日傘をまわす
藍染(あいぞめ)のあやめの浴衣着たる子は「奥様みたい」と日傘をまわす
再婚しわれの味噌汁変わったという子は白味噌、夫は赤だし
じぶじぶと鰆(さわら)の西京漬焼けて味噌の香ばし白飯(しらいい)をもる
弾みいる声にうそなど交(まじ)らいて子はあたらしき恋をするらし
帰りゆくむすめの背中は四つ角で夕日を受けてくるりと返る
鉄さびの浮くヘアピンの置かれおり浴槽のへりに子が忘れゆき
長雨に紫陽花(あじさい)の枝たわみいる 諍(いさか)うことの少なくなりて
棒打ちて鳥遣(や)らいつつ歌うたう老女を想うさびしき日には
遣らう=追い払う
幼き日していたように蚊帳(かや)に入(い)る白きレースの端をゆらして
子の腕の傷にガーゼをあてやれば指はねかえす弾力のあり
われに男(お)の子なし
深みどりのジェラートのごと切り立てる山脈のあり われに男(お)の子なし
坑道のごとくしずもる大腸をライトに照らし内視鏡入(い)る
水芭蕉の苞(ほう)のかたちにうしろ髪結(ゆ)いし娘が見舞いに来たり
窓ガラスに白蛾(はくが)はりつき天井にやもり貼りつき夏の夜(よ)は過ぐ
頬張りて噛み砕きては嚥下(えんげ)する食(た)ぶとはかくに生臭きこと
老いてなお恋に縋(すが)れる人のごと百合のおしべの花粉の重し
じりじりと木を登りつつ交尾せし蝉は離(さか)りて声低く鳴く
黒雲の裡(うち)より爆音聴こえきて機影はあらず夏の終わりに
この日を迎う
一斉(いっせい)に木が芽吹きたりプロポーズされしと子よりメールのありて
結婚の許しを乞(こ)いに来たるひと膝を合わせてソファーに坐る
「至らない子ですがきちんとやる子です」うつむく娘の手に涙落つ
二年前「恋をするらし」とわが詠(よ)みし子はゆっくりとこの日を迎う
エニシダは黄(きい)の光をまきちらす二度と還(かえ)らぬこの一瞬を
三面鏡閉じなくなりぬ婚礼に母購(か)いくれしものみな旧(ふ)りて
パソコンのオフの画面に映りいる夕日のいろの濃くなつかしき
歯の塚ならむ
赤紫蘇(しそ)を煮出したる濃きむらさきに酢を垂(た)るせつな鴇(とき)色(いろ)の海
指先が鉄さびのような臭いする辣韭(らっきょう)五キロ漬けたる夜に
瓶(びん)底に堆(うずたか)くある辣韭はスピノサウルスの歯の塚ならむ
ノルウェーよりトマトのできを尋ねくる夫の声の受話器にひびく
最北の地ノールカップにいま立つと夫の声きく午前三時に
大ぶりの茶碗に飯(いい)を食(は)みており旅に出(い)でたる君に代わりて
身のおくか熱の生(あ)れきて耳たぶのふるえ始める新月の夜
おくか=奥処(おくか)。
新旧の石鹸ひったり貼られおり 壮年の夫(つま)をわれは知らざる
雨の日の畳の部屋には亡き人の足跡はつか滲(にじ)みいるらし
白髪をふり乱し咲く銀水引ゆうぐれどきの路地のかたえに
トローチの穴
冬空に毛細血管ひろげいるメタセコイアが深呼吸する
トローチの穴の確かさ ゆがむ字に年賀状くるるわれの先生
担任が同僚でありし七年間わが緊張は十六歳(じゅうろく)のままに
作りくれし娘の受験お守りは先生の庭の四つ葉のクローバー
わたくしと「く」の心棒をしかと持ち太田さん話す日本語うつくし
くきやかな顎(あご)のラインのそのままに姪(めい)は二十歳(はたち)の誕生日迎う
梅の咲く下に車椅子の老い人はまがれる口に紅さしており
先生と互(かたみ)に呼びて語り合う職退(ひ)きしいまも四人集(つど)えば
腿(もも)うちに銃弾のこるカルロス君 少年時代をペルーに過ごしぬ
八年間放置されいし銃弾よ十八歳のからだの中に
蓮の実
干芋を食(は)みつつ夫(つま)と相撲みる昔の父と母とのように
一番を終えし力士がへたりこむ黒き足裏そのまま見せて
E・Tのごとく蓮の実そら見上ぐ みどりの揺れる葉の間(あわい)より
夕まぐれ風吹くときに眼下(まなした)の池は一瞬鳥肌となる
だしぬけに雨音迫りパソコンの光のうかぶ部屋に目覚めぬ
輪ゴム切れわが指を打つ痛さなり夫の息子のことに触るるは
だんだんに声荒げゆく夫(つま)見ればああこのひとも人の親なり
戸袋に入(い)りたる風のやすらぎて時おりとろろん雨戸を揺する
椅子の位置ぴたりと決まらぬ日のようにちぐはぐな会話つづいていたり
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(生命力の旺盛な葛)
