日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

テスト

2021年12月30日 | Weblog

テスト、テストの世の中である。その結果によって、色づけしたり、
輪切りにしたり。色づけする方も、される方も大変である。

それは、誰だって、自分の能力が測定され、評価によって右往左往
することは好まない。必要悪だと分かっていても、その能力を測定
しなくてはならないのが、人生である。

人の生存は究極において、生存競争の上に成り立っているという現
実の必要性から出ているようだ。

夢破れて

2021年12月30日 | Weblog

男も女も結婚前には夢を見ている。この夢は自分にとって都合の良
い最高の夢である。

ところが結婚して実生活に入ると、直面する現
実の厳しさによって夢から覚まされる。


こんな結婚というシステムを作り、誰がいたずらをして、楽しんで
いるのだろうか。悪魔か善魔か。

こんなワナにかかって、夢破れ離婚するか、それとも人生とはこん
なものだとあきらめるか。

シエークスピアじゃないけれど「人生というものは、それほど良く
もないが、悪くもない」というセリフはなかなか意味深である。

それにしても神様ちょっとこくじゃあないですか。

2021年12月30日 | Weblog
それにしても神様ちょっとこくじゃあないですか。

1、やみくもにこの世に送り出しておき、生きることのルールも教
えない。
2、目隠しされた状態に、泳ぎ方も知らされずに、プールに放り込
まれ勝手に泳げ、勝手に生きろ。
それじゃ間違いをする人がいくらでもでてきますぜ。

水を恐れながら、手足をばたつかせ向こう岸までたどり着ける人も
いれば、途中でおぼれる人もいる。

人生とは結局、神の命ずる修行なんですかね。
それにしても殺生や

淫行も均等で、二五歳の女性 送検o

2021年12月30日 | Weblog
二五歳の女性が一八歳の少年に、性的交渉を迫り、その少年を追い
かけ回して警察に捕まり送検されたと言う夢の様な事件が起こっ
た。
蛙が蛇を飲み込んだ類いで面白い。時として人間社会では面白い事
が起こる。
私は何故こんなことが起こるのか、神様にお願い方々聞いてみるこ
とにした。
「神様。女が男を追いかけ回して性交渉を強要するという、面白い
事件が起こりました。神様が人間に授けなさった性エネルギーの発
現形態が違っているから、男は能動的で女は受け身だとばかり思っ
て参りました。が、これをみる限り、男女平等です。

神様。よくぞ、このことを今度の事件でお示しくださいました。何
でも平等平等と言う御時世、それも結構でございます。
そして願わくは、たとえ十年間だけでも、結構でございます。性エ
ネルギーの発現形態を逆にひっくりかえして、つまり、女が能動、
男が受動と言う形にはしてもらえますまいかそうすると世の中の
有り様が様変わりするのではないかと思います。

我々男には手出しができると言う特権だありますが、時としてそれ
は手負い傷となって心はうずきます。能動的に、積極的にモウショ
ンをかけると言うのも気分の良いことばかりではありません。特に
小生の様な、この面にかけてはドジな男は、自分で手だしするより
も、むしろ先方から、モーションを掛けられる方が気が楽です。気
にいればうけりゃいいし、気に入らなきゃノーサインをだせば良い
と言うのは気楽なもんですぜ。それに自分のモテ具合が分かるのも
自分自身を客観的に眺め、評価する上で必要な事だと思います。

それよりも神さん。なんでっせ。現代の社会は男と女の現状に合わ
せてフィックスされているから、逆の行動パターンになると、いろ
んなところでチグハグがでて来て面白いじゃないですか。何ですか。
お前は暇人じゃと。仰せの通りです。

齢も五十を越えると、普通ならば第一線を退かなきゃならん年代。
どちらを向いても楽しい事などありゃしませんよ。金をかけた子供
は巣立つわ、住宅ローンの支払いはまだ残っているわ、それにくわ
えて自分たちの人生に向けて、なにがしかの準備をせにゃならんわ、
それはそれはほとほと疲れます。その上、心ときめく様な事が、
日常生活の上に起こってくるかと言えばそんな事一つもおこりっ
こない。せめて世の中をひっくりかえしてみて、何か面白いものは
ないかと探すぐらいがオチです。

立場が逆になると言うのは逆転の発想にもなり、新鮮な気分にもな
ること必定、中々面白いとはおもいませんか神様は私と違って、こ
の位のことをするのは朝飯前の筈。一度いたずらにやってみられた
ら如何です

龍山寺 台北 萬華区

2021年12月29日 | Weblog

東京で言えば、浅草のあの賑わいであり、雰囲気がよく似ている。

人々は何を祈っているのか。

心の内は分からないが、悩みの解決であったり、心願成就であったりするのだろう。どこも同じだろう。

仏像の姿形は日本のそれとはちょっと違うぴ金ピカのものが多い 金への憧れか。

日本の像はくすんでいて、何となく重みがあるが、タイ、韓国、台湾どれも極彩色で金ピカのものが多い。

渋い仏像を見慣れている日本人の僕には、おっちょこちょいの軽い仏様に見え、ご利益も薄いように思う。

ありがたさみも半減する。ついぞ荘厳な気持ちにはなれなかった。


集中

2021年12月28日 | Weblog
創作に気を向けていないと、創作はできない。創作は集中そのものであり、それが一番大切である。すなわち自意識をなくすことである

