日頃感じたこと、思ったこと事などを書きとめておきます。
野のアザミ
米良ダイコンの輪切り干し
宮崎県の冬は、他県に比べて圧倒的に晴れ間が多い。九州山地が季節風をブロックしてくれるためだ。そのため、2月を中心にプロ野球のキャンプでにぎやかだ。巨人、広島、ヤクルト、西武、ソフトバンク、オリックス、楽天・・・、加えて韓国斗山ベアーズもやってくる。ただ、2月に入り、春近しのころになると雨の日も少しずつ増えてくる。
この冬は暖冬だ。氷がはったのはたった1日。それも薄氷。いつもなら九州山地から吹き下ろす乾いた西風と、燦々とふりそそぐ太陽の光で千切りにしたダイコンはすぐ乾くのだが、今年はなんだかゆっくり・・・。それでも、自家用「せんぎり」や「いかんて」作りは、ほぼ完了。畑に残るダイコンは、まばらとなっていた。
まだ1、2週間は大丈夫だろうと思っていたら、陽気のためか、あっという間に塔が立ち始めていた。特に地域で昔からつくられてきた「米良ダイコン」は、10cmほどにも塔を立てていた。
ということで慌てて輪切り。それを編み枠の上に並べたのが上の写真。米良ダイコンは赤いものが多いが、白いのもあるためこんなふうになった。
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コスモス花見
今年は、台風24号の暴風雨を乗り越え、コスモスの花がきれいに咲いた。
毎年、地区の子供会と老人会の力を借りて種を蒔くのは、飼料用イネの刈り取りが終わった後。天気がよければ何と言うことははないのだが、この2〜3年天気に恵まれなかった。田んぼがぬかるみ整地ができなかったり、子供会等の都合で種まき時期が遅れたりした。「きれいに咲いたら花見会!」ということになっていたが、きれいな花が付かず期待は裏切られるばかり。そのため、今年は種の都合に合わせて雨の前に急遽整地と種まき。しかしその後、数センチに茎が伸びたところに台風24号という強烈パンチ。水に浸かったため心配したが、翌日には水が引き、その後は天気にも恵まれ見事な花畑となった。
ということで、先頃、子供会と老人会など30人程で楽しい花見。と言っても、お菓子ばかりでアルコール抜き。飛び交う会話は、誰がどうしたこうしたというような、たわいもないものだが、何とも言えず楽しい時間。平和なひとときだ。“子供からお年寄りまで”というのが、田舎のいいところ。子供会やみんなの記念撮影のあと、夫婦や仲良しでの記念撮影。連れ添う夫婦は付いたり離れたり・・・。ポーズとる姿もまた楽し・・・。(男どもや大人の写真などは不掲載。想像してたもれ!)
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シイタケ
そろそろシイタケに季節と思って、ミカンの木の下に行ってみた。行ってみてびっくり。すでに大きな傘を広げていた。大きなものは20cm近くにもなっていた。他にも程よい大きさのものが食べきれないほど。3、4日前に覗いた時はその兆候もなかったが、見逃してしまったようだ。昨晩遅くから日付が変わる頃にかけて降った雨も、程よい湿度を与えたようだ。手頃な大きさのものは今晩食べることにして、大きなものは天日干しにすることにした。
畑では、夏に毎朝収穫したオクラが今も健在だ。ズッキーニも収穫時期を迎え、ダイコンもそろそろ食べごろになってきた。そして、試しにつくった自然藷も数本掘り出してみた。2mとはいかなかったが、1m程にはなっていた。わが家だけでは消費することはできないので、知り合いにもお裾分けした。
というようなことで食欲の秋到来だが、注意しないとお腹まわりも気になる。でも、食べたい・・・。
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吹き荒れた台風24号
前日(9.29)はあれこれ台風対策に追われた。家の周りで飛びそうなものは片づけ、畑でも防風対策。一番は、もうすぐ実をつけそうな秋採りズッキーニ。簡易骨組みをつくり、それに青い防風ネットを被せ、飛ばないように周りに鉄管とブロックを置いた。毎日実をつけてくれたオクラも鉄パイプと竹で支えた。秋採りキュウリやナスは実をつけ始めたばかだったが、あきらめた。その後ギャラリーへ。周囲の植木で倒れそうなものは真竹で補強。雨戸がないため、植木を利用して防風ネットを周囲にはった。終わったのは夕暮れ間近。帰宅するとすぐに電話がなった。隣人から「今から知り合いを連れて避難します」との連絡。もう避難準備情報が出ていたのだ。