藍染(あいぞめ)のあやめの浴衣着たる子は「奥様みたい」と日傘をまわす
再婚しわれの味噌汁変わったという子は白味噌、夫は赤だし
じぶじぶと鰆(さわら)の西京漬焼けて味噌の香ばし白飯(しらいい)をもる
弾みいる声にうそなど交(まじ)らいて子はあたらしき恋をするらし
帰りゆくむすめの背中は四つ角で夕日を受けてくるりと返る
鉄さびの浮くヘアピンの置かれおり浴槽のへりに子が忘れゆき
長雨に紫陽花(あじさい)の枝たわみいる 諍(いさか)うことの少なくなりて
棒打ちて鳥遣(や)らいつつ歌うたう老女を想うさびしき日には
遣らう=追い払う
幼き日していたように蚊帳(かや)に入(い)る白きレースの端をゆらして
子の腕の傷にガーゼをあてやれば指はねかえす弾力のあり
われに男(お)の子なし
深みどりのジェラートのごと切り立てる山脈のあり われに男(お)の子なし
坑道のごとくしずもる大腸をライトに照らし内視鏡入(い)る
水芭蕉の苞(ほう)のかたちにうしろ髪結(ゆ)いし娘が見舞いに来たり
窓ガラスに白蛾(はくが)はりつき天井にやもり貼りつき夏の夜(よ)は過ぐ
頬張りて噛み砕きては嚥下(えんげ)する食(た)ぶとはかくに生臭きこと
老いてなお恋に縋(すが)れる人のごと百合のおしべの花粉の重し
じりじりと木を登りつつ交尾せし蝉は離(さか)りて声低く鳴く
黒雲の裡(うち)より爆音聴こえきて機影はあらず夏の終わりに
この日を迎う
一斉(いっせい)に木が芽吹きたりプロポーズされしと子よりメールのありて
結婚の許しを乞(こ)いに来たるひと膝を合わせてソファーに坐る
「至らない子ですがきちんとやる子です」うつむく娘の手に涙落つ
二年前「恋をするらし」とわが詠(よ)みし子はゆっくりとこの日を迎う
エニシダは黄(きい)の光をまきちらす二度と還(かえ)らぬこの一瞬を
三面鏡閉じなくなりぬ婚礼に母購(か)いくれしものみな旧(ふ)りて
パソコンのオフの画面に映りいる夕日のいろの濃くなつかしき
歯の塚ならむ
赤紫蘇(しそ)を煮出したる濃きむらさきに酢を垂(た)るせつな鴇(とき)色(いろ)の海
指先が鉄さびのような臭いする辣韭(らっきょう)五キロ漬けたる夜に
瓶(びん)底に堆(うずたか)くある辣韭はスピノサウルスの歯の塚ならむ
ノルウェーよりトマトのできを尋ねくる夫の声の受話器にひびく
最北の地ノールカップにいま立つと夫の声きく午前三時に
大ぶりの茶碗に飯(いい)を食(は)みており旅に出(い)でたる君に代わりて
身のおくか熱の生(あ)れきて耳たぶのふるえ始める新月の夜
おくか=奥処(おくか)。
新旧の石鹸ひったり貼られおり 壮年の夫(つま)をわれは知らざる
雨の日の畳の部屋には亡き人の足跡はつか滲(にじ)みいるらし
白髪をふり乱し咲く銀水引ゆうぐれどきの路地のかたえに
トローチの穴
冬空に毛細血管ひろげいるメタセコイアが深呼吸する
トローチの穴の確かさ ゆがむ字に年賀状くるるわれの先生
担任が同僚でありし七年間わが緊張は十六歳(じゅうろく)のままに
作りくれし娘の受験お守りは先生の庭の四つ葉のクローバー
わたくしと「く」の心棒をしかと持ち太田さん話す日本語うつくし
くきやかな顎(あご)のラインのそのままに姪(めい)は二十歳(はたち)の誕生日迎う
梅の咲く下に車椅子の老い人はまがれる口に紅さしており
先生と互(かたみ)に呼びて語り合う職退(ひ)きしいまも四人集(つど)えば
腿(もも)うちに銃弾のこるカルロス君 少年時代をペルーに過ごしぬ
八年間放置されいし銃弾よ十八歳のからだの中に
蓮の実
干芋を食(は)みつつ夫(つま)と相撲みる昔の父と母とのように
一番を終えし力士がへたりこむ黒き足裏そのまま見せて
E・Tのごとく蓮の実そら見上ぐ みどりの揺れる葉の間(あわい)より
夕まぐれ風吹くときに眼下(まなした)の池は一瞬鳥肌となる
だしぬけに雨音迫りパソコンの光のうかぶ部屋に目覚めぬ
輪ゴム切れわが指を打つ痛さなり夫の息子のことに触るるは
だんだんに声荒げゆく夫(つま)見ればああこのひとも人の親なり
戸袋に入(い)りたる風のやすらぎて時おりとろろん雨戸を揺する
椅子の位置ぴたりと決まらぬ日のようにちぐはぐな会話つづいていたり
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(生命力の旺盛な葛)