伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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気仙沼の富美ちゃんのエッセイ

2024-04-20 23:58:40 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん

今日の道新の「いずみ」に

私のエッセイが載り

富美ちゃんの高校時代の親友K子さんからお電話を

いただいた。

高校時代のクラスメートと富美ちゃんの思い出を電話でお話したと

涙声だった。

皆の中で富美ちゃんは生きているのです。

還暦の年に

来道した富美ちゃんと

登別温泉クマ牧場を訪れた時。

右からK子さん富美ちゃん私M子さん

この時初めてK子さんにお会いした。

ブロ友さんたちの要望で

掲載させていただきます。

 

 

 

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あれから12年・・・気仙沼の富美ちゃん

2023-03-11 23:20:27 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん

 また3月11日がやってきた。

 あれから12年も経った・・・

 あなたはいつも私の心の中に生きているからネ

 屈折した中学時代の私をいつも見守ってくれていたあなた。

 安らかにお眠りください・・・。

 

 過去ブログより

気仙沼の富美ちゃんを偲ぶ

2012-03-07 01:30:19 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん

 

 あの3月11日がやって来る

 まだこんなに寒い日だったんだ・・・・

 どんなに冷たく苦しかったろうと

 思うと

 胸が詰まる・・・・。


 最近は連日のように

 ドラマとかニュースで報じられている。


 私もよく富美ちゃんの夢を見る。


 中学時代の富美ちゃんは

 美人で頭が良く

 皆の憧れの的だった。


 高校を卒業するとすぐ地元の農協に

 就職したが

 気仙沼生まれの彼女は将来は気仙沼に

 帰ることになっていた。

 そこには婚約者が待っていた。


 でも彼女としては


 自分の人生

 既にレールが敷かれた人生を素直に

 受け入れてはいたが

 一度だけ

 自分の好きなように生きたいと


 当時札幌の大学に進学した私の元を

 訪れた・・・・・。


 美容部員に憧れ

 コーセの入社試験を受けに来たのである。

 新川にある棒二デパートで試験があると言

 うので


 私もお付き合いしてバスで新川に着いたが

 番地を捜して歩けどあるけど

 そんなデパートなんて無かった。

 とうとう交番に飛び込んで訪ねると


 なんとなんと

 函館の新川だということが判明

 おまわりさんに大笑いされた。


 そういえば棒二デパートと言えば函館だよね

 ・・・・・・・・・。

 とあとで 2人とも気が付いたが

 

 プリントの試験場案内に

 函館の地名が無かったので

 てっきり札幌だと彼女はカン違いしたのである。



 すぐさま


 札幌の本社に電話したところ

 すぐに面接をするとのこと

 試験もあったそうなので

 どうだった・・・・

 と聞くと

 「簡単な数学と国語と英語だったので

 なんもなんも・・・・」

 と言っていたが

 「頭いいんだね・・・・」

 と試験管にほめられたそうである。


 それを聞いて私も嬉しかった。


 そりゃそうでしょう

 我が中学のエリートなんだから・・・・。



 その後富美ちゃんは1ヵ月ちょっとの

 研修期間

 私の部屋で過ごし


 めでたく

 地元で美容部員として活躍した。


 その数年後彼女は自分なりに

 仕事をなしとげ、納得して

 気仙沼に旅立った。


 そして優しい御主人とスーパー

 とマンションなどを経営

 現役バリバリで働き

 これから・・・・という時に


 御主人、息子さんと

 津波に呑まれてしまった・・・・。



 今は


 ただただ
 
 富美ちゃんの魂が安らかであれ・・・

 と祈ることしかできない・・・。


 富美ちゃん札幌での共同生活

 楽しかったよ・・・・・。

 貴重な2人の青春時代だったよね・・・。



 富美ちゃんが住んでいた

 北湯沢温泉






 長流川





 この本に富美ちゃんが

 登場してきます。




 この本には

 モデルとして登場します。




彼女は私にとってかけがえのない

 親友でした・・・・。
 
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震災から11年・・・気仙沼の富美ちゃん

2022-03-11 15:37:16 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん

親友の富美ちゃんが逝ってからもう11年

2時46分

テレビに合わせて黙とう

富美ちゃんあなたは私といつも一緒だょ・・・・。

 

 

過去のブログより

 気仙沼の富美ちゃんを偲ぶ

2012-03-07 01:30:19 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん

 

 あの3月11日がやって来る

 まだこんなに寒い日だったんだ・・・・

 どんなに冷たく苦しかったろうと

 思うと

 胸が詰まる・・・・。


 最近は連日のように

 ドラマとかニュースで報じられている。


 私もよく富美ちゃんの夢を見る。


 中学時代の富美ちゃんは

 美人で頭が良く

 皆の憧れの的だった。


 高校を卒業するとすぐ地元の農協に

 就職したが

 気仙沼生まれの彼女は将来は気仙沼に

 帰ることになっていた。

 そこには婚約者が待っていた。


 でも彼女としては


 自分の人生

 既にレールが敷かれた人生を素直に

 受け入れてはいたが

 一度だけ

 自分の好きなように生きたいと


 当時札幌の大学に進学した私の元を

 訪れた・・・・・。


 美容部員に憧れ

 コーセの入社試験を受けに来たのである。

 新川にある棒二デパートで試験があると言

 うので


 私もお付き合いしてバスで新川に着いたが

 番地を捜して歩けどあるけど

 そんなデパートなんて無かった。

 とうとう交番に飛び込んで訪ねると


 なんとなんと

 函館の新川だということが判明

 おまわりさんに大笑いされた。


 そういえば棒二デパートと言えば函館だよね

 ・・・・・・・・・。

 とあとで 2人とも気が付いたが

 

