I Love Nature

自然の中で見つけたステキなモノ

長崎街道歩き1 井樋之尾~古賀の藤棚

2010年06月04日 | 長崎街道
(喜々津カントリークラブ周辺で拾った大きな松ぼっくり)
 
5月3日、メタボ気味の旦那さんのダイエットを兼ねて、二人で長崎街道を歩いてきました 以前からずっと気になっていた長崎街道。一度長崎から小倉まで歩いてみたいなぁと思っていたのですが、一度に歩くのは体力的にも時間的にも無理。ならばちょこっとずつ小分けにして歩いてみよう!ということで、今回は古賀から貝津辺りまでの範囲を歩いてみました。例のごとく二人分のおにぎりを握って、11時頃多良見町にある自宅を出発!まずは囲の交差点を井樋之尾(いびのお)方面へと向かいます。
 
 
長崎街道を目指し、喜々津カントリークラブの横を通って、どんどん山の方へ登っていきます。街道はどこだ~?
 
 
と、井樋之尾の御境石(写真左)なるものを発見 どうやらこの通りが長崎街道のようです。傍らに設置されていた案内板によると、この見境石について以下のように書かれていました。
 
文化五年(1808)のイギリス船フェートン号事件以降、長崎港警固の必要から、安政六年(1859)幕府の命により大村領東泊(大浦村)を天領に繰り入れ、代地として古賀村を大村領とした。この見境石は、このとき長崎往還道の佐賀領喜々津村と大村領古賀村の領境に立てられたことが文献に記されている。
 
(平成11年7月 諫早市教育委員会)
 
 
 
なるほど。ここが佐賀領の大村領と境目だったのかぁ。ちなみにフェートン号事件とは、当時鎖国体制だった日本で唯一海外に開かれていた長崎港にイギリスの軍艦が侵入したという事件。オランダの国旗を掲げ、国籍を偽って侵入し、人質をとって食料や飲料水を要求したらしい。要求に応じなければ港内の船を焼き払うと脅され、兵力を持たなかった長崎奉行所はイギリスの要求に応じたのだとか。当時海外との唯一の交流拠点だった長崎は、同時に外国の脅威にもさらされていたのですね
 
 
さ、ここからは古賀の藤棚を目指して、さらに東長崎方面へと歩きます。お天気もいいし、気持ちいいなぁ~
 
 
長崎街道の案内標示を発見 長崎街道にはこのような標示が所々に立てられているので、道を外れることはありません。ま、時々見失うこともありますケドね
 
 
標示通りにひたすら歩いていると、高速道路の多良見インターを少し過ぎたところに次の目的地だった古賀の藤棚を発見

 
案内板にはこう書いてありました。
 
古賀の藤棚
 
長崎から四里七町(16.3キロ)、諫早から三里十八町(13.6キロ)の距離で、郷土人形として有名な古賀人形の小川家は中里町のこの地にあり、家の前には大きな藤棚がある。昔は、長崎街道を通る諸大名や旅人たちの休憩所となった茶屋である。
 
ふむふむ。この家は古賀人形の名家で(どうりでステキなお家!)、茶屋として旅人達の休憩所になっていた場所でもあるのかぁ。当時は車や電車なんてないから、旅人にとって自分の足だけが唯一の交通手段であったはず。長い長い旅の途中で、美しい藤棚を眺めながらほっと一息できるこの場所で、どんなに多くの旅人達が疲れを癒したことでしょうね

 
周囲を散策していると、山際に小さな石段を発見 何があるのか上ってみると、そこには古そうな木製の鳥居があり、その鳥居をくぐるとちょっとした庭園のようなスペースが広がっていました。きっと地元の人が古くから守ってきた神社なのでしょうね。名前を探してみましたが、見つけることはできませんでした。ちょうど座れる場所があったので、ここでこれからどこへ向かうか検討したところ(なんせ行き当たりばったりウォーキングだったもので)、来た道を引き返して久山方面へ行き、そのまま西諫早にある私の実家まで歩こうということになりました。この後まるで200年前にタイムスリップしたような風景に遭遇することになるのですが・・・。
 
街道歩きはまだまだ続きまーす

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tami)
2010-06-05 15:10:22
久しぶりにひらけて見れた
長崎街道めぐりの次回はいつ予定されていますか?
次回はぜひとも参加させてください!
最近運動不足です・・・・。
返信する
了解なり~ (kero-kero)
2010-06-05 21:47:38
>tami
コメントありがとー
今度街道巡りする時は事前に連絡するね!
鈴田峠がおもしろかったので、もう一回行こうと思ってるよ。
また一緒におにぎり作って歩きに行こうね~
返信する
初めまして! (tyanpon)
2011-06-12 13:14:23
初めまして、多良見町在住の者です。楽しく拝見させて頂いております。気になるのが一番最後の神社風の境内です。どの辺にあるのでしょうか。
返信する
いらっしゃいませ! (kero-kero)
2011-06-12 23:13:54
>tyanponさん

コメントありがとうございます♪あの神社は、藤棚から東長崎方面へ少し行くと左手の方に石の階段があり、その階段を上ったところにありました。案内板も何もないので見つけにくいかもしれませんが、探してみてくださいね!
返信する
こんにちは (James)
2011-10-10 20:38:27
正にこの井樋ノ尾の長崎街道付近に住んでいるものです。
「井樋之尾の御境石」の角にあるお家が立っているのですが、本当の長崎街道はそのお家の庭を通っていたそうです。今でもそういう感じの跡が残っています。ですから、古賀から歩いてきて井樋ノ尾に入るときには、真っ直ぐな道だったようです。
今は、「井樋之尾の御境石」の所で切通になっていて井樋ノ尾地区に入るのですが。

私も、長崎街道を少しずつ歩いてみようと思っています。

別記事で井樋ノ尾観音の湧水のことを書かれていますが、ここの水は軟水です。市販でよく軟水器がありますが、軟水器を通さずとも軟水になっています。コーヒーやお茶等おいしいですよ。水を汲む時は共益金をお願いしますね。井樋ノ尾観音の維持費に当てられていますので。
返信する
こんにちは! (kero-kero)
2011-10-12 21:41:53
>Jamesさん

コメントありがとうございます!
なるほど~、御境石の所はまっすぐの道だったのですね。
今度通った時はもっと注意深く見てみます。
井樋ノ尾観音のお水はその場でちょっと頂いただけでしたが、
Jamesさんのお話を聞いてコーヒーを淹れたくなってみました。
車で行けば近いので、近々お水をいただきに行ってみたいと思います。
その際は共益金もちゃんと納めますね!
貴重な情報をありがとうございました
返信する

コメントを投稿