教的な次元だろう。 しかし心からそう思えるならばなんと幸せなことだろうか。全てを宿題と受け止める前向きの姿勢には負けはない。 7,いかに死にたいかを常に考えている。これこそが自分の人生を生きるということ。また、自分の人生に、向き合うことということだから、 之は私もよく考える。しょっちゅう考えている。死と言うものが不可知なものである以上、人間には生しかないと考えるからである。死から出発して生の今を考える事は積極的な生き方にとっては非常に重要なことだと思う。 不可欠だとも思う。
ある経験 声楽家 藤村実穂子の場合 1 2010年01月26日 | Weblog ある経験 声楽家 藤村実穂子の場合 1 1,歌の神様に仕える。己を無にする。静謐さに絶対的な存在感が備わる 僕は神様に仕えはしないが、神の恩寵に対して讃歌は書いて奉納演奏をしたことはある。 2,華やかなステージは、歌手にとっては孤独な戦場である。 その通り。1度だけだが6000人を前に話と演奏をしたことがある。その時に、舞台は孤独な戦場だと実感した。 3,私は、歌の神様に仕えているだけ。称賛を受けるために歌っているんじゃない。 僕はそこまで徹底はできない。神様も気になるが、聴衆も気になる。 4,東京芸大在学中から、将来を嘱望され、大学院を終えると1992年にドイツに留学する。 スポーツ選手とは違って、明確な物差しがなく、好みや主観で判断が左右される世界 芸術の世界はすべからくこうである。そして自分が最高だと思うから足の引っ張り合いばかりしている。ダントツは別だが、そこらそんじょ、お互いぼちぼちだったら必ずこういう問題が出てくる。芸術の評価ほど判りにくいものはない。 5,君の歌は素晴らしい。でも、私たちはドイツ人を採用する。と言って、落とされた。人種差別のみならず主観の好き嫌いが大きな壁。之を乗り越えて実力を認めさせた彼女に称賛の拍手を送りたい。 6,朝4時起床 夕方まで楽譜に向き合う習慣を自らに課した 体力作りのために、自転車ジョギングで、体を動かし、肉や先はおろか、コーヒーなどのカフェインすら口にしない、そうして出た。自身に対する求道的な厳しさを思って、彼女は自らを消す。 之には脱帽だ。ぼくもコーヒーは飲まない。眠れないからだ。
食うために働く人が多すぎる。 2010年01月25日 | Weblog 食うために働く人が多すぎる。 ウサギ小屋にすみ、働き蜂、それで人生を終える、私はそんな生活は真っ平らごめん。 自分の人生は自分の好きなように生きる。世の中には食うために働く人が多すぎる。 考えない人間には幸せも一時の感情にしかすぎない。 努力をすれば可能性が生まれるだけで、即実現性があるということには成らない。実現性とは可能性に神仏の力が加わったときに初めて生まれるものである。
出世魚 2010年01月24日 | Weblog 出世魚 女性はアイドルからマドンナに成熟する。マドンナからオバタリアンになり、やがてオバンになって枯れていく。と書くとまるで女性の悪口でも書いているような印象を与えるが、アイドルからオバンまで世の男性から注目を浴びているから、そんな名前を戴くのであり、男は可哀相にそんな名前さえつけて貰えない。 男は表面は威張っていても女性には底力や生命力が潜んでいて、それが表面には浮かんでいないだけかも知れない。 男が草食系に、女が肉食系になる時代がやってくる足音が聞こえそうだ。
大人の言葉 2010年01月23日 | Weblog 大人の言葉 考えた事は検証をしないままでは、時として空論であることもある。 どこかで間接的に知ったこと。例えば本で読んだ事やテレビや新聞で読んだ程度のことを、現実の行動によって、あるいは直接、間接の過去経験に照らし合わせて検証せず、その延長上で結論を導く事が良くあるが、 過去や現在の行動を通して、実行実践実現可能な時点から、ものを言うのが、大人の言葉だと思う。それだけに重みはある。 弘法大師が説かれているように、実践や実行が伴わない主張や提案は極力避けて、体験主義、経験主義の立場に立って発言するようになりたいものだ。
