あの日から1年が経ちました。この1年間、被災地から遠く離れた長崎に住んでいる私は、テレビに映し出される被災地の映像からその甚大さと恐ろしさを想像し、被災者の方々の心情に想いを馳せ、涙を流すことも少なくありませんでした。しかし、体感するのと想像するのとでは雲泥の差があり、想像の中にリアリティは存在しません。そのせいか、時間の経過に伴い、震災の事を深く考えたり、家族や友人と震災について話したりする機会も徐々に少なくなっていったような気がします。
14時46分。被災地と同じように、ここ長崎でもサイレンが鳴り、1分間の黙祷を捧げました。現地で被災者支援に奔走する主人の兄嫁が記したSNS上の日記には、その時の心情が綴られており、現地には私には推し量る事のできない様々な想いや感情があるのだということを改めて気付かされました。私の中で震災の事を風化させないためにも、本人の許可を得てその日記をここに転記させていただきます。
今日、14時46分は街の中で迎えました。
時間が近づくにつれ、頭痛がしてきました。
そして、奥歯を噛み締めている自分がいました。
雑踏の中で黙祷…
涙ぐむ女性、黙り込む男性…足早にその場を立ち去る人。
音が一瞬消えました。
どんな感じでこの時を迎えるのか二、三日前から考えてました。
今、過ぎてみると心が軽くなるどころか次第に重くなるのを感じています。
日々の流れる時間と心の回復は関係なく、むしろ心が取り残されていく感じです。
私の性格もあるのでしょう。
でも、この気持ちを無理にあげようとは思いません。
深海に沈むこの感覚は大切にしていこうと思います。
昨夜は友人が関わっている震災復興チャリティーイベント『RAINBOW OF HOPE』に参加してきました。このイベントを通して、友人や同僚が様々な形で支援活動に携わっていることを知り、私の中に「私は震災とどう関わっていけばいいのだろう」という問いが生まれてきました。その問いに現地でのイベントや被災者の方々と関わっている兄はこう答えてくれました。
ただ、寄り添ってあげようという気持ちだけでいいのではないでしょうか?
実は誰も何もできない。でも寄り添ってあげようという気持ちを持つ事が大切なのだと。
リアリティーのある兄の言葉。確かにその気持ちさえ持ち続けていれば、震災のことを生涯忘れる事はないでしょう。その気持ちさえ持ち続けていれば、それが今回のようなチャリティーイベントへの参加やボランティア活動に繋がっていくかもしれません。
自分がその時々にできることをちょっとずつやっていこう。
2011年3月11日にあった出来事をずっと忘れない事が一番大事。
兄夫婦の言葉が、私に3.11とじっくりと向き合う時間を与えてくれました。震災直後から懸命に走り続けてきた兄夫婦の存在に感謝。兄夫婦を含め、被災地で懸命に生きる被災者の方々が、どうか一日も早く明るい笑顔と震災前の日常を取り戻せる日が訪れますように。あの日のことを忘れないように、また来年の3月11日もこのブログに震災のことを記したいと思います
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