台風24号:950hPa。沖縄・奄美.屋久島・種子島付近を通りだんだんと宮崎に近づく。29日の夜は強風域。暴風域に入るのは30日朝6時頃からとみていたが、少し遅れ気味となった。予想したより1時間程遅い朝7時頃から風雨が強くなり、10時から14時頃まで一段と激しい暴風雨状態。時おりゴトゴトと何かが飛ぶ音、そして度々停電。10回近くついたり消えたりしていたが、とうとう電気がつかなくなった。
困った。テレビがつかない。台風の情報が手に入らなくなった。こういう時は携帯ラジオだが、日頃使っていなかったため、スイッチを入れたがウンともスンとも言わない。万一に備えて、買っていた新しい電池に入れ替えたがこれもダメ。事前に試しておくべきだった。なので、次の手段はノートパソコン。これは立ち上がったが、「えっ、ネットにつながらない!」。Wi-Fiルータが停電で動かないのだ。このことは全く予想外。どうにか情報手段を確保したのはスマホ。県外の友人達がLineで心配してくれた。
もうひとつ予想外だったのは、トイレ。上水道もあるのだが、トイレと洗面台などは井戸水を利用しているためダウンしたのだ。タンクに上水道水を入れれば使えたので、最悪は逃れたが、それでも不便であった。
予期はしていたが、それにしても長い暴風雨だった。いつもなら、台風の中心が過ぎれば暴風雨はすぐにおさまっていたが、今回はそうはいかなかった。予想したより2時間程長く風雨が荒れ狂い、どうにか外に出れるようになったのは午後4時頃。
被害がないか家の周囲や田畑、そして集落内を見て回った。家の周囲にはテラスの波板と作業場のスレートの破片が散乱。駐車場の屋根にも一部に穴があいていた。畑では里芋やキュウリ、ジャガイモ、ナス、ゴーヤなどが無惨な姿となっていた。救いは防風ネット下のズッキーニと、芽を出したばかりのニンジンやダイコンなど。オクラも半分程は助かった。私の被害はこれくらいで済んだ
が、周りの農家ではビニールハウスが骨組みごと倒壊したり、ビニールが破けたりして大きな被害を出していた。また、田んぼはどこもかしこも水が溢れていたが、不幸中の幸いは普通期栽培ではなく超早場米だったこと。稲刈りは8月初旬には皆終わっていたのだ。濁り水に溢れた田んぼではあったが、この姿を見て「田んぼのダムの機能」をしっかりと認識した。
集落内では皆、大なり小なり被害受けていた。お見舞い等済ませた後、ギャラリーへと車を走らせた。幸い暴風雨ネットが効いたのか全く被害なし。しかし、前の公園では大きなヤマモモが根から折れたり、法面が地滑りを起こし大きなサクラを根元から押し倒していた。近くの山際でも地滑りや倒木が相次いだ。
台風24号は、最近にない被害を出した。しかし。周りに人的被害が無かったことが不幸中の幸いであった。
暴風で倒壊したビニールハウス
田んぼは水浸し、だがダム機能を認識
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超早場米と台風12号
真っこと、困った台風だ。住んでいるのは、かつて「台風銀座」と呼ばれた宮崎県だから、ある程度は慣れている。いつもの台風なら、南から北上し九州へ接近したり上陸したりする。たまに、東の海上から接近したりすることはあった。しかし、今回の台風12号は、いつものコースとは全く逆のコース。小笠原諸島の東海上を北上し本州を突っ切り日本海へ向うのかと思いきや、本州上陸前に西寄りに方向を変え伊豆諸島へ。そこから東海沖を通り三重県伊勢市に上陸。全く予想はずれのコース。この間、小田原市付近の海岸沿いの国道では、高波で救急車や自家用車など複数の車がボコボコ。国道上の救急車やガードレールの損壊と証言は、人知を超えた自然の威力に驚いた。
台風はその後、西日本豪雨被害を受けた岡山や広島方面を抜け、豊前市に上陸し久留米市方面へ。そして薩摩半島西を南下し、奄美大島と屋久島・種子島間で左巻きに転回し西に向けた。
台風が広島県から北部九州へ向う頃、わが地でも雨が降り始めた。それから3日ほどは時折激しい雨。困ったことに、宮崎平野はちょうど超早場米の借り入れ時。幸い私の田んぼは、雨が降り出す前に刈り終え、ぎりぎりセーフ。周辺の田んぼでは、まだ刈り取りが済んでいない田んぼも2割ほどあり、気がきではないようだった。
