千綿駅の近くで見つけたど根性フラワー↑名前が分かりません
前回に引き続き、千綿駅の素敵な駅舎をもう少しだけご紹介しまーす
木造建築のこの駅舎の先は…
なんと海とても駅とは思えない景観でしょう?お天気が良ければもっと海の色がきれいなんでしょうけどね~
ご覧の通り、もちろんちゃんと線路もあります(笑)。よく見るとミラーには海が映ってるんですよ~ しつこいようですが、お天気が良ければもっと美しい景色が広がっているはず。また晴れた日に見に来てみようかな~ 普段なかなか降りることのないこの駅にすっかり魅せられてしまったkero-keroなのでした
さて、名残惜しくも千綿駅を後にし、またしても国道の反対側へと渡ります。
しばらく坂を上ると、千綿中学校の手前に柴取石を発見なんのために使われていたのかよく分かりませんが、街道の目印の一つとなっているようです。
再び雨が降り出しましたが、ひたすら街道を辿ります。
平原一里塚を通過。
案内標識に従って、再び坂を上ります。
左手にはいつも佐世保方面へ行くときに車で通る国道34号線が見えます。こんな所に道があるなんて知らなかったなぁ。
才貫田籠立場跡を通過。籠立場とは、藩主が街道を往来する際に籠を下ろして休憩した場所のことで、街道を歩いていると時折その跡を見ることができます。
再び線路沿いに出てきました。お地蔵さんが行き交う人々を見守っています。
松原地区へ突入!いよいよ、ゴールが見えてきましたよ~。
街道の目印として、さやの御前というものを事前にチェックしていたのですが、これがなかなか見つからない。というのも、なんとさやの御前はあるお宅の敷地内にあったのです
階段を上ると小さなほこらがあり、その中にはさやの御前さまが奉られていました。
ちなみにさやの御前さまは子孫繁栄の神様です。どうか子宝に恵まれますようにっと。
次に向かったのは鹿の島。昔は潮が引けば陸続きとなる島だったんですって。
階段を上ると祠があり、弁財天が奉られていました。かつてこの鹿の島は景勝地としても知られ、明治以降は料亭などが建てられ、避暑の客などで賑わっていたそうです。今はひっそりとしていて、当時の面影はほとんど見られません。
再び道草を食いながら街道を歩きます。kyouは海の生き物に興味津々。
街道の至る所にあるお地蔵さん。どれ一つ同じ顔のものはありません。
最後に訪れたのは、大きな天然石でできた相撲取りの墓。江戸時代にこの地から出たお相撲さん達のお墓で、しこ名は「大荒鷲岩」・「秀の川」とあります。残念ながら当時どの程度活躍したかは分かっていないそうですが、地元の人たちによって今も大切に守られているようです
ついにゴールである松原駅に到着~この日はたまたまJR主催の野岳湖ウォークが行われていて、私たちと同じようにザックを抱えた人たちがたくさんいらっしゃいましたこの日の総歩行距離は約10km。甥っ子kyouは、途中お父さんにおんぶしてもらうこともありましたが、5歳のkyouも8歳のmizukiもここまでよく歩きました
帰りの電車の中ではこの通りお父さんの膝の上で爆睡でしたけどね(笑)。GW恒例の家族行事となりつつあるこのイベント。5歳~65歳まで参加でき、どの年齢層からもなかなか好評なので、来年もまた計画したいと思いまーす来年はもう少しお天気に恵まれますように
GW長崎街道歩きその2(完)
はーい、ありがとね~
PTAのお仕事ご苦労様!
大変やろうけど、楽しみながら頑張ってね~
ブログチェックも出来ないでいます
そぉねぇ・・・お子ちゃまの宿るタイミングも微妙なタイミングだし神様ではないワタクシは何とも言えませぬ
とりあえず!一通りの物は棄てずに取っているので
その時は即座にご一報くださいなぁ
たぶんリンドウじゃないと思う。日本の植物じゃないと思うんだよね~。分かったらまたお知らせするね!子どもは授かりものなので、神様が今と思ったときに授かるのかなって思います。私たちにもいつかその時が来ると思うので、そ~っと見守っていてくださいな
実は、mizukiを授かるチョット前に竿御前様にお参りに行った事があるんだよ
まぁお参りしたから授かったってわけじゃないと思うけど、何らかのパワーは貰って帰ったのかもしれない
今回ケロケロちゃんが竿御前様を見つけたのも何かのご縁なのかもしれないね
ワタクシは、ケロケロちゃんのお腹に甥っ子or姪っ子が宿ってくれるようお祈りしてます
また近々計画立てて街道歩きしませう~