 プリントの試験場案内に

 函館の地名が無かったので

 てっきり札幌だと彼女はカン違いしたのである。



 すぐさま


 札幌の本社に電話したところ

 すぐに面接をするとのこと

 試験もあったそうなので

 どうだった・・・・

 と聞くと

 「簡単な数学と国語と英語だったので

 なんもなんも・・・・」

 と言っていたが

 「頭いいんだね・・・・」

 と試験管にほめられたそうである。


 それを聞いて私も嬉しかった。


 そりゃそうでしょう

 我が中学のエリートなんだから・・・・。



 その後富美ちゃんは1ヵ月ちょっとの

 研修期間

 私の部屋で過ごし


 めでたく

 地元で美容部員として活躍した。


 その数年後彼女は自分なりに

 仕事をなしとげ、納得して

 気仙沼に旅立った。


 そして優しい御主人とスーパー

 とマンションなどを経営

 現役バリバリで働き

 これから・・・・という時に


 御主人、息子さんと

 津波に呑まれてしまった・・・・。



 今は


 ただただ
 
 富美ちゃんの魂が安らかであれ・・・

 と祈ることしかできない・・・。


 富美ちゃん札幌での共同生活

 楽しかったよ・・・・・。

 貴重な2人の青春時代だったよね・・・。



 富美ちゃんが住んでいた

 北湯沢温泉






 長流川





 この本に富美ちゃんが

 登場してきます。




 この本には

 モデルとして登場します。




彼女は私にとってかけがえのない

 親友でした・・・・。
 




 

 

 

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思い出の北湯沢へ

2020-10-22 11:28:35 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん

私の第二の故郷でもある北湯沢へ行ってきた。

私は北湯沢の隣村の優徳で小中学校を過ごした。

今は伊達市大滝区であるが

バスで一時間ほどかかる。

いろいろと思い出の残っている土地である。

気仙沼で亡くなった一番の親友だった冨美ちゃん

との楽しい思い出もある。

今は仙台で暮らしているMちゃんと3人で

現在名水亭になっている冨美ちゃんの家に宿泊

語り合った二十歳の青春・・・。

本当に昨日のように鮮明に思い出される。

時は流れ

田舎で育った三人はそれぞれ土地を離れ子供たちは

遠くに巣立っていった。

冨美ちゃんの長女はアメリカ

Mちゃんの長男はオーストラリアに永住した。

我が息子は外国で暮らすんだと若い時言っておったが

東京に居をかまえた。

そしてそして

冨美ちゃんが気仙沼でご主人と長男もろともに・・・海にのみ込まれるなん

て誰が予想しただろう・・・。

北湯沢に降りるたびに胸が詰まる。

そして

若き日の冨美ちゃんに語りかけている。

時は流れても

思い出はすぐそこにある。

中学校での出会い

輝いていた高校生の彼女

美容部員になるんだーと札幌の私の部屋で一緒に

暮らした日々。

あなたとの思い出は決して私から消えないよ・・・

私の中で一緒に生きて行こうネ。

気がついたら二十歳になった自分がいた。

体は老いても心は老いない・・・

心はいつまでもしなやか

自由自在

心と体のギャツプが悲しい・・・これもせんないこと。

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親友の命日

2020-03-11 05:26:56 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん

あの日から今日て゛9年

富美ちゃんのことを思うと胸が痛む

生涯で一番の親友だった。

そろそろワカメが届くかなぁーと思っていた矢先

延々と続くテレビの津波の報道に息をのんだあの日

一睡もしないで

心が麻痺し

震えていたあの日

富美ちゃんの家は海の近くと聞いていた

何度かけても通じない電話

一番心の許せる親友だった。

旦那様と息子さんと一瞬に津波の犠牲になったあなた

さぞ

無念だったでしょう。

中学時代のあなたは一番輝いていた。

文学少女で屈折していた私はあなたと接することで

かろうじて生きることができた。

多感な時代を乗り越えてこられたのもあなたのおかげ

その後

道はそれぞれ違ったけれど

私の心の中にはいつもあなたがいて

決して離れることが無かった。

今の北湯沢の名水亭が建っている場所は

かって富美ちゃんが住んでいた場所

おじいちゃんがそこの別荘の管理人をしていた関係で

20歳になった私たちは光子ちゃんと三人でその別荘に

泊まり

将来の夢を語り合ったよネ

三人ともほぼその夢を叶えたけれど・・・。

光子ちゃんは今あなたのすぐ近く・・・仙台にいるよー

私だけ

あなたと過ごした北湯沢の近くの伊達に移住してきた。

おじいちゃんは何故故郷の気仙沼を捨て

幼いあなたを連れてあちこち北海道を行脚し

最後に北湯沢に辿り着いたのでしょう・・・。

富美ちゃん安らかにお眠りください。

 

 

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