3連休の間は毎日良い天気で中日となる日曜日には季節外れの暑さとなった賢パパ地方でしたが昨日も良い天気の朝でした。
それでも前夜は冷え込んだと見えて花切りを始める時にはこんな気温で
仕事場の中を見渡せば切れる花の数は少なそうでありますよ。
思った通り収穫できた花は前日とは大違いで花切りに要する時間も短かくて済んだ。
切り終えてから次の温室に移動する時に仕事場の隣にある無人販売を覗いてみたら・・・お目当ての梨はなかったけど
柿があったので買って来ましたが・・・これでたったの100円はずいぶん安いぢゃまいか。
帰宅してP.C.を開くと相撲界からこんなニュースが飛び込んで来ましたよ。
1948年生まれと言いますから賢パパと同じ年の生まれですがあちらは早生まれなのでちょうど70歳だったそうです。
ずいぶん若くして亡くなったなと思っていたら・・・一昨年亡くなられた千代の富士さんは61歳だったし北の湖さんも62歳という若さでこの世を去っていました。
こうなるともうとことん調べてみないと気が済みませんから・・・暇に任せて調べてみました。
新しい方から遡って行きますが・・・一番新しい横綱が「稀勢の里」関でこれが72代目の横綱だそうです。
どんどん遡って行きますが60代目までは「鶴竜」「日馬富士」「白鵬」「朝青龍」「武蔵丸」「若乃花」「貴乃花」「曙」「旭富士」「大乃国」「北勝海」「双羽黒」と皆さんまだご存命であります。
これより先の横綱については59代の「隆の里」が59歳で亡くなり・・・その前の58代横綱千代の富士は61歳でこの世を去った。
57代の「三重ノ海」と56代の二代目「若乃花」ほそれぞれ70歳と65歳でご存命ですが・・・それ以前の横綱でまだ生きておられる方は「北の富士」さんただ一人。
55代の「北の湖」から遡って行きますが・・・「北の湖」の享年が62歳でその前の横綱がこのたびお亡くなりになった「輪島」関の70歳。
更に遡って行って
「琴桜」66歳
「北の富士」76歳(存命)
「玉の海」27歳
「佐田の山」79歳
「栃ノ海」80歳
「大鵬」72歳
「柏戸」58歳
に「朝潮」の58歳となっていました。
どうです、ここに挙げた横綱のうち59代目の「隆の里」から46代目の「朝潮」まで引き合いに出した横綱の数が全部で14人ですが・・・存命中のお三方を除いた11名の平均寿命が63歳。
今の日本人の男性の平均寿命が80を超えていることから考えたらずいぶん低い。
その理由として挙げられるのが太りすぎによる心臓への負担が大きくなることや糖尿病などがありますが・・・そればかりでもないようですねぇ。
大相撲の三役の取り組みとは、あの巨躯同士が猛スピードで激突するもので、これを例えて「本場所中は毎日、軽トラックと正面衝突しているようなものだ」という表現を聞いたことがあります。
それが土俵人生の続くかぎり続いて行くという過酷なお仕事で、まともにやっていたらとてもじゃありませんが身体がもたない。
実際、江戸時代の本場所は年2回でおのおの10日間の開催でした。
昔の川柳には「一年を二十日で暮らすいい男」というものがあったぐらいですから相撲取りが良い身分だったことがうかがえますが・・・逆に言うとそのぐらいしかガチンコ相撲を取ることが出来なかった。
それが時間の経過とともに一場所が11日→13日と増えて行って戦後は15日で定着し、4場所だったところに九州と名古屋が加わって年間6場所90日制となった。
更に地方巡業というのがありますから実際の取り組み数というのはどのくらいになるのか見当もつかない。
ことほど左様にお相撲さんの仕事は激務である所に持って来て・・・横綱ともなれば本場所以外の土俵の外での付き合いも多い。
これではやはり長生きが出来ないのも無理がありません。
ちなみに・・・ここでは横綱のデータだけを紹介しましたが、それに準ずる立場にある大関についてもその寿命は短いそうです。
輪島さんのご冥福をお祈りいたします。
今日は3ヶ月に一度の血圧の病院の通院日です。
いつもは11時に予約を入れてもらっていたのでバラ園の仕事を終えてからでも間に合いましたが今回はどういうわけだか10時半の予約。