雪 景 色 2010年01月22日 | Weblog 雪 景 色 急に朝日が差した。辺り一面、鮮やかに光り輝いている。 あちらこちらで雪かきをしている。 根本大塔は白色と朱色の色鮮やかに輝く。これも大日如来の世界が目の前に現れた世界か。 いつも座るケーブルカーも、今日は雪景色を見るために、先頭に立ったままで立ち見している 綿雪は降るのではなくて、ふわっと舞いながら地上に落ちてくる。それは天上へ還っていった死者の魂が姿を変えて地上に舞い降りてくる姿かもしれない 灰色の空が急にさけてパット太陽がのぞいた瞬間の周りの輝き。その瞬間を味わえるのはラッキーだ バスもタクシーも雪のためにとまることは無い。みな雪道を走るタイやーをつけている。これも人間の知恵や技術の恩恵に浴している現代の姿だ。 雪の降り方も面白い。さーっと降ったり、しんしんと降ったり。こんな時に、一人で雪道を麓から歩いて登る気分ってどんなものだろうか。 20年ほど毎月高野山には登ってくるが、今日のような景色が一番美しい。こんな美しい自然の造形美は初めて見るような気がした。これだけのものを自分の力ではとても作り出せない。自然は偉大だと実感した。 家で丹前を着てこたつにどっぷり浸かっていると、寒さ知らずで、これが天国かとも思うが、この寒い雪の積もった高野山を訪ねるのも決して悪くないと思った。 こたつの中にいると、寒さ知らずで、雪の降り積もった山なんて想像するだけでもまっぴらだが、白銀巡礼もいいものだ。それはひとえに心の持ち方できまる。 杉の大木の中をぬう薄暗い道は今日は雪のおかげで輝いている。 太陽はっと見ると灰色の空に銀色に輝くフットボールの大きさでまぶしい。が、普段見ることの出来ない太陽の姿が雪空の切れ目から見える。 雪の降り積もった野山のことを、辺り一面銀世界というが、周りがすべて白色に輝いて、まばゆい世界とでもいった方がこの部分の様子をより的確に表現できるように思える。 鉄道会社には悪いが、列車はすいていて、4人がけのいすを一人で占有するというのは快適だ。 車窓を通して眺める、景色の変化に応じて脳が刺激を受けて活性化されるからか、つぎ次とアイデアが筆先に乗ってくる。移り変わゆく風景に 合わせて、眼がシャッターを切り、その映像が脳というハードデイスクにどんどん蓄えられていく。そしてこの貯蔵品は雪景色をペンに載せるときにはいつも眼の前に映像として現れる。メンタルハンテイングは取り込みと保存の両方をほぼ同時にやる。人間とは神のすばらしい作品だ 。
韓国ミュジック 2010年01月20日 | Weblog 韓国ミュジック 今日本ではなくなったハートがあり、ウツクシイメロデイが多いのでつい聞きたくなる。そこで僕は出来るだけ大韓航空機に乗るようにしている。 古賀メロデイの源泉は朝鮮民族の血の中に流れている哀しさだ言われるが、、悲しいときに身にしみこむ哀しさを騎馬民族の勇敢さを思わせる勇壮なリズムはそれがどんなにアメリカナイズされてアメリカパターンに成ったとしても底流には朝鮮民族の魂がかんじられる。僕はそこに惹かれる。ソウルで飽きるほど聞いてみたい。ソウルに流れるチョウセンミュジックのなかに身を沈めたい。 韓国語がしゃべれて、音楽が分かる人と知人に成りたい。僕は提供するものがほとんどないから気の引けることではあるが。 スロデンポのバラードがよい。魂の叫びがよい。
18日深夜FM大阪 2010年01月19日 | Weblog 18日深夜FM大阪 昨夜深夜FM大阪から自作品「滋賀のさざ波」「平家物語序章 」の2曲が放送されました。思えば50年昔、山田耕筰先生との 出会いがあり、先生の教えを守りつつ作曲活動を続けてこれた ことは自分の人生にとって非常に幸せなことでした。いろんな 人の出会いの中で我が師匠と頼める人を見つける事は難しい事 かも知れないが、自分の人生を導いてくれる希望の星として師 匠は心の中で輝いています。東大では矢内原先生の卒業式辞、 大河内先生の卒業式の式辞「太った豚よりやせたソクラテスに なれ」 と言う言葉は今の自分を支えています。何事によらず人生には 先達はほしい物です。深夜に放送される自分の曲を聴きながら こんな事を思った次第です。
