伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

教え子

2024-11-25 21:11:51 | 教え子・学校

教え子が新聞に載るのは嬉しい・・・

最近谷川俊太郎氏がお亡くなりになったので

親交のある奈央さんが新聞に載るのでは

と期待していたところ

やはり

数日前道新に掲載された・・・彼女は常連であるが。

元気そうで何より

 

 

 

谷川氏の朝のリレーは中学一年の

教科書に掲載されていた。

生徒に詩を暗記させていた記憶がある。

最近惜しい方がお亡くなりになる

黙とう・・・。

「朝のリレー」

 カムチャッカの若者が
 きりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は
 朝もやの中でバスを待っている
 ニューヨークの少女が
 ほほえみながら寝がえりをうつとき
 ローマの少年は
 柱頭を染める朝陽にウインクする
 この地球で
 いつもどこかで朝がはじまっている

 ぼくらは朝をリレーするのだ
 経度から経度へと
 そうしていわば交換で地球を守る
 眠る前のひととき耳をすますと
 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
 それはあなたの送った朝を
 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

 

 一昨日私のエッセイ・・・同人「楽書きの会」

 室蘭民報の大手門に掲載された。

 今度はニャンコのことでも書こうかなあー・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荒れた時代の職員会議

2022-07-11 13:43:16 | 教え子・学校

昨夜また現役時代の夢を見た

そういえばそういうこともあったっけ・・・と

夢で思い出した。

現役時代のことはさしさわりがあるので極力

書かないことにしているが

最近脳細胞がさび付いている

このままでは書かないで終わりそうな気がする。

夢で甦った生徒が荒れていた時代を

少し書いておかねばと今朝決心した。

現役時代の暗いトンネル・・・なかなか抜け出せず

思い出すのも辛い・・・。

私が40代の半ば

娘が保育園・・・学校は全国的に荒れ始めていたH中学校

保育園の関係もあり10年近く勤務した。

ここではいろいろな事件があり全国ニュースにもなった時もある。

私は二、三年と持ち上がり

副主任・・・札幌市としては中堅の学校で学年は7クラス

三年に進級したとき主任が半年入院

私が主任に任命されたが同僚の協力で負担にはならなかった。

ただ三年生になると下級生に暴力をふるったりして

職員会議のたびに他学年の先生から

三年の先生何をやっている・・・と文句を言われるのが辛かった

私は先手を打って

同じ学校の生徒・・・学年の枠を超えて生徒を見て欲しいとお願いした。

心情に訴えることから始めた。

その後は三年生・・何やっているとの怒号は聞くことがなかったが

何かあるたびに報告してくださり軽い指導をしたと言ってくれたりした。

現実・・・他学年の先生がヤンチャな生徒を指導することは至難の技だったし

信頼関係がないとできる状態ではなかった。

当時は三年生に信頼のおける生徒指導部長とベテランの生徒指導の先生が配置されていて

何かと相談ができラッキーだった。

職員の和は保たれていた。

だが

私のクラスの女子A子さんの生徒指導が父母の間に漏れてしまった。

あるときスーパーに行くと先生何で皆に家の子のことを言いふらしたの?

と親に問い詰められ愕然とした。

生徒指導の先生など一部の人しか知らない事実だった。

学校長と相談し即私は職員会議で語調を強くし訴えた。

誰が漏らしたか追及しないけれど教育現場でこういうことが起こるということは

嘆かわしい・・・担任が窮地に立たされる。

考えたことがあるのか・・・ざるの様に次々と大切なことが漏れては、これから大事な

受験指導を控えて・・・やってられません。

てなことを訴えたような気がする。

学校長も最後のとどめをさしてくださった。

学校長は同じ国語科だったので何かと目をかけてくださっていた。

今思えば職員の和は良かった学校だったが

そういう職場でもたった一人の考えのない先生のせいで

こういうことは突発するものである。

完全なんてない

必ずどこかが歪んでくるものだ

それにどう対処して切り抜けるかがかんじん・・・。

教師は今やブラック企業と言われる

悲しい

じゃ

子どもはどこへ行けばいいのか

教師は性格、人間性が問われる・・・教授法は二の次だ

と今でも思っている私は古いのか・・・。

一番思うことは先生の給料は一般公務員よりも高くしてほしい

現役の先生は必死で教科指導 公務分掌 クラブ活動

そして生徒指導 親とのかかわり・・・をこなしている。

未来を担う子供の教育にせめてお金をつぎ込んでほしい。

途中で脱線してしまいました。

 

思えば一番頑張っていた時代だった

札教研の国語常任委員長をしたり研究授業を何度もしたり

札幌市の生徒の「にれ」編集に携わったり

ハ゛っかみたいに頑張っていた

こんなに自分を駆り立てていたのは何だったのか・・・。

誰しもこういう時代を全力で走り続けていたのでしょう

わたしもその一人。

の全力で駆けたのは20代・・・早かったよね

旅人を創刊したり 業界誌に携わったり

ウナギの研究と新聞

エナギの養殖で倒れた・・・何を急ぎすぎたのでしょうね。

あなたの全力で走った過去はいつですか?

