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東京マラソンで、大迫選手が日本記録を更新して日本人トップでフィニッシュ、3人目の代表内定が濃厚になった。
新しいシューズの影響もあるだろうけど、ランナーのそれまでのトレーニングやレースの要所要所での判断が結果を左右することには違いがない(どうせみんな同じような性能のシューズを履いてるわけだし)。大迫選手の試合運びが、今日のレース・今日の気温・今日のコースと彼のコンディションとマッチした結果、ということなんだろう。
オリンピックは4年に一度戦争していても一旦休戦して、平和の祭典として開催されてきた。だから新型コロナがパンデミックを起こしていても、世界に勇気を与えるためにやる、みたいなロジックを展開する人がいる。組織委員会のなかにも「やることしか考えていない、やらない可能性に関しては全く対策をしていない」というアホが人間の形をしてるだけみたいな人もいる。
オリンピックだからって、ウィルスが活動停止してくれんのか?ウィルスを前にお前の思考が停止してるだけだろう、と言いたい。一体オリンピックを何のために利用したいんだ?と問いたい。
確かにかかった人の8割は症状を示さないか軽症だけど、ワクチンも特効薬もない。一度罹患したら抗体ができて二度とかからなくなる、なんてものではなく、風邪のように年間なんどもかかるような感染症のようだ、という正体も明らかになってきている。
スポーツを通じて平和の尊さを実感するオリンピックで、治療法が充実していない感染症をみんなで共有し合って、それぞれの国でさらに蔓延せるのは、オリンピズムに対する冒涜じゃないのか。
オリンピック憲章の最初の方に、オリンピズムの根本原則というセクションがある。以下に部分的に引用
オリンピズムの根本原則
1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するもの である。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、 さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
2. オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、 人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
(以下略)
中止や延期について発言を繰り返すIOC最古参のパウンド委員が「実質的担当者ではないからIOCを代表したものではない」と過小評価するのは簡単だけど、彼の発言のほうがはるかに説得力があるし、「アスリート・ファースト」だとして、いきなりマラソンと競歩を札幌に移したバッハ会長が、巨額の放映料がからむオリンピック自体の開催についてだんまりを決め込んでいることに、疑問を呈した発言ともとれる。
忘れてはいけない、ダイアモンド・プリンセス号のときに、諸外国は対応を日本に丸投げしながら、あとから批判に転じた。パウンド委員の救いの手を今つかまなかったら、日本はどうなっちゃうんだろう、と恐ろしい。
もういちど、オリンピックとは何のためのものなのか、じっくり考えて答えを出す時ではないだろうか。今回この状況にあってオリンピックを予定通り開催することが、「スポーツを社会的な責任や普遍的・根本的な倫理規範のベースにする」ような行為なのか?オリンピックを感染症蔓延時に開催することは、「人間の尊厳を重視する社会の推進」に資するものなのか?
日本の社会防衛も忘れてはならない。大会会期前までに国内で感染をある程度抑えることができても、オリンピックで諸外国から感染者を大量に引き受けたら、感染が再燃するリスクもある。去年のラグビーワールドカップでインフルエンザが秋口から流行し始めた、あれが、もっと大規模かつ深刻な形で起こる。抗体が作られにくいという新型コロナの特徴からしても、可能性は決して低くない。しかも再び大量の外国人感染者を日本の病院で受け入れる必要性すらあるわけで、日本人のための医療資源を外国人感染者で使い果たしてしまうかも。
高齢化社会の日本で、それは受け入れていいリスクなのかそうじゃないのか?諸外国・国際機関の感染症の専門家も交えた関係者の間での冷静な議論が必要なタイミングではないだろうか。今回は決して日本だけで決めちゃだめだ。
追記:2/25現在の東京オリンピックに関するBBCの記事は以下にある。超ざっくり訳すと、パウンド委員は「今現在は東京で開催されるということ(=開催されないという決定がなされていない)なので、選手諸君は自分のやるべきことに集中したまえ。WHOが海外渡航と回避すべき目的地をどう決めるか、各国政府がそれをもとに日本への渡航をどう判断するか、がIOCが大会を開催するかどうかを決めるベースになる。IOCはスポーツの問題を解決する能力はあっても、パンデミックの専門家ではない。中止は最悪のシナリオでありながらも、分散開催も含めたあらゆる代替案はすでに検討が始まっているかもしれない」というようなことをメディアに語っている。それに対してIOC広報担当は書面で声明を出している。「パウンド委員は大会準備の状況を極めてうまく説明している。組織委員会は関連機関と連携し状況に応じた必要な対策を講じていく。日中を含めた各国の対策に全幅の信頼を寄せている」といった内容。ま、パウンド委員の意見部分はさておき、状況説明部分(=対策検討が始まっているのかもとした部分)は正確ってことらしい。
新しいシューズの影響もあるだろうけど、ランナーのそれまでのトレーニングやレースの要所要所での判断が結果を左右することには違いがない(どうせみんな同じような性能のシューズを履いてるわけだし)。大迫選手の試合運びが、今日のレース・今日の気温・今日のコースと彼のコンディションとマッチした結果、ということなんだろう。