創作こそは我が人生の目標であり、オーバーに言えば我が命である。

集中の邪魔をするのは 

1,金の心配

2,心配事や悩み事 家庭や職場での心配や悩み

山田耕筰先生がちよっと人間離れした感覚を持っておられたのは、作曲に集中しているときに邪魔が入らないように

自衛しておられたのと違うかな

「降ってくる音を書き留め作品に 」o

2021年12月28日 | Weblog
人生の贈り物  朝日新聞から

作曲家の新実徳英さんが、朝日新聞の取材で話されたことである。
「降ってくる音を書き留め作品に 」と言う行がある
常人には理解が難しい台詞であるが、これは何も音楽だけではなく
芸術界や宗教界では 実感できる人も多いのではないか

僕はこのフレーズを実感しながら作曲していた。
(天から)降ってくると言うのか、どこから鳴ってくると言うのか、全然わからないが
、どこからともなく響いて聞こえてくる音楽フレーズを、楽器や歌声を使わずしてキャッチすることがある。
僕は何時、どこで、どんなときに,メロデイが聞こえてくるかはわからないので、すぐ書き留められるように、
いつもポケットに五線紙を用意して持ち歩いている。
そして聞こえているメロデイを書き留めないと、一旦聞き逃すと同じものは再び聞こえてくることはない。だから何があっても書留めを最優先にしている。じっとしていても、歩いていても、会話をしていても、書き物をしていても、ピット聞こえてくる。
丁度流れ星を見ているような現象だ。

僕は自分の意志で作った物ではないから、天空・神の世界から響いてきて、それを僕がキャッチしてノートダウンしていると言うのが現実だ。
別な言い方をすれば、テレビの電波は見えないが、受像器があれば画面に映るように、神がくれる音の波長を僕という受信器が受信するのだと思っている。
僕は楽器や、自分の歌声を使わないで作曲している。
平家物語序章も、延命十句観音経もこうして作曲した。
いや作曲は神様で僕は単にそれを楽譜に移し替えたというのが実際の姿である。八十才を超えてからは聞こえなくなったけれど、こう言う形で五十年間に譜面に落としたのが1000曲以上もある 。
世間的には作曲者は、僕になってはいるが、実際の現実は神様?だと思っている。
まさか作曲者の名前を神様とは書けないから。
でも小林亜星さんみたいに夢の中で作曲したという記憶(鎌様から授かった)は一度も無い。

古い話だが 光市母子殺人事件o

2021年12月25日 | Weblog
光市母子殺人事件 橋下氏無罪
2011年07月15日 | Weblog

母子殺人を犯した少年は死刑になって当然だと思う。命乞いをする母親と幼い子供を殺した上に強姦したという、天人共に許すことが出来ない事件だ。普通の世間常識を持っている人なら、怒りに震えたことだろう。
何よりも許せなかったのは弁護の仕方である。
重大事件を起こした犯人を、ドラエモンを小道具にして弁護に利用したことが、
人々の怒りに火を付けた。殺人という重大事件に対して、もっとまじめな筋道を立てて弁護するのが常識というものだ。ドラエモンを登場させて犯人を弁護すること自体が目に余る弁護活動だ。被害者の夫は誠に理路整然と人間としての尊厳を保ちながら、この裁判に臨んでいた。彼によってどれほど命の尊さに気づかせて貰ったことか。それだけに被害者の人権侵害にも当たるようなふざけた、納得のいかない弁護態度は橋下弁護士の懲戒請求の話を聞くまでは、もって行きようのない怒りを、内心でどう処理して良いのか、いらいらは募るばかりであった。 それは僕ひとりの思いではなかった。大勢の人が弁護団に対して懲戒請求したのである。あのような説得力のない常識外れのばかげたストーリーを誰がまともに受け入れようか。こんな程度の弁護士が弁護士として成り立つこと自体がおかしい。このようなふざけた人物からは弁護士資格を取り上げるべきだ。弁護士会。しっかりせよ。
K大学の心理学者と共に作り上げた話らしいが、僕はこの学者は人間のくずだと思っている。この程度の輩が大学教授?ええっ?ばかこくんじゃねえよ。
彼を雇っている大学は気の毒に思えたし、このレベルの倫理観しかない人間がどうして、教壇に立てるのか不思議でならない。教師である前に常識あるまっとうな人間でないと、人間教育など出来るわけがない。

