「I駅の一夜」は随筆集「春草雑木」に収録されたが
これは風船爆弾の材料の和紙を使った珍しい本だった
と道新の記事に書いてある。
これはすごい珍しい本なんだ・・・と急いで自分の部屋から
宇吉郎さんの本を捜すとありました・・・感動
古本屋巡りをしてやっと手に入れた貴重な本
よくぞ買った・・・と若き日の自分に拍手
この本の値段を見た
は
よくこんな高い本を買ったネ
僕も神田の古本屋巡りをしたがお金が無くて本なんか買えなかった
よ・・・とたまげていた。
当時私は田舎のお嬢さんだった
お金が無くなるとすぐタミエさん(母)にSOS
母はよく
から手紙が来るたびにびくついた・・・と言っておった。
ゴメンネ最後まで親不孝な娘で・・・。
苦学生だった
は10円のお金にも苦労したんだって
苦労したおかげで今があるのよ・・・と慰めている私デス
ところで風船爆弾って知っている?
聴いたことあるような気がするけれど・・・
マンガみたいな話だけれど
戦争中何にも無くなったので
風船に爆弾を付けてジェット気流に乗せアメリカまで飛ばして
落っことそうとしたんだょ・・・
あっははは・・・でもそんな貴重な本だったなんてネ
しみじみとページをめくってみた。
ネットより
風船爆弾
アッツ島近辺で撃墜される風船爆弾(ガンカメラによるもの)
風船爆弾(ふうせんばくだん)とは、太平洋戦争において日本陸軍が開発した気球に爆弾を搭載した兵器である。秘匿名称は「ふ号兵器」[1]。「風船爆弾」は戦後の用語で、当時の呼称は「気球爆弾」である[2]。戦果こそ僅少であったものの、ほぼ無誘導で、第二次世界大戦で用いられた兵器の到達距離としては最長であり、史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器であり、実戦に用いられた兵器としても約7700km(茨城県からオレゴン州への概略大圏距離)は、発射地点から最遠地点への攻撃である。
戦果[編集]
約9300発の放球のうち、アメリカ本土に到達したのは1000発前後と推定され、アメリカの記録では285発とされている。最も東に飛んだ記録としてミシガン州で2発が確認されている[1]。1945年5月5日、オレゴン州ブライで風船爆弾の不発弾に触れたピクニック中の民間人6人(女性1人と子供5人)が爆死した例が確認されている唯一の戦果である。放球は1945年3月が最終であるため、この5月の事故は冬の間に飛来したものが雪解けによって現れたのではないかと言われている