昨日の山種美術館の帰り、恵比寿駅への最短距離じゃなくて、路地を歩いて明治通りを目指した。
両親と住んでいたのは渋谷区東2丁目で、明治通りを挟んだ向こう側だったんだよ、同じ東でもこっちは「広尾」だって強弁し、うちの方は「代官山」だって主張してたんだ(苦笑)、なんて主人と話しながら。通りかかった広尾小学校(幼稚園も同じ敷地内にある)の校舎、控えめだけど格式を感じる装飾が素敵だったのでパチリ。
通り過ぎて壁に埋め込まれたプレートを見て、有形文化財だと知った。プレートには、関東大震災の後の復興事業の柱の一つとして、学校を安全な鉄筋コンクリート造りにした、とあった。莫大な資金が必要だった震災復興のプロジェクトの中で、子供達ひいては国民のことを考えて計画が立てられたのかなと思うと、今より貧しかったはずの昭和初期の日本の政治や行政の方が、今よりどれだけきちんとしていたんだろうと、ちょっと感動。その後の軍備台頭をゆるしたのは、失敗だったけどね。
単なる復興じゃなくてbuild back better(前よりよくする復興)って、この頃からの伝統なのか、と思うと単にデザインが素敵なだけじゃなく、誇らしい建物にも思えた。当時の児童や学生たちは、きっと学校に来るのは楽しかったと思うな〜、だってみんな苦しいのにこんなの建ててもらえたんだよ。復興していく故郷に期待も持てたと思うんだ。
イシバさん、楽しい日本、ヒントはそこらじゅうにある気がするよ、国民を大事にして、ぜひ実現してもらいたいものです。
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