熊野神社から見える高速道路
母と二人で熊野神社の境内を散策していると、一人の年配の男性に遭遇実はこのおじさん、ものすごい神社仏閣マニアで、「ここはもともと熊野神社ではなく、宝円寺というお寺だったんですよ」という所から話がどんどん広がっていって、この場所にまつわるお話をたっくさん教えてくださいましたこちらもそういうお話には興味があり、「そうなんですか~!」なんて頷きながらおじさんの話を興味深く聞いていたので、きっと話し甲斐があったのでしょうねついには境内を詳しい解説付きでくまなく案内してくださいました~
そのおじさんのお話によると、神社の本殿から階段を少し下った所にあるこちらの建物は、もともとは『宝円寺』というお寺の護摩堂、つまりお坊さんが修行する場所だったのだそうです。
その護摩堂の裏には石段があり、その石段を上った先には剣と龍の姿が刻まれた石碑がおじさん曰く、なんとこの池田山には「龍が住んでいる」と言う伝説があり、霊感の強い人はこの山に入るとその存在を感じるのだそうで、今流行の「パワースポット」らしいのです。かつてはこの場所に滝があり、お寺の僧侶たちが修行をしていたのだそうですが、現在その滝は水源が寸断され残っていません。
明治時代の廃仏毀釈によって廃寺となった宝円寺の本堂は、その後『妙宣寺』というお寺が火災によって消失した際に、そこに移されたというのです。
護摩堂の側にはいくつかの石像が残されていてます。表情に味があるなぁ~
階段の中腹にはこの辺り一帯に散在していた石仏が集められている場所があるというので、少し下ってみる事に。
そこにはおじさんの言う通り、千手観音像などたくさんの石仏が祀られていました。これらの石像は廃仏毀釈により破壊されたり散り散りになったもので、後にこの場所に収集されたのだとか。
こちらは六地蔵。苔むしてそのお顔を拝見する事はできません。お隣は道祖神かな?
立派な灯籠も残されています。すぐ目の前には倉庫のような建物があり、かつての風情は完全に損なわれてしまっています
頭が落ちてしまった石仏。なんだか悲しそう…おじさんのお話によると、宝円寺の重職のお墓は高速道路建設の際に池田湖の畔に移されてしまったのだとか。本堂は妙宣寺に、お墓は池田湖に、そして石仏達は一ヵ所に集められ…。さらに農道の傍らにある鳥居は二の鳥居で、一の鳥居はレストラン『いとう』の横にぽつりと立っているのだそう。かつての宝円寺の重職たちがこの有様を見たらきっと悲しむでしょうね。
こんな話がいつまでもつきない神社仏閣マニアのおじさん。なんと四国八十八ヶ所霊場は4周も廻ったのだそうです。すごいですよね~ちょっと立ち寄るつもりだった熊野神社でしたが、気がつくとおじさんと遭遇してから一時間以上経っていました。この後お昼ご飯を食べにいく予定だったので、おじさんにお礼を言ってから熊野神社を後にすることにしたのですが、階段を上り車に乗り込もうとすると、再びおじさんがバイクに乗って現れ、「妙宣寺まで案内しましょうか?」と。なんてサービス精神あふれるおじさんなのでしょう~きっとまだ話したい事がたくさんあったのでしょうねもうこれ以上お世話になる訳にも行かないし、正直かなりお腹も減っていたので、「ナビがあるから大丈夫ですよ~」とやんわりお断りして、おじさんとお別れしたのでした。
次回はおじさんに教わった妙宣寺を訪れます
その3へ続く
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