神 僧 俗 2010年01月18日 | Weblog 神 僧 俗 神仏と僧と庶民の関係において、いつも思うことは、どうも人間の現実の価値が僧の間に持ち込まれ、本来神の望まないことも、ずいぶんと神の名の下に行われているのではないか。南米では牧師が金持ちであるにもかかわらず、インデオムからお布施の名の下に、金を巻き上げている。こんな現実を、果たして神はなぜ許すのか。
信仰の御利益 2010年01月17日 | Weblog 信仰しているか、していないかそんなことに関係なく人間は生きて生きて行く途 中で幾多の試練を受ける。 信仰がある場合は、試練を受ける際の、あるいは受けた後の心構えが違うから、信仰のあるものの方にが苦痛感は少ないのだと思う。 大難を小難に、小難を無難に経験できても、大難を無難にというわけに はいかない。 避けることが出来ないものは、うける以外にないが、そこの苦難が軽減されると思うのが信仰の御利益である
ご案内 1月18日午前一時半からFM大阪でオンエアー 2010年01月16日 | Weblog ご案内 1月18日午前一時半からFM大阪でオンエアー。 1月18日午前一時半FM大阪から私の曲が放送されます。前回は ワットアルン 1曲しか送らなかったけど、今回はCDを二枚届けてあるのでそのうちのどれが放送されるのか、わかりません。出来れば先日演奏した「平家物語序章」 が放送され皆様に聞いて頂きたいと思います。曲もさることながら、有名な声楽家がソロ ソプラノで、その後ろで藤原歌劇団関係者4名がバックコーラスを歌います。 全員音楽のプロでその名に恥じない作品をつくりあげていると自負しています。 尺八を伴奏に演奏したこともあるが、やはり今回の編成が一番良かったと思います。当日の写真と歌詞やコメントは私のHP 作曲家武田圭史で検索し、武田圭史の作曲集を開いて頂くと見ることが出来ます。 この作品は京都嵯峨野の妓王寺、寂光院、宮崎県の椎葉村など平家ゆかりの地で演奏しました。が、アンサンブルでというのは今回が初めてです。 この曲がきっかけとなって自分の人生を振り返る便にでも成れば望外の喜びです。たまにはこんな音楽も良いと思いますよ。
時は金なり、 2010年01月14日 | Weblog 時は金なり、 ということわざが最も痛切に感じられるときがある。この列車にのらなければ終着駅で次の列車に間に合わず。次の列車に間に合わなければ自分が最重要な役割を果たす会議に間に合わなくなる。 で列車は今でたばかりだ。タクシーで走れば、次の駅か、その次の駅かでなんとか間に合う。タクシーを飛ばした。列車なら1000円もかからないところが10,000円の上が出た。それでも10,000円は欲しくはない。会議が開かれなかった万事きゅうす。 とても10,000円では収まらない。ちょっとした気の緩みから38秒ほど遅れたため、列車に乗り遅れた。そのわずかな遅れがおおきな損失を生んだ。もう懲りた。
サルナート・メモリ 2010年01月13日 | Weblog サルナート・メモリ もの皆静かに集うサルナート 人々は微笑みを交わし、楽しく語らう 極楽にいるように人々は満ち足りた幸福感に包まれる 静かで、のどかで、心安らかな、満たされた聖地 初めて説法をされた尊い聖地サルナート 人々よ、讃えよ、ブッダの徳を。信じよ、ブッダの教え サルナートこそ極楽 人々が初転法輪に耳を傾けたとき、彼らは極楽を得た 心安らかに 心静かに崇めよ ブッダの教え ああ命の共生き 草木も魚も、空飛ぶ鳥も、野を駆ける動物も 讃えよ、たたえよ ブッダ おお わたしのブッダ 人類のブッダ やがて訪れん、安らかな日々に向かって 希望の星ブッダ。サルナート