橋下八策について 12/01/30 5,672位 / 1,678,875ブログ中
橋本氏が提案したとき、その構想は、中身がすべて決まっているわけではないから、当時は絵に描いた餅的発想だとして、現状維持の案しか出せない対立候補がいた。そして、それをベースにして、大阪都構想に反対した学者ら評論家が多くいた。
大阪都構想は、最初は大枠だけ決まっていて、中身の詳細については、選挙で、大阪府市民の賛同を得てから、実現可能な案によって、その中身を詰めていくという事しかありえなかったのだろう。
彼は当選するや否や、その中身をどんどん実行している。そういう現実を見てみると、彼の提案・大阪都構想に付いての不安は、徐々に解消されてきている。
だから、大枠だけの提案の大阪都構想はこれでよかったのだ。
戦後60年を越えて、内外情勢の激動によって、国内事情も大きく変わっているにもかかわらず、それに対応が出来ないで、ドンドン衰退して行っている日本国をここでもう一度見つめ直し、改めるべきは改めることによって、日本再生を図ろうとする、船中八策ならぬ橋本八策を立案中だという。私は大いに歓迎したい。
参考
せんちゅうはっさく1 【船中八策】
1867 年、坂本竜馬が上京の船中で後藤象二郎に示した八か条の新国家構想。大政奉還・議会設置・大典制定・海軍拡張・諸外国との国交樹立など。大政奉還は土佐藩の建白により実現、以下は五か条の誓文および新政府に受け継がれる。
橋本氏が提案したとき、その構想は、中身がすべて決まっているわけではないから、当時は絵に描いた餅的発想だとして、現状維持の案しか出せない対立候補がいた。そして、それをベースにして、大阪都構想に反対した学者ら評論家が多くいた。
大阪都構想は、最初は大枠だけ決まっていて、中身の詳細については、選挙で、大阪府市民の賛同を得てから、実現可能な案によって、その中身を詰めていくという事しかありえなかったのだろう。
彼は当選するや否や、その中身をどんどん実行している。そういう現実を見てみると、彼の提案・大阪都構想に付いての不安は、徐々に解消されてきている。
だから、大枠だけの提案の大阪都構想はこれでよかったのだ。
戦後60年を越えて、内外情勢の激動によって、国内事情も大きく変わっているにもかかわらず、それに対応が出来ないで、ドンドン衰退して行っている日本国をここでもう一度見つめ直し、改めるべきは改めることによって、日本再生を図ろうとする、船中八策ならぬ橋本八策を立案中だという。私は大いに歓迎したい。
参考
せんちゅうはっさく1 【船中八策】
1867 年、坂本竜馬が上京の船中で後藤象二郎に示した八か条の新国家構想。大政奉還・議会設置・大典制定・海軍拡張・諸外国との国交樹立など。大政奉還は土佐藩の建白により実現、以下は五か条の誓文および新政府に受け継がれる。