人生行路は後も先もみえない。ある日突然、この世に産み落とされ、自力で人生航路を渡って行けと運命つけられる。
そして人生航路は後も先も一寸先は闇である。
どんなに英知を絞っても、判らない部分が多いが、そこに宗教に名を借りた、まがいもの宗教の悪徳金儲け、悪徳商法がつけいる隙がある。
新聞報道によると、下記のような事件がまた起こった。
真実の宗教人だったら、こういう事を宗教人としてやって良いことか、悪いことか、判断がつくはずである。もし宗教に名を借りてこのような銭もうけをするというなら、それは宗教人ではない。宗教に名を借りた詐欺師だ。
仏教では僧侶はごくわずかな生活費を除いて他に金は不要のはずである。お金が必要だと言う時点から、まともな僧の道からドロップアウトして、餓鬼道に陥った、そこらそんじょの人間だ。こういう類の輩を宗教人とは言わない。従って信用するに足りない。
高島易断といえば、我々は、暦で、よく見かける。これは運勢暦の発行部数が多い高島易断所や、高島易断総本部神聖館などと、今回の団体とは関係がないらしい。しかし通称高島易断XXを語っているところを見ると、一般庶民はうさんくさいとは思いつつも、先の見えない人生に何らのアドバイスを得て、困難の打開をはかろうとする。
大体相談に訪れる人は何らかの問題を持った人達である。当面する問題に困り果てて、ワラをもすがりたい気持ちや、状況に陥っている人から、差し迫った問題はないが、将来にむかって漠然とした不安を持っている人まで、多種多様であるが、宗教がこれらの人に対応する時は、相談料を取るなんて、とんでもない話である。相談した人がお礼として、金品を提供するのが筋で、鑑定士とやらが金品に定価をつけて買わせることは、基本的には宗教と何の関係もないことである。
あくまで志しつまりお布施の領域を越えてはならない。これが常識である。
前後特に未来にむかっては何も判らない、何も予知できない、人間にむかって相談者の未来に不安があるかのように、言うことはとんでもないことである。ある種の脅迫だ。
普通の人間は自分や近親者の死を初め、就職や縁談などには関心を持っている。そう言う人たち向かって、死について確定的なことを言ったり、結婚が出来ないと言ったり、することは鑑定士ごとき人間に出来る事ではない。こんな事が判るのは神仏だけのことで、例外的にごくわずかな霊能者しかできないことである。とにかく人間が出来ない事は確かだろう。
経済産業省は、根拠のないことを吹き込んで商品を買わせたり、相手を困惑させた状態で契約していることなどが、特定小取引法違反に当たると見て、業務停止命令を出すらしい。当然だ。
鑑定士は訪ねてきた人たちに、最初は2000円で鑑定する。
数十分かけて、家族関係や自身の過去の病歴などを詳しく聞いて、おもに不安要素を話題にして、このままでは、2年後に病気になり、お墓に入るとか、因縁をとり払わなければならないと、1時間も2時間もかけて相手を不安にさせる。
そしてそのとり祓い料として特別な鑑定料が必要だとして、特別鑑定料を要求。 寺での祈祷や石塔仏具の購入を勧め、供養塔を立てて祈願すれば、因縁をとることができるなどと進める。
コメントすれば鑑定料の2000円は常識的なこととして、受け入れても
相談者の事情を聞いて、その事情につけ込み、死ぬだの、病気だの、お墓だの、結婚できないとか、誰にも正確なことが判らないのに、それを因縁と言うところに問題集約し、因縁を取り払う為の処方として、特別の祈祷やら、物品の購入やらをするようにしむける所に詐欺ペテンの類が隠されている。
これをうまく説得したり、その気にさせる為の方法として、鑑定士には、相談者を不安にさせる鑑定結果を出す内容の詳細なマニュアルがあると見らる。と新聞には書かれているが、これこそ悪質そのもので、宗教という仮面をかぶった薄汚いペテン商法そのものである。
業務停止は当然であるし、この手の悪徳商法にひっかからないように気をつけた方がいい。
ちなみに因縁と言うことは確かに仏教書にやお経には出てくるが、解消出来るのは当人の行いで、決して他人頼み(坊主頼み)ではない。当人が神が認める善行や徳を積んだときに初めて、ヘドロのようにたまっている悪い因縁を解消する手段に手をつけることになる。
そしてその積徳が神仏に認められたときは、悪因縁は解消されていく。因縁解消は自分自身がするもので、間違っても他者に金を払ってしてもらうものではないし、そう言う性格のものではない。
もし金を積んで宗教関係者に因縁の解消を頼み、実際に解消されるならば、ルターの宗教改革は起こらなかったはずだし、金の多寡で因縁解消をしてくれる宗教があるとすれば、それは全くのインチキ宗教だ。近寄らない方が良いと思う。
そして人生航路は後も先も一寸先は闇である。
どんなに英知を絞っても、判らない部分が多いが、そこに宗教に名を借りた、まがいもの宗教の悪徳金儲け、悪徳商法がつけいる隙がある。
新聞報道によると、下記のような事件がまた起こった。
真実の宗教人だったら、こういう事を宗教人としてやって良いことか、悪いことか、判断がつくはずである。もし宗教に名を借りてこのような銭もうけをするというなら、それは宗教人ではない。宗教に名を借りた詐欺師だ。
仏教では僧侶はごくわずかな生活費を除いて他に金は不要のはずである。お金が必要だと言う時点から、まともな僧の道からドロップアウトして、餓鬼道に陥った、そこらそんじょの人間だ。こういう類の輩を宗教人とは言わない。従って信用するに足りない。
高島易断といえば、我々は、暦で、よく見かける。これは運勢暦の発行部数が多い高島易断所や、高島易断総本部神聖館などと、今回の団体とは関係がないらしい。しかし通称高島易断XXを語っているところを見ると、一般庶民はうさんくさいとは思いつつも、先の見えない人生に何らのアドバイスを得て、困難の打開をはかろうとする。
大体相談に訪れる人は何らかの問題を持った人達である。当面する問題に困り果てて、ワラをもすがりたい気持ちや、状況に陥っている人から、差し迫った問題はないが、将来にむかって漠然とした不安を持っている人まで、多種多様であるが、宗教がこれらの人に対応する時は、相談料を取るなんて、とんでもない話である。相談した人がお礼として、金品を提供するのが筋で、鑑定士とやらが金品に定価をつけて買わせることは、基本的には宗教と何の関係もないことである。
あくまで志しつまりお布施の領域を越えてはならない。これが常識である。
前後特に未来にむかっては何も判らない、何も予知できない、人間にむかって相談者の未来に不安があるかのように、言うことはとんでもないことである。ある種の脅迫だ。
普通の人間は自分や近親者の死を初め、就職や縁談などには関心を持っている。そう言う人たち向かって、死について確定的なことを言ったり、結婚が出来ないと言ったり、することは鑑定士ごとき人間に出来る事ではない。こんな事が判るのは神仏だけのことで、例外的にごくわずかな霊能者しかできないことである。とにかく人間が出来ない事は確かだろう。
経済産業省は、根拠のないことを吹き込んで商品を買わせたり、相手を困惑させた状態で契約していることなどが、特定小取引法違反に当たると見て、業務停止命令を出すらしい。当然だ。
鑑定士は訪ねてきた人たちに、最初は2000円で鑑定する。
数十分かけて、家族関係や自身の過去の病歴などを詳しく聞いて、おもに不安要素を話題にして、このままでは、2年後に病気になり、お墓に入るとか、因縁をとり払わなければならないと、1時間も2時間もかけて相手を不安にさせる。
そしてそのとり祓い料として特別な鑑定料が必要だとして、特別鑑定料を要求。 寺での祈祷や石塔仏具の購入を勧め、供養塔を立てて祈願すれば、因縁をとることができるなどと進める。
コメントすれば鑑定料の2000円は常識的なこととして、受け入れても
相談者の事情を聞いて、その事情につけ込み、死ぬだの、病気だの、お墓だの、結婚できないとか、誰にも正確なことが判らないのに、それを因縁と言うところに問題集約し、因縁を取り払う為の処方として、特別の祈祷やら、物品の購入やらをするようにしむける所に詐欺ペテンの類が隠されている。
これをうまく説得したり、その気にさせる為の方法として、鑑定士には、相談者を不安にさせる鑑定結果を出す内容の詳細なマニュアルがあると見らる。と新聞には書かれているが、これこそ悪質そのもので、宗教という仮面をかぶった薄汚いペテン商法そのものである。
業務停止は当然であるし、この手の悪徳商法にひっかからないように気をつけた方がいい。
ちなみに因縁と言うことは確かに仏教書にやお経には出てくるが、解消出来るのは当人の行いで、決して他人頼み(坊主頼み)ではない。当人が神が認める善行や徳を積んだときに初めて、ヘドロのようにたまっている悪い因縁を解消する手段に手をつけることになる。
そしてその積徳が神仏に認められたときは、悪因縁は解消されていく。因縁解消は自分自身がするもので、間違っても他者に金を払ってしてもらうものではないし、そう言う性格のものではない。
もし金を積んで宗教関係者に因縁の解消を頼み、実際に解消されるならば、ルターの宗教改革は起こらなかったはずだし、金の多寡で因縁解消をしてくれる宗教があるとすれば、それは全くのインチキ宗教だ。近寄らない方が良いと思う。