日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ダムダム空港

2022年01月23日 | Weblog
               ダムダム空港         

                
 40年間日本航空の乗務員として世界を飛び回った兄から、イのつく国に行くと、ろくなことはないから、気をつけろと言われてはいたが、ピンと来なかった。
 インドの仏跡巡りをしようと思いたっていた私は兄の警告も上の空だった。
最悪コースのどつぼにはまる

遥か三千里、お釈迦様の国、天竺への思いは、はやるばかりであった。
加えて、インドへ行きたいと思ったもう一つの理由は、仏伝図レリーフが日本に招来された折り、お経、舎利礼文に曲をつけてお供えしたことがあるが、それが北日本放送から特別番組で放映され、さらに、ビデオが英文に吹き換えられてインドに送られたから何となく親しみを覚え、憧れを抱くようになったのだろう。
 
とにかく行きたい。一日も早く行きたい、憧れにせき立てられてイのつく国がどんな実状の国かもかも知らず、また調べもせずに、訳の分からないまま、カルカッタのダムダム空港におりたったのは七月二十日の夜半、二十二時四十五分、激しく降る雨の中のことであった。

 私の計画ではブッタガヤからラージギル、ナーランダの大学跡を見てバラナーシーに抜け、サルナートへ行く予定だった。クシナガラ、ルンビニは次回にゆずって、そのかわり,
アーグラやバラナシではゆっくりしようという算段だった。
 
北西インド、つまり、カルカッタからデリーまでの約千四百キロあまりを旅しようと計画したのである。そしてこうすることによって、生活の中にとけ込んでいる仏教の発祥の地をこの身で体感したかったのである。
 
日本にはいまだかって出たことのない大聖人、お釈迦様とはいったいどんなところで生活されたのか、どんな自然条件の中から、あんな偉大な人物が生まれたのか、悟りを得られたというボダガヤの菩提樹の木の下で、私はいったい何を思うのであろうか、そんなことが次から次ぎへと脳裏をかすめ、興味がもくもくとわき上がって来たのである。
 
しかし今振り返ってみると私は好んで観光ずれした最悪のコース(これが最も人気が有ると言われてはいるが)を選んだみたいである。私もそう思うし、このコースを旅した人がよく言うことである。評判は芳しくない最悪のコースのどつぼにはまったみたいである。     

恋衣o

2022年01月23日 | Weblog
恋衣

今は幻の恋人であっても 話したくない離れない
恋の戦に敗れても     恋衣は破れない
例えこの身は召されても  私の恋は終わらない
あなた色に染まる     恋の炎は
激しくもえるのよ
ああー貴方は今も  私のそばにいる

最近思ったことことですが、コンピューターでは作曲は出来ないと言うこと、アレンジは確かに便利ですぐ出来ます。

最初にひらめく曲想は人間以外のものでは出来ない、ということが判ってきました。やはりギターとかピアノを演奏(さっきょくのための)することの方が便利です。

今年こそはとかけ声ばかりですが、まこと今年こそはヒットする作品を書きたいものだと頑張るつもりです。

、与謝野鉄幹をめぐる2人の女、すなはち鳳晶子と山川登美子の恋愛もので、あらすじを登美子サイドから書いてみました
彼女については、かなり調べたので後は、作詞して曲をつければ良いのですが、さて歌手を誰にするか、が問題です。

恋争いで晶子に破れはするが、彼に対する思いは決して負けるものじゃないと言うところを強調して書くつもりです。人間の真実なんて誰にもわかったもんじゃない。
ただ調べるほどに彼女が気の毒な運命にあったようです

僕は彼女の実家のある福井県小浜まで車で行ってきました。1人の人間の命が掛かっている作品だけにふさわしい作品を作らなければとはりきっています。登美子に限らず恋愛は成就したほうの数が圧倒的に少なく、人は切なく苦い思いを経験させられる方が多いような気がします。何故なら人生は自分の思うようにならない鉄則があるからです。だから登美子のことを書いても実は大多数の庶民感情をすくい上げてると考えています。
どんな風に受け止めてもらえるか楽しみです

人生の様相は人様ざまです。しかしなべて人生は思うようにならない上に孤独です。これは当たり前の話しですが、気もちとしてそう思いたくありません。


拝復

2022年01月23日 | Weblog

拝復
楽しく読みました。それにしても時期がずれて良かったですね。地震に遭遇していたら今ごろこんな気楽なことは言っておれません。
今日手書き新聞拝見。あなたは随分旅なれているなという感じ。取材はもっとしたんでしょ。
コース、印象記、食べ物 出会い 見物先 宿、 車中 後は食べ物1、2、3、4.という構成ですね
ストックでまだ未発表の部分を道中でしっかり聞かせてください。楽しみです、僕が行ったときも電脳,補習は盛んだったが相変わらずですね。台湾はもう全土が都会みたいですね。高雄では岡に上って全市一望されましたか。あれが一番印象にあり、その次が円山飯店の建物かな。台北の故宮博物館は意味がわからなかった。書、絵画、陶芸、民芸品などにはまったく関心が無いので、素通り。4階?で休んでいたときに聞こえた胡弓のメロデイが美しかった。万華街にあるロンサンスー龍山寺ー辺りの雰囲気は良かった。特に西華街の蛇は気持ち悪かったが印象深かった。
僕は東南アジアに行くとまず病気のことを考えて食べ物も制限してしまう。フルーツは特別好きで食べたいのだが、安全を確認するまでは手が出ない。細菌性下痢、 食当たり、食中毒などで床にふした人をたくさん知っているけど皆さん良くやるなと感心はするが自分は出来ない。次回もピュアを持っていきます。

さてタイの件だが
1、水上マーケットほどつまらないものはないというのが僕の実感です。朝5時に起きて見に行ったが(このときはツアーだった)船をこいで行くと観光化した物売り船が近づいてきて商売をはじめる振り払って進むと川の左岸に大きな土産物屋があってここで船を下ろされて、そこにはいる。何か買わされるが、それが市内の店で買うよりも高い。たとえばスカーフはジムトンプソンよりも高い値段がついているあとでこのことを知って腹が立った苦い思い出がある。このことを話したら行った人は同じような怒りを感じていた。もう二度といくものか僕はニホンジンノートにそう書いておいた。商売のドツボに掘り込まれてしまうだけで盛り上がることはないと思います。あなたが希望だったらもちろんお供しますが。
2、バンコクだけでは勿体無いのでアユタヤ、出来ればスコータイまで足を伸ばすのもいいですね。
僕は初めてです。行って見ませんかメーチャンのところまでは行けないのと違いますか。多分時間が無いと思います。その他現地で臨機応変に対応しましょう。 

僕の作品送ります。聞いてみてください。
竜馬がいく 司馬遼太郎がお好きなようだから彼の作詞による歌 花供養(僕が勝手に名前をつけた)です。これはすごく質の高い作品です。 三千世界とか仏三千とかの世界です。司馬さんのつかんだ世界をどれだけうまく作曲するかそれが僕の腕前ですこの曲は条件反応的に出来て僕も驚いた作品です。

2、飛鳥路は大和ののどかさを作詞作曲したものです。女性二部で美しいメロデイです。
聖徳太子賛歌は1150年祭記念作品です。煩悩賛歌歌っているのは宝塚スターです。演歌も作るのですよ でもどちらかといえば。叙情歌曲が得意です

3、エッセイは何篇か入れておきます

最近の恋愛は

2022年01月23日 | Weblog
Love Story
 
  最近の恋愛は、この物語のような恋愛とはかなり異なってしまっている様な気がする。現代の恋愛は何か表面だけをとりつくろっている感じがしてならない。又お互いの存在がどのようなものなのかということをあまり重要視していない傾向があるように思われる。その反面、この物語では愛は男女間の深い絆によって結ばれている事、そしてお互いの価値というものを十分理解して、愛し合っているということを言葉の節々から読者に訴えている。例えば、P119の
Love means not ever having to 
say you’re sorry”というジェニーの言葉の文章から、彼女がこの言葉を残したことで、いかにオリバーとの恋愛が本物で、深い絆で結ばれ、なによりオリバーから愛されているという自信を示す決定づける文であり、重みのある言葉のように感じた。又、この言葉はオリバーに対して彼女が彼との恋愛に満足していて、そして彼と出会うことができた喜びを示しているように感じた。
 今の時代に、恋愛をしている女性達が、後に自分の恋愛を振り返った時、もしくは彼女と同じ境遇に立った時に、彼女のようにこのような思いを果たして感じるのだろうかとふっと考えてしまう。このジェニーの言葉により、今を生きる私たちが、恋愛に対しての考え方を再度考えるいい機会の一つになるのではないか。
 現代は何もかもがありあまるぐらいあって、本物の価値をみきわめることが困難な時代になってきているようだ。又、その影響も現代の男女間の恋愛観にも反映していると思う。そう考えると彼女の言葉が読者の心に再度生きて、本物の恋愛とは何かを追求していき、恋愛相手が自分にとってどのような存在なのかということに気づくいいきっかけになる。彼女のオリバーに対しての言葉一つ一つが、この物語を読む読者に、本物の恋愛について考えるための一つのヒントを与えているようだ。そしてその答えが見つかった時、初めて本物の恋愛をしたと実感するのではないか。私も、彼女のような言葉がいえる恋愛をしてみたい。そして本物の愛とはどのようなものかを見つけてみたいとつくづく実感した。

御礼とか感謝とか8-45

2022年01月23日 | Weblog
歩き遍路であれ車遍路であれ,遍路をされた人人の体験談を読んでみると必ずと言って良い程,御礼とか感謝とかいう言葉が出てくる.
普通の観光 旅とは違ってこれは物見遊山気分ではできない旅である
ある人は1200キロを歩き通し,またある人は例えマイカーで巡拝すれにしても、山門や本堂の軒下で野宿をするようなきつい旅行をしている人たちが多い.
その人たちが御礼とか感謝とかいう言葉を口にするのだから我々が日常会話で使っている言葉の意味とは少し違うように思う..
普通の観光旅行と違ってかなり厳しい条件の旅をしつつもどうして御礼とか感謝という言葉が出るのであろうか.普通の常識からいうとそこに何か違和感がある.
しかし私が違和感を抱こうとそういう遍路をされている人は心の底から
気持ちを込めてそれらの言葉を口にされるからそれは真実の言葉なのである.
四国88カ所遍路して回る旅はひとつには自然とのふれあいであり
また四国の人々の暖かい人情に触れることでもある
それによって、普段は心のをそこに閉じこめられでしまって心のそこで眠ってしまっている感謝という言葉や気持ちを思いだしたりして人間本来の素直な気持ちになることからいう言葉が出てくるのであろう
いずれの年からか私もまた菅笠や2白装束の遍路姿ににあこがれを抱きバイク遍路を始めるようになった
確かに肉体的には楽な旅ではないが、精神的には今まで経験したことがないようなすがすがしいさを感じる。
もちろんお大師さまには心を寄せて同行二人という安心はあるものの
初めての遍路の旅ということもあって心細い感じもした

私が四国遍路を思いたった理由のひとつに先祖供養ということがある
今は亡き父母や父方や母方の祖父母の菩提を弔うために写経をしてそれを本堂と大師堂に納経するために遍路したいのである
簡単なことではあるが、写経100枚はそれなりに我慢のいることであった。100枚目が終わったときに私はまずありがとうという言葉が口から出た、さあ出来た。やれやれ。これでいけるという前に、ありがとうが出たのだ。何故だかわからないが、ごく自然に腹の底から出た言葉であった。
ひょっとしたら お遍路さんは今の私のような状態でごく自然に御礼の言葉が出たり感謝の言葉が出たりするのではなかろうか。
意図していう言葉ではない。自然に口をついて出る言葉である
もちろん遍路には人それぞれの目標がある。それが成就されたとき
には、感謝の気持ちが湧いてきて当然だ。
そして目的成就を考えてみるとそこには同行二人つまりいつもお大師さまが側にいて、付き添ってくださりそのおかげで満願成就したという実感もある。
理由はなんであれ物欲に振り回されいつも飢餓状態に置かれている現代人が幸せのもとである感謝の気持ちを取り戻したあるいは自覚したというのなら現代人にとって遍路することこそ幸せへの近道ではないかそんなことも考える。
さて私は8月末の天候にはいらいらしている。あんなに暑かった日照りの続いた今年の夏は早衰えて秋雨前線が2、3日おきに雨を降らせている。バイクで走るには雨の日は都合が悪い。雨で写経がぬれて字がにじんでしまうことも考えられるし、なによりも道が滑って危ない。
そこで私は天気の日を選んで巡ろうと思っている。

それにしても長いあいだ忘れかけていた感謝の心を教えて、とりもどさせてくれた四国遍路には感謝したい気持ちでいっぱいである
お大師様ありがとう。四国遍路ありがとう。









ある日ふっと

2022年01月22日 | Weblog
   ある日ふっと

よく考えてみろ。
おまえは無限に生きるわけではない。今は死ぬことなんて夢にも考えないが、おまえが死を避けることは決してできない。 だが死は死んだ後にでも考えたらよい。今は生きているのだ。精いっぱい生きるんだ。生きて、生きて、生きまくれ。生きる実感を味わうということは[生きていてよかった」と実感できることを、ライフワークとして、それを1つに追い求めることだ。
こんな形で自分を生かすことこそ、なによりも大切である。せっかく生まれてきたのに、泡のように消え去るのは、何としても残念なことである。
充実感、それは生きがいに結びつく、仕事に就くことである。そしてそれはいったい何なのか。10年間でまだわからない。この会社にいて満足した日々を送っていないことだけは事実である。
なぜか。自分のやりたいことを、やっていないという不満が渦巻いているからである。
最低限度の生活をする金は必要だが、大きな家に住みたいとか、高価な衣服を身にまといたいとか、高級料亭で飯を食いたいとか、別荘を持ちたいとか、そんな気持ちは起こらないので、普通の庶民生活が出来れば十分満足だ。
金、金、金と金を追い求める生活は望まない。現代の風潮である金万能主義。そういうメカニズムに、組み込まれるのはもう嫌だ。
ある日ふっとそんな想いが胸を横切った。

音楽プロデューサーのレベルが低い

2022年01月20日 | Weblog

現代なぜヒット曲が生まれないのかという問いには、僕は音楽プロデューサーの貧困を上げる。

歌を歌としてよう出さないから、付属品として奇妙なダンスや照明や衣装などの力を借りようとしている。

歌は歌で勝負である。付属品は必要ない。

芸術性の高さより新規の物珍しさや売上を狙って、結局は駄作に駄作を重ねて自分の首を絞める結果を招いている。

いつの時代でも良い歌を書く作詞家も作曲家もいる。

これを見つけて世に出すことが本来のプロデューサーの使命ではないのか。

それを目指せないというのはレベルが低いということである。

音楽プロデューサーはそれを自覚すべきだ 。歌に対して深く考えている人が少ない。

歌についてもっと深く考えろ。大衆は何を求めているのか?それを知るのが一番大切だ。

君の感性とやらに従って歌を選定しているようだが、それが一般民衆の求めているものと乖離しているのだ

 どうして?なぜ?

2022年01月19日 | Weblog
卓越した演奏技術でもないのに、この演奏がどうして心に沁みてくるのだろうか。

ポツリポツリで滑らかでないのに ,いやむしろ危なかしいピアノタッチではあるのに

その一音一音が心に染み通ってくる。

近頃こんな感動したピアノ演奏は聴いたことがない。  どうして?  なぜ?

音にうるさいはずの僕が、どうしてこんなに感動するのだろうか。

曲は皆がよく知っている「花は咲く」だが、演奏者の話によると小学1年生までピアノは習っていたらしいが

それから66歳になるまでピアノに触れていない。つまり演奏していないという話だった。

メッセージは演奏が終わってから聞いた。

安倍さん。あなたの奏でるピアノによって 得も言えぬ 気分になりました。

結構なプレゼント。 ありがとう。

メッセージにあったように、みんなで力を合わせて困難を乗り切りましょう。

このメッセージに僕が共振したことはに間違いないが、ピアノ演奏とは次元の違う話である。

未完成交響楽o

2022年01月06日 | Weblog
未完成交響楽

「わが恋が、終わることのないがごとく、この曲が終わることなし」
1X2=2 2X2=4 から黒板に、2/4 が生まれ、質屋の娘が投げてよこ
したゲーテの詩「野バラ」が算数の授業の真っ最中に、黒板の上で
作曲されていく。

作曲は、作曲家のハートによってなされるもので、楽器によってな
されるものではないことの証明である。

ピアノは、音の確認のために補助的に使われるものであって、ピア
ノによって作曲されたというのは、本末転倒の話である。

私にも、教壇に立って、授業をしている真っ最中にメロデイーが湧
いてきて、あわてて胸のポケットに忍ばせてある5線紙に書きとめ
た経験がある。

神は、洋の東西を問わず、特定の人に、時間空間を超越して、メロ
ディーをお与えになる。

そこで私は神にお願いしたい。シューベルトに与えたもうた美しい
メロディーを私にも与えたまえ。と、

天花燦燦o

2022年01月04日 | Weblog

天花燦燦 てんげさんさん。
すべてのものに宇宙の命が光り輝いている
私の家に この文字と ボタンの花が一輪描かれている額がある。
瀧藤尊教師から頂いたものである。

花は陽光に光り輝いている。
この輝きの中に天地の恵がいっぱい満ちている 。
これは神仏霊の命の輝きでもある。
この燦燦 とかがやく相を眺めていると万物すべてに大きな命が活
き、輝いていることをしみじみと感じることが出来る。
そうだ。天地のものみなすべてが宇宙の輝きなのだ。この世は佛界なのだ

四天王寺 105世管長  瀧藤尊教
瀧藤師は比叡山において百日の回峰行を体験された方である。

夜中の二時に寺を出て、わらじ履きで獣道を歩き、、行中断のとき
は自殺するために短刀とロープを持って山中の300箇所で拝み、
山川草木すべてこれ佛性と拝みたおし、暗闇の山中を歩く。さらに
75日目からは京都の市中周りが加わるので、不眠不休の日もある
とか。

そんな極限の生存体験の中に出てくるのが「私がこの宇宙の中にい
るのではなくて私が宇宙そのものだという発想の転換」。そしてこ
のことこそ行の功徳だといわれる。

幾重にも脱皮されて、世俗の垢を落とされ、すばらしい境地に立た
れた師を見るとき、暖衣飽食の生活に慣れた私は尊敬の眼差しで師
を自分の心の棚に祭る。

等質、同質は集まる

2022年01月04日 | Weblog


等質、同質は集まる。
似たもの夫婦 同じ価値観を共有 思考、行動、道徳律など共有で
きる出来る者といることは心安かである。

なぜなら比較的すぐにお互いが理解出来るからである。
ただしこの考え方は差別意識を生まないか。排他的にならないか。

異質な者との共生を掲げる地球規模での思考や価値観と対立しな
いか。偏狭にならないか。

生活上のパートナーとして妻が必要になり、仕事上の女は恋愛とい
う無責任な関係が必要悪として存在している。

なんたる身勝手と思う事なかれ。過去も現在も将来においてすらも、

社会的に良い仕事をした、する男は恋愛を求めた。過去の実績が示すところである。

彼にとっては仕事も恋愛も人生のロマンの1つなのだろう。

去年の紅白歌合戦

2022年01月03日 | Weblog

見たくなかったが、渋々見たけれど
何を考えてこの番組を作っているのか。腹が立ってくる

アイデアをこらしたというのだろうが、どちらを向いて趣向を凝らしたのか
肝心なのはお客の満足度だ。カラフルにしてお客が喜ぶか、低脳もいい加減にしろ

この番組の本質はなになのか
一年あったことで人々は今年一年の諸々の思い出をこの番組にタクして歌とともに総決算をしようと思っている人が多いにも関わらず
カラーで、アクロバットで答えようなんて低脳過ぎる

人々への想いは何処まで取り入れているのだ。一体何のための歌番組なのか
その辺の検討がまるでなされていない。お客離れが起こるのは当然だ。

この程度の企画で国民を引っ張っていこうなんて思い上がるな,低脳揃いのくせに。
プロヂューサーと言う男さっさと首になれ。邪魔だ

年々歳々視聴率が下がっていくはの、誰の責任か
国民の金を使ってやっているという自覚はあるのか。

こんなばかげた番組に成り下がった責任はNHKにある。もっと真摯に反省せよ
もっと国民のことを考えて真面目に仕事せよ