日頃感じたこと、思ったこと事などを書きとめておきます。
野のアザミ
壱岐・対馬行/その2(唐津から壱岐・一支国博物館)
船首を持ち上げた姿はカマキリそっくり
玄海灘を壱岐へ
フェリーが出る唐津東港には余裕の到着だった。時々、九州自動車道や長崎自動車道が渋滞で難儀することもあるようだ。この日はスイスイ。ということで、フェリーはまだ着いていなかった。しばらくして港口に白い船体が静かに現れた。着岸直前にフェリーから岸壁に向けて細い綱が跳んだ。それを岸壁で拾った作業員が懸命に走ると、細い綱につながれていた太い綱があがってきた。太い綱の先は輪っぱになっていて、それを岸壁の突起にひっかけたれば無事着岸となる。めったに見ることができない作業なのでおもしろかった。この突起は「ピット」というのだそうだ。
もうひとつ興味をひいたのは船首の開き方。大きなフェリーではないが自家用車やバス、トラックなどを積んでいる。着岸したフェリーの船首は大きく上方に引き上げられ、まるでカマキリがカマを振り上げたような格好だ。その後、開いた船首から岸壁に向けてゆっくりと桟橋が降りてきた。そうやって、フェリーと陸がつながる。
フェリーに乗り込む時には、必ず検温があった。ピストル型の検温器がおでこに向けられると、何事でなくてもちょっといやな感じだ。しかし、コロナ禍にあっては感染防止上必要なこと。もちろんマスクもだ。3階の待合室からフェリーに乗り込み、席は左舷の椅子席をとった。唐津から壱岐に向うと、左舷側は呼子辺りが、右舷側は糸島あたりが見える。私は呼子辺りや名護屋城辺りが見たかったのだ。
唐津東港を出たフェリーは、船窓に玄界灘に浮かぶ呼子周辺の島々を見せながら順調に進んだ。玄界灘は時に荒れる。ずっと以前、壱岐に行く予定で呼子港まで行った事がある。その時は海が荒れていて欠航、無念の涙を飲んだ。今回は波静かだ。椅子席に座っていると揺れもほとんど感じない。だが、中間付近を過ぎて客室の外に出てみた時だ。立っていると体が大きく揺れる。手すりか柱につかまっていないと体が持っていかれそうだった。波静かに見えて、やはり中くらいの波はあったのかもしれない。その中をフェリーは順調に壱岐に向い、そして壱岐・印通寺港へ。初めての壱岐だ。
一支国博物館から見る原の辻遺跡(右の方)
復元された船(一支国博物館)
到着後は、フェリーに同船だったバスに早速乗り込み、最初の目的地へ。一支国博物館だ。車窓から見える風景は、小高い山々の中に田んぼや民家が広がり穏やかそのもの。壱岐は、魏志倭人伝に「一大国(一支国/いきこく)」として出てくる国だ。それ故楽しみにしていた。博物館に着くと、すぐに館内ガイドが付いた。最初は、長崎県内で発掘された土器などがたくさん積み上げられた部屋。通常はばらばらの土器破片が復元されたりしているところが見えたりするはずだが、当日はお休み日。ガイドからは、人面土器のことが何度か口に出た。よほど気に入っているのだろう。次は、上階のビューシアターへ。そこでは、朝鮮半島と日本を結ぶ架け橋として栄えた一支国の様子がスクリーンに映し出された。映像が終わると、新たな仕掛けが。するするとスクリーンがあがると、その先にかつての壱岐の中心地「原の辻遺跡」が見渡せるようになっていた。ひと時、外の景色を楽しんだ後は、両脇に展示物がある廊下へ。ゆっくり見たいが、ガイドはどんどん先へ進んでいく。当時の船が復元展示してある所付近で、とうとうはぐれてしまった。ツアーだから仕方がないかもしれないがあまりに時間が少なかったのだ。とうとう出発時間が近くなったので、入口近くの売店へ。壱岐では買いたいものがひとつあった。「鬼凧(おんだこ)」だ。ツアーの行程表では、買物ができる場所も時間も限られているようだったので、この売店で買う事にした。2、3種類大きさの違うものがあったが、一番大きなものを買った。ここでは売っていなかったが、もっと大きなものもある。それが欲しかったのだが、あってもツアーバスでは持帰るには無理だったかもしれない。この鬼凧は、武者「百合若大臣」と鬼の首領「悪毒王」の決闘を描いた壱岐市の伝統工芸品だ。その元になっている伝説は、こうだ。
壱岐には昔、鬼がたくさん住んでいて、島を荒し回り人々を苦しめていた。それを見かねた豊後の若武者・百合若大臣が壱岐にやってきて、次々に鬼をやっつけ、最後に鬼の大将「悪毒王」と相対した。激戦の末、百合若大臣が悪毒王の首を切り落とすと、鬼の首は空中に舞い上がり、百合若大臣の兜に噛み付いたがそのまま死んでしまった。
退治された鬼たちは、その後も天空から壱岐に戻る機会をうかがった。そのため、壱岐の人たちは、鬼たちが降りて来ないように悪毒王の首が百合若大臣の兜に噛み付いた様子を描いた凧を天に向けてあげたそうだ。
退治された鬼たちは、その後も天空から壱岐に戻る機会をうかがった。そのため、壱岐の人たちは、鬼たちが降りて来ないように悪毒王の首が百合若大臣の兜に噛み付いた様子を描いた凧を天に向けてあげたそうだ。
壱岐は、朝鮮半島と九州の間にある小さな島だ。古くから半島と行き来があり、交易の中心地でもあったから、時には様々な来訪者と土着者との争いもあった。そのため数多くの鬼伝説が生まれ、それを背景にして鬼凧はあるようだ。さて、鬼凧を手に入れた私はツアー参加者の羨望の眼(?)の中、時間ぎりぎりでバスに乗った。
壱岐の伝統工芸品「鬼凧」
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