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続なつかしいブログ・・・現役時代

2022-06-30 15:20:46 | 教え子・学校

現役時代の懐かしいブログが出てきた。

つながり

2014-01-15 15:14:52 | インポート
 30代後半に担任した

 A君から

 今日電話が入った・・・・。



 ブログとかツイッターをやっているので

 検索して・・・・ということであるが

 それがなかなかつながらない


 題名が分かるといいのですが・・・。




 でも数年前のブログに出会えた。

 思わずブログを読むのに没頭し

 昼食の支度を忘れておった・・・・

 いっもいつも昭南シエフには迷惑かけっぱなし

 であります・・・。


 今日も美味しゅうございました・・・。

 フッフフフフ




 数年前のA君のブログ

 

 やわらかい文章で慣れている

 文才があったんだぁー

 中学時代のことも書かれていた。



 彼はバレーボール部だった

 それがなんとなんと3年の時に

 全国大会に行ったのである・・・。

 私のクラスには3人部員がいたがみんな

 レギュラーだったのだ・・・・が

  O君は怪我をしていくことができなかった残念・・・。


 

 思えば合唱コンクール 体育大会と全力を注ぎ

 賞をとったクラスだった。



 その陰で生徒指導とかいろいろあり

 乳飲み子を抱えて奮闘していた

 辛い時代でもあったのだ・・・。




 A君達の試合は何度か見たことがあるが

 彼はテクニシャンで点数を稼いでいた。




 なつかしくなり

 その時代の写真をバチリした。




 みんなみんな

 自分の道をしっかり謙虚に

 歩んでくださいネ





 私は37年間全力で走ってきたので

 田舎でのんびり暮らしています

 時々は昔のことを思い出して・・・。
 
 卒業アルバムより


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

才能豊かな教え子とお母さん

2020-11-10 15:35:33 | 教え子・学校

札幌のマンモス校に勤めていた時代、40代後半

荒れに荒れていた卒業生を送り出しほっとしていた頃

一年を担当久し振りのフリー・・・

一年生からしっかり指導していこう・・・と学年一致団結

その時入学してきたのがじゅんちゃんだった

彼女は忘れえぬ生徒・・・ブログに書いていたような気がしたので

調べたが載っていなかった?

頭脳明晰 運動能力優秀 音楽にも長けていた。

私が目を付けたのは文学の才能

最初の授業は必ず詩を書かせる

一年生にして感性豊か・・・驚く

外部に出す作文の全て入選

初めて出会った作文の能力の優れた類まれな生徒だった。

二年の時は有島少年文学賞に入選

三年の時はにれ賞(札幌市の中学生文集の最高賞)

残念ながら

一年の時だけ国語担当だったが

その後

必修文芸クラブでつながっていた。

道内の作文感想文コンクールでも入賞。

いつかじゅんちゃんのことはゆっくり時間をかけて

書きたいと思っていたところ

今朝の道新を見てびっくり・・・

ひと欄にじゅんちゃんのお母さんが・・・

お母さんとは時々受賞のたびにお会いしていた。

まだ現役で頑張っておられる

素敵な女性でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

S君のこと

2020-06-29 07:24:57 | 教え子・学校

時々S君のことを思い出す

娘が幼児の時だったからもう30数年になる。

S君は田舎で祖母と暮らし

中学になった時に札幌の父に引き取られる。

姉が一人いた。

荒れた生活で当時担任は毎日朝電話して起こしていた。

新聞配達をしていた。

そんなS君のことが職員会議でも話題になった。

私は彼の学年には所属していなく

教えてもいなかったが

娘を保育園から自転車に乗せ帰る途中

S君の新聞配達にバッタリ

思わず

S君頑張っているネ・・・と声をかけたが

プイと横を向き無視された。

それ以来S君には声かけしなかった。

小柄でふてぶてしく目つきも悪かったS君

二年生になり

成長するにつれ顔が生き生きしだした。

二年生の時も同じ男の先生が担任だった。

彼は動物園に行ったことのないS君のために

日曜日に連れて行ったりしていた。

三年生になり

担任が女先生に代わった。

修学旅行の時はこっそりS君のためにお弁当を作って

行ったりとそれはそれは職員一同気を使っていた。

修学旅行のレクでは主役を演じ

落ち着いたかに見えた。

それが突然のマンションからの飛び降り自殺

どんなに担任は辛かったことか

いつも子犬のようにじゃれ合って遊んでいた

仲間はいじめ・・・と報じられ

生徒が言わなかったことまで虚偽の新聞報道

毎日のように遅くまで職員会議。

小さな子供を抱えた私も本当に辛かった。

会議に娘を連れてきたように思う。

でも

本当に辛かったのはS君だったろう。

前にも一度このブログにも書いたと思うが

自殺する何日か前

新聞配達しているS君に声をかけられた。

修学旅行楽しかった・・・と聞くと

はいと元気よく応えそばにいた娘の頭を優しく

撫でてくれたりした。

あの野生児だったS君がこんなに変貌するなんて・・・

もう

大丈夫・・・と私は胸をなでおろしていたのに

S君の行動はショックだった。

天国で安らかに眠っているだろうか・・・と時々

思う

切ない・・・現役時代で一番忘れられない

悲しい思い出である。

たった一つ

書き置きがあった。

「もう人間やめたい」

S君のことは過去ブログに詳しく載せています

カテゴリ「教え子・学校」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする