![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ee/6b91b85a10645f78e80a212ba4c2072c.jpg)
お天気に恵まれ、義母の運転で4人でドライブ。
目的地は今稼動中のダムと今度それを水没させる規模で大きくするためのダムの建設工事現場の「学習館」とか(笑)、その上流にある沼、毛越寺、などなど。
最初の目的地「学習館」は、義父母いわく「近所の住民をたぶらかすものなのよ」(笑)。原子力発電所が近隣住民に理解を得るために、なんとかプラザっていうのを作っていて、そういうのには仕事で行ったことがある。そうか、原発並みに地域住民には不評なのか~、こんなの作ること自体「無駄なことやってます」って宣言してるもんやね~、とちょっと笑えた。とはいえダムの建設現場なんて、そうそう見られるものではないし、主人は談合問題を取材中の身、さっそく中に入る。
学習館のジオラマの前で「どこが今のダムなのさ~」とか独り言を言っていたときに、おじさんが近寄ってきて「ここだよ」とランプをつけて教えてくれた。「え?じゃあ、新しいダムが出来たら水没しちゃうんですか?」「ま~、そういうことだな~」「え~、もったいない~~」「・・・」。
どうやら、そのおじさんは見学者じゃなくてスタッフだったみたい。面と向って「あんたのやってることは、もったいないことである」と宣言してしまった。ま、本当だから仕方ないよな、ははは。
でも、大都市以外の経済はどうしても公共工事に依存している体質らしい。農業は減反・減反で規模縮小を余儀なくされ、換金作物もいろいろとトライするけど、以前の米がそうであったような、安定的な収入源にはならない。追い討ちをかけるかのように、キロ当たりの米の買い上げ価格は下落の一途。産業がないから雇用口は限られている。新たな収入源を求めて、いろいろと模索するらしいのだけど、結局は土木業が有力候補になってしまう現実があるようだ。
市町村合併だって新たな箱物作りの機会だし、ダム工事は農業が衰退して農業用水が今までほど必要でなくなっても「渇水対策」「下流の水害対策」と理由が湧いて出る。結局は今までのダムで困ったことは一度もなくても、新たなダムが作られるというメカニズムらしい。
失業対策は必要だと思う。働く気力がなくて働かない人に対する対策よりも、養うべき家族がいて、働きたいけど雇用口がない人たちに対する手立てのほうが急がれるべきだとも思う。でも、失業対策が必要な地域ではないところで納められた税金を使うはずだから、無駄遣いになったり談合の温床になったり、特定の企業や業界だけにメリットが流れていくような形で使われることは、極力避けるべきだとも思う。他地域のまじめな労働者が貢君扱いされて、大規模なゼネコンがお金をもうける。その下請けとしてだけ、本来対象であったはずの地元経済にお金を還元する、っていうのはフェアじゃない。
自分が払った税金が相互扶助の精神で適切に使われることは、累進課税制の基本だけど、それを悪用されるのは絶対反対!こういう単発的な無駄遣い形ではない、継続的な雇用創出に繋がるものって、他になにかないのだろうか?と思わずにはいられなかった。
2年後には道路が全部できて、と胸を張る学習館のスタッフに「その間一体いくらお金を使うんですか?そのお金を社会福祉や医療費に回せば、そのほうが生活が豊かになるんじゃないのかな?」とはさすがに聞けなかった。この人たちだって、このダムプロジェクトがなかったら、家でくすぶっていたかもしれないんだもんね・・・でも談合して無駄遣いして、そのツケを払わされる納税者はたまったもんじゃないよ、と、なんか複雑な気分。
立派な付け替え道路などできていて、それを使ってダムが一望に見渡せるところに行くと、沼がある。そこで一休み。
目的地は今稼動中のダムと今度それを水没させる規模で大きくするためのダムの建設工事現場の「学習館」とか(笑)、その上流にある沼、毛越寺、などなど。
最初の目的地「学習館」は、義父母いわく「近所の住民をたぶらかすものなのよ」(笑)。原子力発電所が近隣住民に理解を得るために、なんとかプラザっていうのを作っていて、そういうのには仕事で行ったことがある。そうか、原発並みに地域住民には不評なのか~、こんなの作ること自体「無駄なことやってます」って宣言してるもんやね~、とちょっと笑えた。とはいえダムの建設現場なんて、そうそう見られるものではないし、主人は談合問題を取材中の身、さっそく中に入る。
学習館のジオラマの前で「どこが今のダムなのさ~」とか独り言を言っていたときに、おじさんが近寄ってきて「ここだよ」とランプをつけて教えてくれた。「え?じゃあ、新しいダムが出来たら水没しちゃうんですか?」「ま~、そういうことだな~」「え~、もったいない~~」「・・・」。
どうやら、そのおじさんは見学者じゃなくてスタッフだったみたい。面と向って「あんたのやってることは、もったいないことである」と宣言してしまった。ま、本当だから仕方ないよな、ははは。
でも、大都市以外の経済はどうしても公共工事に依存している体質らしい。農業は減反・減反で規模縮小を余儀なくされ、換金作物もいろいろとトライするけど、以前の米がそうであったような、安定的な収入源にはならない。追い討ちをかけるかのように、キロ当たりの米の買い上げ価格は下落の一途。産業がないから雇用口は限られている。新たな収入源を求めて、いろいろと模索するらしいのだけど、結局は土木業が有力候補になってしまう現実があるようだ。
市町村合併だって新たな箱物作りの機会だし、ダム工事は農業が衰退して農業用水が今までほど必要でなくなっても「渇水対策」「下流の水害対策」と理由が湧いて出る。結局は今までのダムで困ったことは一度もなくても、新たなダムが作られるというメカニズムらしい。
失業対策は必要だと思う。働く気力がなくて働かない人に対する対策よりも、養うべき家族がいて、働きたいけど雇用口がない人たちに対する手立てのほうが急がれるべきだとも思う。でも、失業対策が必要な地域ではないところで納められた税金を使うはずだから、無駄遣いになったり談合の温床になったり、特定の企業や業界だけにメリットが流れていくような形で使われることは、極力避けるべきだとも思う。他地域のまじめな労働者が貢君扱いされて、大規模なゼネコンがお金をもうける。その下請けとしてだけ、本来対象であったはずの地元経済にお金を還元する、っていうのはフェアじゃない。
自分が払った税金が相互扶助の精神で適切に使われることは、累進課税制の基本だけど、それを悪用されるのは絶対反対!こういう単発的な無駄遣い形ではない、継続的な雇用創出に繋がるものって、他になにかないのだろうか?と思わずにはいられなかった。
2年後には道路が全部できて、と胸を張る学習館のスタッフに「その間一体いくらお金を使うんですか?そのお金を社会福祉や医療費に回せば、そのほうが生活が豊かになるんじゃないのかな?」とはさすがに聞けなかった。この人たちだって、このダムプロジェクトがなかったら、家でくすぶっていたかもしれないんだもんね・・・でも談合して無駄遣いして、そのツケを払わされる納税者はたまったもんじゃないよ、と、なんか複雑な気分。
立派な付け替え道路などできていて、それを使ってダムが一望に見渡せるところに行くと、沼がある。そこで一休み。
あれはダム近くの人には必要な情報だったのかなぁ…?
こんなに「ダム・ダム」言ってたら、ダムフェチの検索に引っかかって、またアクセス数がアップしちゃうよぉ~
無駄なお金を使いたがるのは、多分、政治家や官僚にとっておいしいキックバックがあるからでなのでしょうね。
自分自身のことを考えれば、収入が減ることがわかっていれば、支出を抑えますよね。でも、公的部門ではそういう「家計では常識」のことが一切機能していないのです。
その機能不全の被害者が家計なのですから、なんといっていいのか・・・