宮崎県の海岸平野部は、7月末から8月初めにかけて稲を刈り取る超早場米の産地だが、第一の理由は秋の台風被害を避けるためだ。しかし、昨年も最終日前日、台風の襲来で一日早めて刈り取り、乾燥のためにライスセンターに駆け込んだ。当然だったが、乾燥を頼んだ分は収益減。ただ、その年は米の出来が良かったため、実際はトントンだったが・・・。
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カボチャの花とミツバチ
雌花(上)と雄花(下)にもぐり込むミツバチ
カボチャの植場所の整地が遅れ、ポットに種を蒔いたのはギリギリセーフの頃。そのためか、畑に移植して10日余りは、このまま消滅してしまうのではないかと思うくらい伸びなかった。しかし、時が経てばすくすく、早く実をつけたものは、もうすぐ収穫できるほど大きくなった。
早朝、カボチャのまわりでは、ブーンブーンとミツバチの羽音でにぎやかだ。大きな黄色い花に、我れ先にもぐりこみ、花粉を体いっぱい付けて花から花へと飛び交う。時には、先を求めて争いさえおこるが、こうやって受粉がすすむ。
今年はカボチャを地面にはわせず、真竹を斜めに組んでそれに蔓をはわせてみた。その結果気付いたことがある。まず、雄花が根元近くにいっぱい咲き、時を置いて、雌花は蔓の先近くに咲くのだ。
雌花の下には小さな赤ちゃんカボチャが付いているが、雄花にはない。黄色い大きな花びらの中を覗くと、雌花にはおしべを受け入れるような形のめしべが、雄花の中にはちょこんとしたおしべがある。めしべとおしべは、なんだか人間さまの“あれ”のようでもある。受粉するためにはミツバチのもぐり込みが欠かせない。受粉がうまくいかないと、雌花の下の赤ちゃんカボチャは、しおれるように落ちてしまう。カボチャにとってミツバチは本当に大切だ。
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アシナガグモとユスリカ
アシナガグモの巣にかかったユスリカ
朝露が残る時間帯に田んぼに行くと、あちこちにクモの糸が見える。糸に付いた朝露がキラキラと太陽の光を浴びて清々しい。そのほとんどはアシナガグモの巣のようだ。アシナガグモは、名前のとおり足が長い。秋に多いジョロウグモのように大きくはない。あぜ道を歩くと、知らない間にズボンにクモの糸がくっついていたりする。ジョロウグモは嫌いだが、アシナガグモは好きでも嫌いでもない。糸もそれほど強くなく、絡まってもそれほど困った事がなく、クモそのものが弱々しく見えるからかもしれない。
ところで、このアシナガグモを出揃った稲穂の下から空を向けて撮影してみた。朝ではなく夕方だ。巣にゴミみたいなものがかかっていると思ってはいたが、写真を拡大してみると、驚くことに蚊に見えるものがいっぱいクモの巣にかかっているのだ。
調べてみると、これは蚊ではなくユスリカ。夕方などに、いわゆる「蚊柱」をつくっている小さな昆虫だ。メスは一匹だけで、あとはオスばかりとか。驚く事に口はなく、消化器も退化しているため一切エサをとる事ができないまま寿命を終えるのだという。成虫の寿命は1日から数日のようだ。なんという儚さか・・・。後日、しっかり観察してみることにした。
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出穂(しゅっすい)
朝露にけぶる出穂期の田んぼ
穂揃い期を迎えた田んぼ
穂揃い期を迎えた田んぼ
今年の梅雨は本当に雨が多い。昨日はつかの間の晴れだったが、日が沈む頃からポツポツし始め、夜半からずっと雨。今日も時折強い雨が降り続いている。
そんな中、田んぼでは待ちに待った稲穂が伸び始めた。出穂期だ。出穂と書いて「しゅっすい」と言う。4割から5割ほどの穂が出た頃の呼び名だ。早い穂が出始めた頃は「走り穂」、そして「出穂期」を経て、全部出揃えば「穂揃い期」だ。すでに穂揃い期を迎えた田んぼもある。
長い葉っぱを押しのけて、まっすぐ伸びた緑色の穂には、一見花粉のようにしか見えない小さな白い花をいっぱい付けて受粉する。晴れ渡った空の下で受粉して欲しいところだが、この雨では、雨間を見ての受粉になるだろう。
その後、緑一色だった穂も少しづつ金色を帯び始め、次第に頭を垂れ始めるはずだが、この雨続き少し恨めしい。
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クサガメ、見〜つけた!
