トレッキング当日は早朝4:30にガイドさんが宿まで車で迎えに来てくれるということで、前日は早めに寝ようと21:00には布団に入ったものの、たまたまその夜放送されていた映画『海猿』にはまってしまい、結局寝たのは0:00頃 テレビ消して寝ればよかったぁー なんてちょっぴり後悔しつつも、3:45に起きて準備を済ませた頃には、縄文杉に会える喜びからか、早朝から結構元気だった私達。4:30に宿の人が準備してくれた朝ごはんとお昼の弁当を持ってLet's go!
今回は7人一組でのトレッキングということで、まずは私達3人と、同じ宿に泊まっていた一組のカップルを乗せ、さらに別の宿でもう一組の学生さんと思われる2人組みの男性を乗せ、シャトルバスの乗り場である杉の茶屋まで約一時間かけて到着。8月は観光客が多いので、登山口には一般車両の乗り入れはできないそうで、ここからはシャトルバス(往復1500円)を待って登山口まで上らなくてはいけません。この時点で時刻はまだ5:25。いつもならまだ夢の中です
シャトルバスでさらに約一時間ほどかけて上っていくと、標高約600mにある荒川登山口に到着します。その途中でやっと朝日が昇るのを見ることができました。美しい朝日もさることながら見事だったのは、運転手さんたちの運転技術。登山口までの道はとてもカーブが多く、道幅もかなり狭いのにも関わらず、熟練した運転手さんたちはそれらをものともせずにバンバン上っていくんです 上から下ってくるバスと離合するときがこれまた見事で、道のぎりぎりまで幅寄せしたりバックしたりする技術は本当にすごかった!あれは感動ものです そんなことを話しながら登山口の駐車場で朝食とトイレを済ませ、いよいよトレッキング開始です!まずは約8km続くトロッコ道を延々と歩きます 時刻は6:45。起きてからすでに3時間が経っていました。
私達のガイドさんはちょっと梅宮辰夫似のダンディな寺田さん。道案内はもちろん、屋久島の山に生きるモウセンゴケ(食虫植物)、リョウブ、リンゴツバキ、ヒメシャラ、ホウロクイチゴ、ノリウツギなど、様々な植物を紹介してくださいました
山の奥のほうに入っていくと、次第に大きな杉の木が姿を現すようになってきます。その中でも『屋久杉』と呼ばれるのは、標高500mを超える山地に自生する杉で、樹齢1000年以上、幹の直径が1m以上のものだけ。その他にも、樹齢1000年未満だと『小杉』(樹齢100年以下の杉を指すこともある)、屋久島に植林された杉を『地杉』と呼ぶそうです。
トロッコ道の途中には、このような木でできた橋が数箇所あり、下を見ると少しぞぞっとする場所もありました 確か一箇所だけ手すりのない橋があって、高い所があまり得意ではない私は、その橋を渡るときは周りの景色を見る余裕も無く、寺田さんの背中を見ながらさっさと渡ったのでした。ちょっと怖かったなぁー
こちらはかつて集落があった小杉谷という場所。大正12年に開設された原生林伐採の前線基地で、屋久杉伐採の最盛期だった昭和35年の小杉谷には、135世帯、人口540人、小学校、中学校、公衆浴場、商店(4軒)、理髪店などがあったと伝えられているそうです。当時の建物はほとんど残っておらず、こんな山奥に集落があったなんて信じられませんでしたが、確かに人が暮らしていた形跡があちらこちらにあり、本当に驚きました この時点で時刻は7:50。いつもだったら朝食を済ませて洗濯でもしてる時間かな~。
長く続くトロッコ道をひたすら歩いていくと、次第に日が高くなってきました。それでも多少標高が高く、木々に囲まれているため、下界で感じるあの真夏の強烈な暑さとは違い、心地よい日差しが私達を縄文杉へと誘います。時折吹き抜ける清涼感たっぷりの風を全身に感じながら、一歩ずつ着実に歩みを進めていきます
森の住人ヤクシカに遭遇!2~3頭いたかな?まるで私達のことは気にせず植物を食んでいましたが、私達にとっては長い冒険の途中に思いがけない宝物を見つけたようなもの 彼らとの出会いでまた元気をもらい、縄文杉の手前にあるウィルソン株を目指します。
こちらは大株歩道への入り口で、縄文杉トレッキング最後のトイレ休憩ができる場所。ここからはトロッコ道を外れ、山道に入ります。この時点で時刻は10:00。屋久島最大級の巨大な切り株ウィルソン株はもう目の前です!
大株歩道入り口から約15分後、ウィルソン株に辿り着きました 1586年、豊臣秀吉の命令により、大阪城(京都の方広寺とも)を築城するために切られたと言われ、1914年にアメリカの植物学者ウィルソン博士により世界に発表されたことからその名が付けられたのだとか。もしこの木が切り倒されていなかったら縄文杉を超える大きさだったとも言われています
切り株の中は空洞になっていて、株の中に入り空を見上げると、美しい新緑が太陽の光を浴びてきらきらと輝いていました
さらに見る角度によってはこのようにハート型に見えることでも知られています。まさに偶然が作り上げた産物ですね
また中には祠があって、地元の焼酎『三岳』がお供えしてありました。屋久杉はかつては神として崇められていたものの、江戸時代に入り島民の貧困を目にした儒学者泊如竹が島民に屋久杉の伐採を勧めたのがきっかけとなり、屋久杉は島民の生活の糧となってしまいました。1970年以降、屋久杉の伐採は禁止されているそうですが、太平洋戦争後の高度成長期には大規模な伐採が続き、伐採地区の杉はほとんど無くなってしまったのだとか。人も生きていかなければいけないのだから、自然を全く壊さずに生きていくのは難しいのかも知れないけれど、自然を大切にする気持ちさえ忘れなければ、自然と調和した生活を送ることがきっとできるはず。屋久杉の歴史を垣間見ながら、そんなことを思ったkero-keroなのでした。
次回はいよいよ縄文杉に出遭います