それにつけても思うことがある。マスコミのバカは自分が偉いと勘違いしている。己の程度もわきまえずに。なんて高慢ちきな輩の集団か。ややもすればマスコミに引きずられそうになる大衆ばかりではないのだぞ。常に斜めに構えて批判的な態度をとっている人間が大勢いることを知っておくべきだ。
天人共に許さないあの悪魔のような人間に裁判で死刑が決まってスットした気分になった。母子を殺された夫たる旦那さんは、もしこれが罪にならない場合は自分の手によって犯人を殺すと断言していたが、それが無法であるとしても、僕は断固彼を支持する。
正義が橋下弁護士側にあった事は喜ぶべき事柄ではない。常識の世界から見ると当然のことに過ぎないのだから。

ユーチューブに75曲

2021年12月24日 | Weblog
ユーチューブに75曲載せている。聞ける 今年の10選は下記のようになっている。

やっぱり演歌は強いなーって感じ

玄海男船は   ダントツの一位
翁橋ブルース ジャズ伴奏が面白い
岸和田だんじり祭り なじみふかい
金沢旅情  一人旅の歌
雨の長崎  長調の長崎もの

恋衣       歌人山川登美子の気持ちを自分に置き換えて作詞作曲
延命十句観音経  純粋のお経文をそのまま作曲した 声楽家の歌唱力とピアノ伴奏がよい
越前竹人形   水上勉先生の小説を歌にしてみた
滋賀のさざ波  ヂュエットの美しい歌謡曲 合唱曲にするともっと良くなる
ワットアルン   タイ・バンコックにあるワットアルンそのものを作詞作曲 英語で歌っている
  

どうなるのニッポン???

2021年12月08日 | Weblog
1000兆円を超える借金をしながら海外援助をする。先進国と言われようと、国民はコロナでいたみつけられ貧しい

貧困層に給付資金を渡すのにクーポンを使ったら960億円かかるという。経費をできるだけ節約してと言う工夫はしない

財務大臣は経費について最初は知らないといった。次はこの程度は仕方が無いという。

国の財政がどうなっているのか実情を知らないのではないか 担当大臣が全然勉強していないのではないか。

責任者がこんな調子だから,ほかにも多くの無駄使いがあるだろう。

1000兆円を超える借金は子孫が支払わなければならない。額が余り多いので呆然となる。

国際援助というなのもとにどれほど金が出て行ったか。

現在では貧困が問題視されているが雀の涙ほどの金を配ることしかできない状況にある。

先進国は名ばかりで実態は中進国か後進国じゃないの

かぎられたお金でどのように国の財政を回すか。誰も真剣に考えていないようだ。どうなるのニッポン???

上浪唱法o

2021年12月06日 | Weblog
上浪唱法

僕のように、日本歌曲しか作曲しない人間は、曲を明瞭な日本語で歌ってほしいという願いが強い。

しかるに大学で声楽を学ぶ人は、ほとんどがベルカント唱法で歌を学ぶ。

日本は縦文字だが、イタリアは横文字である。

どうしても発音が横文字的になってしまって巻舌になる。

ベルカント唱法ではそれで良いのだが、日本歌曲の場合、巻き舌はどうしても日本語発音が不明瞭になる。

演歌を聴いてみると、日本語歌詞ははっきり明瞭に発音されている

演歌歌手のようにはっきりと日本語を発音して欲しいと思っていたところ上浪明子先生に出会った。

僕が知る限りにおいて日本歌曲の歌詞を明瞭に発音されたのは先生において他にはない。

上浪唱法は先生が亡くなられてから、まだ唱法を引き継ぐ人が現れていない。

先生の死は朝日新聞の訃報記事で知った。

残念の一言である。

再び薔薇の花に心をこめてo

2021年12月06日 | Weblog
再び薔薇の花に心をこめて

改めて、山田耕筰先生の最高傑作だと思う。

ユーチューブで色んな声楽家が歌っているが、先生自身のストリングスアンサンブル伴奏で奥様山田真理子夫人がうたわれているものが、作曲家自身の指揮での思いを最も良く表現できている。この曲は神に捧げられたものらしい。
曲に込められた神聖さ,それにふさわしい気品が演奏によって醸成されるから、歌唱表現は工夫がいる。
声楽家が声楽的に歌曲として歌うのはにもっともな話であるが,作曲者の意図は歌唱表現だけのものでは無い。
わかりやすく言えば先生の祈りの部分だろうと思う、
合唱曲も聞いてみた。編曲のせいもあるかもしれないが、ただ歌っているだけで祈りの部分が伝わってこない。
ソプラノ独唱も何人かの歌唱を聞いてみたが、歌うことに精一杯で神聖な祈りの部分は余り伝わってこない
この曲に盛られた人間の魂部分は先生最期の指揮をされ、夫人が歌われたものに勝るものはない。
僕は床につくと良くこの曲を聴くが、暗闇のなかで,祈りの気持ちが彷彿として呼び覚まされる
僕が知る限りでは山田先生の多くの歌曲の中で、最高傑作の歌曲である