やっと2度目の田植え(WCS用)が終わり、ホッとするまもなく、今朝はカモよけの防鳥テープを張るために、目覚めてすぐ田んぼに出かけた。苗が根付いた後なら、天然「合鴨農法」と言ったところだが、数羽のカモが越冬後もそのまま居着き、田んぼ周辺にやってくるのだ。植えたばかりの苗はまだ種が付いているため、それを求めて泳ぎ回られれば、最悪植え直しということもあるためだ。
今朝の田んぼは無風、そして50m先も見えないほどの朝霧。植えた苗の列が霧の中に見えなくなるほど幻想的だった。そんな中、畔を歩き始めた。すると畔草の上になにやら黒い物体。「ああ、やっと姿を現したか」と思った。田植え前の田んぼのあちらこちらに痕跡があったので、たくさんいるだろう事はわかっていた。大きいものは約10cm幅、中くらいのものは7〜8cm幅、もっと小さい5cmほどの幅で、お腹を引きずり歩き回った跡だ。そう、クサガメが歩き回った跡だ。この田んぼはヨシ原を隔ててすぐに幅数メートルほどの小川が流れているため、たくさんの生き物の痕跡に出会う。先日は喰いちぎられたばかりのネズミの死骸。肉片生々しい首と胴体があったが、田んぼを一回りすると、もう無くなっていた。イタチかなにかの仕業に違いなかった。ここでは生存競争も激しいのだろうが、どことなくアジアの雰囲気も感じさてくれる好きなところだ。
ところでこのクサガメ、近年までは在来種とされていたが、江戸時代以降に中国や台湾、朝鮮半島から日本に持込まれたという説も出てきている。ニホンイシガメとの交雑問題などが指摘されるようになっているようだ。しかし、わが田んぼ周辺はゆったりした宮崎平野の中心部。流れが少しありそうなところを好むニホンイシガメは元々少ないようだ。調査報告では生息の確認もあるようだが、私自身は未だ見たことはない。ここ周辺で見た事があるのは、小川の主のような大きなスッポンに困り者のミシシッピアカミミガメ。ミシシッピアカミミガメは川に流れているのを一度だけ見たことがある。今までに見たのはほとんどクサガメだ。
参考にするため、ちょっとだけ家に持帰り計測してみた。持帰る時、少し臭いがした。名前の語源には、一説にこの臭いから「臭亀」とも言われる。甲羅の長さは20cm、幅は14cm。ツメは前足も後ろ足も鋭い。幼体では目立つ背中の3本のキールはかなりすり減っているため、大きさ等から年令は20歳ほどか。性別は、頭が大きいこと、尻尾が小さいこと、加えて首筋や頭の横に黄色い模様がはっきりしていることからメスと断定した。その後、カメはどのように動いていくかと思い、そのままじっと観察してみた。甲羅にすっぽり引っ込めていた頭を少しずつ出し始め、ゆっくり右、そして左と辺りの様子をうかがう。それはそうだろう。見かけない風景のはずだ。私と出会わなければこんな風景と出会うこともなかったはずだ。もっそりと歩き始めたところで家での観察終わり。
というこで、元の田んぼへ返してやることにした。元の田んぼの畔に返してやると、辺りを少し観察したそぶりを見せると、そのまま田んぼの泥のなかへ頭から突っ込み始めた。風景も臭いも同じなのだろう、ひとかきふたかきしながら次第に姿をかくしていった。完全に泥の中にもぐり込んでしまうまで約1分。すぐ横のアシ原ではオオヨシキリが「「ギョギョシ、ギョギョシ」とけたたましく鳴いていた。
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田んぼのカモメ
今年もまたやってきた。昨年も一人ゆうゆうと歩き回り、時に泳いでいた。近所の人はカモではないかと心配してくれる。遠目にはカモのようにも見えるのだろうが、眼を凝らして見ればまぎれもなくカモメ。田んぼの荒代(あらしろ)が終わり、水を張った田んぼの中で一日中動き回っている。
荒代は、田植え前の準備作業のひとつで、凸凹を粗く均す作業だ。その後1週間ほどして仕上げ作業の本代(ほんしろ)を行う。凸凹のままだと、草が生えたり稲の苗がジャンボタニシの餌食になったりするため、本代では田んぼを鏡の面のように仕上げる。そして2、3日後に田植えだ。
このカモメ、近づくと警戒して立ち止まる。まわりも田んぼばかりなのに、私の田んぼがお気に入りなのか、一日中歩き回っている。エサを探しているのだ。この田んぼ、海辺からは約4.5km。広さはほぼ70m四方。本当は70m×140mほどあるのだが、管理しやすいように真ん中に仮畔を築いて使っている。そのふたつに仕切られた田んぼを自分の縄張りのように使っているのだ。だが、田植え前ならいいが、田植え後はちょっと・・・・。昨年は私の気持ちも分かってくれたのか、田植え後は姿を見せなくなった。
この際だからカモメの名前を調べてみた。その名は、「オオセグロカモメ」。北海道や東方地方では留鳥のようだが、本州中部以南では越冬のために飛来する冬鳥のようだ。「全長55〜67cm、翼を広げると132〜150cm、食性は雑食で、魚類、昆虫、甲殻類、軟体動物、環形動物、動物の死骸などを食べる。」とある。嘴を見ればそれもうなづける。また来年も来るのだろうか・・・・?
そう言えば、田起こしをしていた時にトラクタの側に寄ってきたアオサギは抜群にきれいだった。婚姻色だ。アマサギも新種ではないかと思うほど妖艶に見えたことがあった。調べるとやはりこれも婚姻色。こういうことに出会えるのも、田んぼがあるからこそだ。
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