義姉の叔父である旧陸軍パイロット黒澤軍曹の遺品(搭乗していた戦闘機の部品の一部)が旭川の陸上自衛隊が運営する北鎮記念館に展示されている。
先日、義母を見舞いに行ったときに旭川に寄り、実物を見てきた。
ここが北鎮記念館。
戦前、戦中、戦後の動乱期が良く分かります。
北鎮記念館のHPはここ。
http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/hokutin2/top.html
これが黒澤軍曹が操縦していた陸軍97式戦闘機の模型。
カラーリングは違うけど、当時を偲ばせている。
そしてこれが今回、黒澤軍曹の遺品となって日本に帰ってきた搭乗機の部品の一部。
右側がエンジンの過給機(スーパーチャージャー)
左側が7.7mm機銃の銃身。
この遺品となった機体の一部を見ていると、叔父の遺骨と遺品は何人ものボランティアの手によって日本に帰ることができたが、空戦相手の米軍機の機体とパイロットの遺骨は未だに見つかってはいない。
早く見つかってアメリカの遺族の元に帰ってほしい。
それまでは過去の戦争は決して終わることはない。
ふと、そう思った。
先日、義母を見舞いに行ったときに旭川に寄り、実物を見てきた。
ここが北鎮記念館。
戦前、戦中、戦後の動乱期が良く分かります。
北鎮記念館のHPはここ。
http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/hokutin2/top.html
これが黒澤軍曹が操縦していた陸軍97式戦闘機の模型。
カラーリングは違うけど、当時を偲ばせている。
そしてこれが今回、黒澤軍曹の遺品となって日本に帰ってきた搭乗機の部品の一部。
右側がエンジンの過給機(スーパーチャージャー)
左側が7.7mm機銃の銃身。
この遺品となった機体の一部を見ていると、叔父の遺骨と遺品は何人ものボランティアの手によって日本に帰ることができたが、空戦相手の米軍機の機体とパイロットの遺骨は未だに見つかってはいない。
早く見つかってアメリカの遺族の元に帰ってほしい。
それまでは過去の戦争は決して終わることはない。
ふと、そう思った。
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