通常勤務は無理なのでバラ園の仕事は30分早上がりさせていただくことになっています。
それでも前夜は冷え込んだと見えて花切りを始める時にはこんな気温で
仕事場の中を見渡せば切れる花の数は少なそうでありますよ。
思った通り収穫できた花は前日とは大違いで花切りに要する時間も短かくて済んだ。
切り終えてから次の温室に移動する時に仕事場の隣にある無人販売を覗いてみたら・・・お目当ての梨はなかったけど
柿があったので買って来ましたが・・・これでたったの100円はずいぶん安いぢゃまいか。
帰宅してP.C.を開くと相撲界からこんなニュースが飛び込んで来ましたよ。
1948年生まれと言いますから賢パパと同じ年の生まれですがあちらは早生まれなのでちょうど70歳だったそうです。
ずいぶん若くして亡くなったなと思っていたら・・・一昨年亡くなられた千代の富士さんは61歳だったし北の湖さんも62歳という若さでこの世を去っていました。
こうなるともうとことん調べてみないと気が済みませんから・・・暇に任せて調べてみました。
新しい方から遡って行きますが・・・一番新しい横綱が「稀勢の里」関でこれが72代目の横綱だそうです。
どんどん遡って行きますが60代目までは「鶴竜」「日馬富士」「白鵬」「朝青龍」「武蔵丸」「若乃花」「貴乃花」「曙」「旭富士」「大乃国」「北勝海」「双羽黒」と皆さんまだご存命であります。
これより先の横綱については59代の「隆の里」が59歳で亡くなり・・・その前の58代横綱千代の富士は61歳でこの世を去った。
57代の「三重ノ海」と56代の二代目「若乃花」ほそれぞれ70歳と65歳でご存命ですが・・・それ以前の横綱でまだ生きておられる方は「北の富士」さんただ一人。
55代の「北の湖」から遡って行きますが・・・「北の湖」の享年が62歳でその前の横綱がこのたびお亡くなりになった「輪島」関の70歳。
更に遡って行って
「琴桜」66歳
「北の富士」76歳(存命)
「玉の海」27歳
「佐田の山」79歳
「栃ノ海」80歳
「大鵬」72歳
「柏戸」58歳
に「朝潮」の58歳となっていました。
どうです、ここに挙げた横綱のうち59代目の「隆の里」から46代目の「朝潮」まで引き合いに出した横綱の数が全部で14人ですが・・・存命中のお三方を除いた11名の平均寿命が63歳。
今の日本人の男性の平均寿命が80を超えていることから考えたらずいぶん低い。
その理由として挙げられるのが太りすぎによる心臓への負担が大きくなることや糖尿病などがありますが・・・そればかりでもないようですねぇ。
大相撲の三役の取り組みとは、あの巨躯同士が猛スピードで激突するもので、これを例えて「本場所中は毎日、軽トラックと正面衝突しているようなものだ」という表現を聞いたことがあります。
それが土俵人生の続くかぎり続いて行くという過酷なお仕事で、まともにやっていたらとてもじゃありませんが身体がもたない。
実際、江戸時代の本場所は年2回でおのおの10日間の開催でした。
昔の川柳には「一年を二十日で暮らすいい男」というものがあったぐらいですから相撲取りが良い身分だったことがうかがえますが・・・逆に言うとそのぐらいしかガチンコ相撲を取ることが出来なかった。
それが時間の経過とともに一場所が11日→13日と増えて行って戦後は15日で定着し、4場所だったところに九州と名古屋が加わって年間6場所90日制となった。
更に地方巡業というのがありますから実際の取り組み数というのはどのくらいになるのか見当もつかない。
ことほど左様にお相撲さんの仕事は激務である所に持って来て・・・横綱ともなれば本場所以外の土俵の外での付き合いも多い。
これではやはり長生きが出来ないのも無理がありません。
ちなみに・・・ここでは横綱のデータだけを紹介しましたが、それに準ずる立場にある大関についてもその寿命は短いそうです。
輪島さんのご冥福をお祈りいたします。
今日は3ヶ月に一度の血圧の病院の通院日です。
いつもは11時に予約を入れてもらっていたのでバラ園の仕事を終えてからでも間に合いましたが今回はどういうわけだか10時半の予約。
通常勤務は無理なのでバラ園の仕事は30分早上がりさせていただくことになっています。