オリンピックは4年に一度戦争していても一旦休戦して、平和の祭典として開催されてきた。だから新型コロナがパンデミックを起こしていても、世界に勇気を与えるためにやる、みたいなロジックを展開する人がいる。組織委員会のなかにも「やることしか考えていない、やらない可能性に関しては全く対策をしていない」というアホが人間の形をしてるだけみたいな人もいる。
オリンピックだからって、ウィルスが活動停止してくれんのか?ウィルスを前にお前の思考が停止してるだけだろう、と言いたい。一体オリンピックを何のために利用したいんだ?と問いたい。
確かにかかった人の8割は症状を示さないか軽症だけど、ワクチンも特効薬もない。一度罹患したら抗体ができて二度とかからなくなる、なんてものではなく、風邪のように年間なんどもかかるような感染症のようだ、という正体も明らかになってきている。
スポーツを通じて平和の尊さを実感するオリンピックで、治療法が充実していない感染症をみんなで共有し合って、それぞれの国でさらに蔓延せるのは、オリンピズムに対する冒涜じゃないのか。
オリンピック憲章の最初の方に、オリンピズムの根本原則というセクションがある。以下に部分的に引用
オリンピズムの根本原則
1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するもの である。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、 さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
2. オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、 人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
(以下略)
中止や延期について発言を繰り返すIOC最古参のパウンド委員が「実質的担当者ではないからIOCを代表したものではない」と過小評価するのは簡単だけど、彼の発言のほうがはるかに説得力があるし、「アスリート・ファースト」だとして、いきなりマラソンと競歩を札幌に移したバッハ会長が、巨額の放映料がからむオリンピック自体の開催についてだんまりを決め込んでいることに、疑問を呈した発言ともとれる。
忘れてはいけない、ダイアモンド・プリンセス号のときに、諸外国は対応を日本に丸投げしながら、あとから批判に転じた。パウンド委員の救いの手を今つかまなかったら、日本はどうなっちゃうんだろう、と恐ろしい。
もういちど、オリンピックとは何のためのものなのか、じっくり考えて答えを出す時ではないだろうか。今回この状況にあってオリンピックを予定通り開催することが、「スポーツを社会的な責任や普遍的・根本的な倫理規範のベースにする」ような行為なのか?オリンピックを感染症蔓延時に開催することは、「人間の尊厳を重視する社会の推進」に資するものなのか?
日本の社会防衛も忘れてはならない。大会会期前までに国内で感染をある程度抑えることができても、オリンピックで諸外国から感染者を大量に引き受けたら、感染が再燃するリスクもある。去年のラグビーワールドカップでインフルエンザが秋口から流行し始めた、あれが、もっと大規模かつ深刻な形で起こる。抗体が作られにくいという新型コロナの特徴からしても、可能性は決して低くない。しかも再び大量の外国人感染者を日本の病院で受け入れる必要性すらあるわけで、日本人のための医療資源を外国人感染者で使い果たしてしまうかも。
高齢化社会の日本で、それは受け入れていいリスクなのかそうじゃないのか?諸外国・国際機関の感染症の専門家も交えた関係者の間での冷静な議論が必要なタイミングではないだろうか。今回は決して日本だけで決めちゃだめだ。
追記:2/25現在の東京オリンピックに関するBBCの記事は以下にある。超ざっくり訳すと、パウンド委員は「今現在は東京で開催されるということ(=開催されないという決定がなされていない)なので、選手諸君は自分のやるべきことに集中したまえ。WHOが海外渡航と回避すべき目的地をどう決めるか、各国政府がそれをもとに日本への渡航をどう判断するか、がIOCが大会を開催するかどうかを決めるベースになる。IOCはスポーツの問題を解決する能力はあっても、パンデミックの専門家ではない。中止は最悪のシナリオでありながらも、分散開催も含めたあらゆる代替案はすでに検討が始まっているかもしれない」というようなことをメディアに語っている。それに対してIOC広報担当は書面で声明を出している。「パウンド委員は大会準備の状況を極めてうまく説明している。組織委員会は関連機関と連携し状況に応じた必要な対策を講じていく。日中を含めた各国の対策に全幅の信頼を寄せている」といった内容。ま、パウンド委員の意見部分はさておき、状況説明部分(=対策検討が始まっているのかもとした部分)は正確ってことらしい。
出来る限り多くの専門家の知恵が必要な時。
その専門家とて万能じゃないから、確信を持って最終決定が出来るわけじゃない。
だからこそ平時に決めた原理原則をもとに、最も合理的な選択肢を選ぶ。
普通の人は、意識しないで普通にやってることだと思いません?
どうして声が大きい人のオツムは、もれなく欲と打算でいっぱいなんだろう。
声の大きい人達は、自分が晴れ舞台でテープカットしているシーンだけ夢見てるような。
私はオリンピックは、現実には国威発揚の場だと思っています。
それでも実際に戦争するよりマシだと。
今回は、原理原則に立ち返って考える必要がありますね。
でも日本にそれができるかどうか、です。